大将軍ガスリンの憂鬱
アンドレ・ガスリン。
それがこの男が名乗る正式な名である。
そして、現在この男は魔族軍総司令官であり、魔族の国の王、その後継者筆頭の地位にある。
つまり、現在の王が突然崩御すれば、この男が王になるのだ。
ただし、その肩書は「暫定後継者」となる。
それがどういうことかといえば、言葉どおり、正式な後継者が決まるのは王が崩御する直前になる。
つまり、次の王は現王からの正式な手続きを踏んだ指名がおこなわれるのだが、それができない事態が起こったときのために置かれているのが、この「暫定後継者」なのである。
そして、ここがこの制度の重要な部分なのだが、この「暫定後継者」は、あくまで不測の事態に対処するためのものであり、人間世界の「王太子」と違い、完全な形での王位継承権が与えられてはいないのである。
そう。
つまり、魔族の国では「暫定後継者」が「正式後継者」になるとは限らないのだ。
もちろん魔族の国にも王族は存在するが、人間社会のような地位にはない。
魔族の国にはさらに一歩踏み込み、現王の子は次の王にはなれないという決まりさえある。
つまり、魔族の国では「血によってではなく、それにふさわしき才を持つ者が国を統治すべし」という伝統が厳格に守られているのである。
ということで、「暫定後継者」という肩書を持つガスリンであるが、彼がそのまま正式な王位継承者になるための一番の障害。
それはもちろん勇者一行である。
そして、それはその勇者を倒した者、正しくいえば、勇者一行を排除することに成功した軍指揮官がその次期国王レースのトップに立つことも意味する。
もちろんこれは正式発布されたものではないものの、王の言葉に何度も登場する勇者を倒した者に贈られる「最高の褒美」が、それを意味するというのが軍幹部たちの一致した意見である。
当然王という地位が目の前にぶら下がったガスリンは、それを確実なものとするために、自ら策を講じ、息のかかった者に勇者討伐をおこなわせているわけなのだが、これがなかなかうまくいかない。
いや。
さっぱりダメなのである。
だが、現在の彼にとっての最大の懸念はそのことではなかった。
では、何かといえば……。
マンジューク銀山をはじめとして南の鉱山群の防衛。
とりあえず地形を利用し、というより地形に助けられてなんとか持ちこたえているものの、ずるずると後退しているのが現状であり、このまま同じような戦い方をしていれば、いずれすべての鉱山を失うことは見えている。
そうなれば、この地で採掘している金や銀を元手に動いている魔族の国の経済は崩壊へと進み、戦いの趨勢は一気に決まると言ってもいい。
つまり、絶対に死守しなければならない。
いや。
安全に採掘をおこなうためには一刻も早くこの地に侵入しているフランベーニュ、アリターナ両軍を完全に排除しなければならないのだ。
だが、こちらの状況も勇者の件と同じ。
ガスリンの手元にはそれに対応するための方策がないのである。
その理由は色々あるのだが、最も大きく、もっとも重要なのが、この山岳地帯に点在している鉱山。
つまり、これを守るために戦っている以上、勝つことはもちろん一帯を傷つけてはならないという条件がつくことだ。
これまで多くの案を考えついたものの、その条件によってすべて葬られた。
だが、この日、久々に参謀役の側近からあらたな敵軍殲滅策が提出されることになっていた。
それを聞き、検討することになっていた。
そう。
ガスリンが大嫌いなグワラニーから持ち込まれた小麦輸出に関する話にたいした反対もしなかったのは、このためだったのである。
「忌々しいグワラニーにいい思いをさせてまでして手早く終わらせたのだ。今日こそはフランベーニュとアリターナを掃討する名案を手に入れる」
ガスリンはそう呟き、部下たちが待つ執務室の部屋の扉を開けた。
「……総司令官がいらっしゃったので、早速始めましょう」
渋い顔のままガスリンは席に着くと、側近のひとりであるギレェルメ・トカンティンスがその開始を宣言する。
ガスリンは出された茶を含みながらゆっくりと集まったメンバーの顔を見る。
もちろん全員が知った顔であるが、以前に比べて大幅に数が減っている。
何人かは前線にいるためにこの会議に参加できないだけなので、いずれ顔を合わせる機会はあるだろう。
だが、この場にいない大部分はすでにこの世の住人でなくなっていた。
ガスリンはその元凶であるひとりの人間に対する憎しみを湧き上がらせるが、今日はその男とその仲間に関する話し合いではないことを思い出しどうにかその感情を抑え込む。
「それで、今日はセリテナーリオが新たな案を用意したということだったが、期待していいのかな」
「はい」
内に秘めた感情を完全に消したガスリンがそう尋ねると、その相手となるフェリペ・セリテナーリオは肯定の言葉を口にし自信の程を覗かせる。
「だが、セリテナーリオ。考えられる案というものは出尽くしたのではないのか」
「まあ、それはそうなのですが……」
同僚のドゥアルテ・フリーアからやってきた好意的とは思えぬ言葉を否定せずにあっさりとそれを肯定したセリテナーリオはさらに言葉を続ける。
「実際のところ、我々の傘下となる将軍とその部隊を使った策は、フリーアの言うとおりこれまで検討した以上のものは出ないでしょう。ですが……」
「そうでなければ、必ずしも策がないわけではありません」
その言葉から滲み出すもの。
共闘。
「もしかして、この際副司令官と共闘するということか?」
「まさか」
末席に座るフェルナン・シャプラーからの問いに、セリテナーリオは首を横に振る。
「……コンシリア将軍の配下など加えても、数が増えるだけ。マンジュークの渓谷地帯での戦いではたいした役には立ちますまい」
「では、どこと手を結ぶ?」
「もちろん北方に居を構える人間種の男ですよ」
「……つまり、グワラニーということか。セリテナーリオ」
「そのとおり」
この中では古参に属するブニファシオ・マテイロスが呻くように口にしたその名前。
もちろん全員がその名は知っている。
そして、現在、その男は自分たちのリーダーであるガスリンのライバルとなりつつあり、さらにいえばガスリンが忌み嫌う者でもあるということも。
もう少しだけ言葉を加えれば、その男の名はこの場では出してはいけないものというのが部下たちの中での暗黙の了解事項だった。
だが、それをセリテナーリオは敢えて口にした。
しかも、その男と協力せよとまで。
馬鹿か。
こいつは。
全員が心の中で呟く中、ガスリンが口を開く。
「一応、理由を聞こうか」
あきらかに怒気を含んだものだったが、とりあえず即座に怒鳴り散らし否定することなくそう尋ねたのは、さすが総司令官というところなのだろう。
それに対してセリテナーリオはまずは一礼して敬意を示す。
それからガスリンの言葉に応じる。
「実際のところ、あの戦場は白兵戦には不向き。さらに言えば、数の力でどうにかできる場所ではないことは皮肉にも我が軍がもちちこたえている要因であります。ですが、言い方を変えれば、我々の反攻についても同様の理由でおこなえないということになります」
「剣でどうにかできなければ策を弄す。と言いたいところですが、貴重な鉱山群であるという立地があるため破壊行為はできない。つまり、大掛かりな罠もつくれない。ハッキリ言えばおこなえる策などない」
「残りは魔法ということになりますが、魔法についても実は同じ。相手の防御魔法を突き破って殲滅させるような力を持つ魔術師は残念ながら我が軍にはいない。いや……」
「かの男が抱える魔術師たちを除いてはいない。そういうことなのです」
「だが、奴の魔術師団は奴と共にしか行動しないと宣言しているぞ」
「そのとおり」
「ですから、奴を戦場に投入すればいい。そういうことです」
「言いたいことはわかった」
「だが、それで人間どもの駆除が成功した場合、再び奴の手柄となる。つまり、奴の栄達と増長に協力することになるではないか」
ガスリンからやってきたもの。
それこそがこのグループでグワラニーの援軍について討議されていなかった理由、その本丸となる。
だが……。
「ですが、それでもマンジュークを落とされるよりも百倍よい。私はそう考えます」
セリテナーリオはその枷を外すようにその言葉を口にした。
だが、さすがにそれだけでは終わらない。
「もちろん総司令官の懸念に対して策はあります。出陣に当たって何か縛りをかけておけば、必ずしも奴だけの手柄にはなりますまい」
「とにかく、今は鉱山群から人間どもを追い出す。これを優先事項にすべきだと思います」
「わかった」
そう言ったものの、結局それを採用するかしないかをガスリンは明言せず、その後におこなわれた討論も大した意味もなく、会議はあっさりと終わる。
そして、全員が去った部屋にひとり残ったのはガスリン。
誰にも聞こえない言葉で彼は呟いた。
セリテナーリオの言葉はおそらく正しい。
いや。
この状況ではそれしかない。
実をいえばガスリン自身そう思っていた。
……結局あれの力を借りなければないのか。
……だが、それをやらせただけで奴自身にその第一功がいかないようにするには相当強力な枷が必要になるわけなのだが、そのようなものなどあるはずが……。
その時、ガスリンの頭に名案が浮かんだ。
……これはいい。
……決まりだ。
そして、ことは遂に動き出す。
グワラニーが自身の出陣の最大の難関と思われた場所から。