愚者たちの悪あがき Ⅲ
翌日の午前中から始まった、ノルディア王国交渉官ホルムと、前回の交渉で使用した「エビス」という偽名と王都からやってきた交渉官という謎の肩書を倉庫から引っ張り出し左胸に張りつけたグワラニーの交渉。
だが、交渉は開始直後一気に動き、グワラニーが予想していなかった展開となる。
「実は……」
その言葉から始まったのはホルムの渾身の一撃。
「……なるほど」
そのすべてを聞き終えた直後、とりあえずそう応じたグワラニーにとっての驚きは、もちろんホルムの話術そのものに対してものではない。
中身。
そう。
その内容は当然衝撃的と言えるものだったのである。
ホルムの言葉が本当であれば、下手をすればノルディアは崩壊する。
というよりも、自分たち魔族が手を差し伸べなければすぐにでもそれがやってくるというその内容。
しかも、ホルムは堂々とそれを言ってのけたのだ。
グワラニーは困惑する。
……まるで、オープンリーチ。
……いや。
……相手にそこに振りこみしてくることを要求しているのだから、これはさらにタチが悪い。
大昔付き合いでおこなっていたマージャンで一度だけ見たその手を思い出す。
……これにどう対応すべきか。
……というか、そもそもこの話は本当のことなのか?
もちろんそれをそのまま真実だと思うのは簡単だ。
だが、その話はあまりに出来過ぎている。
……無防備に腹を出しているように見えるが、油断して襲い掛かったところを隠された罠で絡めとる算段にも見える。
……もっとも、それをやる理由が今のノルディアがあるかどうかというのは疑わしいかぎりなのだが。
……さて、どうする?
当然グワラニーとしては罠を疑いつつの事実確認をおこなうわけなのだが、実を言えば、ホルムにとってその説明は非常に楽なものだった。
なにしろ元々隠しているものはない。
つまり、聞かれたことを素直に話すだけ。
当然事実だけを口にしているのだから一切の矛盾は生まれない。
そして、もちろん真実だけを口にしている以上、それを聞いたグワラニーの結論はこうなる。
怪しいところがない。
そうなれば、次のステップに進むしかないわけだが、ここでグワラニーが小さな一手を打つ。
「先ほどの話であれば、とりあえず今期分の小麦の目途は立ったということでしたが、それで間違いはありませんか?」
「そのとおりです。問題は来期以降の小麦です」
「では、交渉が妥結した場合、あなたがたは即座に我々の要求するものを引き渡し、我々はその代金となる小麦を来期に間に合うように用意する。このようにしていただけますか?」
つまり、グワラニーが熱望する弓矢はすぐに手に入るだけでなく代金は後払い。
それによってノルディアの罠や誠意が確認できるうえ、最悪でも品物は確実に手に入る。
……さすが。
グワラニーの、即興とは思えぬその芸当に舌を巻くようにホルムは口を開く。
もちろんホルムの中にそれを拒む理由はない。
「それで構いません」
そう言ったホルムは少しだけ笑う。
魔族相手にそれに応じる自身の、相手に対する信頼の度合いを。
交渉が始まって半日後。
三日後にもう一度話し合うということで終了したグワラニーとホルムによるこの日の交渉。
勝ち誇るという言葉がよく似合う表情でその場を後にするホルムに対し、彼を見送るグワラニーは苦笑いを浮かべるというそれまでとは全く異なる様子に、側近のバイアは少々驚き、相手がいなくなった直後、主である若い男に声をかける。
「いかがでしたか。グワラニー様」
「ああ。今回はよい勉強になった」
「手札がまったくない状態でも、やりようによっては交渉になるということがよくわかった。やはり、ノルディアが交渉官としてあの男を送り込んでくることだけのことはあるな。まあ……」
「……奴がまだ何も手にしていないのも事実なのだが」
そう言うと、今度は交渉が終わったあとによく見せる黒味を帯びた笑みを見せたグワラニーはもう一度口を開き、その詳細を語り始める。
「ホルムは……」
「まず、ノルディアの、というか、人間界の食料状況を説明した」
「食料状況?」
「ああ。奴らも我々と同じようにパンを主食としているが、そのパンの原料は何だ?」
「もちろん麦です」
「まあ、ほとんどが小麦だ。だが、ノルディアは自前では自国の消費分は賄えず、フランベーニュやアリターナ、それに例の商人国家を介してアストラハーニェから小麦を輸入しているのだそうだ」
「はあ」
「ところが、最近になって輸入先のひとつアリターナの王は借金のカタにアリターナ国内での小麦流通経路をあの守銭奴どもに取られたそうだ」
「そして、守銭奴に小麦価格の値を釣り上げられて怒った民が暴動を起こしたと?」
「そう思うだろう。だが……」
「今のところ何も起きていないそうだ」
「ほう」
「ですが、そのアリターナの出来事とノルディアがどのような関係があるのですか?」
当然のようにやってくるその問い。
その問いに答えず、グワラニーはホルムから得た情報をさらに加える。
「アリターナ王は守銭奴に流通経路をくれてやるときに、ある罠を仕掛けていたそうだ。そして、その罠というのが国内、国外問わず守銭奴は売りに来た小麦はすべて適正価格で買い取らなければならないというものだったそうだ。さて、こんな文句が看板に書いてあったら商人どもはどう動く?」
「まあ、小麦を買いまくってアリターナに居座る守銭奴のもとに高く売りにいくでしょうね」
「そのとおり」
「そして、その結果、現在小麦がとんでもない値段になっているのだという」
そこまで聞いたところで、バイアはたまらず声を上げる。
「ちょっと待ってください。グワラニー様。私は商売についてはそれほど詳しいわけではありませんが、いい値で小麦を買い続けていたらその商人はそう長くはもたないのではないですか。それに、グワラニー様は先ほどアリターナでは暴動は起きていないと言いました。ということは、アリターナでは小麦価格がそれほど上がっていないのではないでしょうか?」
「そうだ」
「捌ききれない量の小麦を高く買い入れ、売値は今まで通り。早晩その商人は破産し、小麦価格は暴落するのではないでしょうか?」
「普通はそうなる」
「普通は?」
「ああ」
「どういうことでしょうか?」
「それを答える前に問う。ここまでは、ホルムが私に言ったことをそのまま伝えたのだが、どこか矛盾しているところはあったか?」
「矛盾というか無理があるところなら……」
「聞こう」
「例の守銭奴の行動ですね。言葉どおりなら、それは人助けをするためにおこなっているようにしか見えません。ですが、金儲けにしか興味のないかの者たちがそのようなことをするはずがありません。というより……」
バイアがそこまで話したところでグワラニーが割り込むようにその続きを口にする。
「売れもしない高い小麦を買い続けているのだから、それすらでもないと言いたいのだろう」
「ここでもうひとつおもしろい情報を提供しよう。アリターナではそれに先立って自国産小麦の輸出禁止を決めたそうだ。これについてはどう思う?」
「どう思うと言われましても……」
「守銭奴の金儲け策のひとつくらいにしか思わないか」
「はあ」
「……まあ、ホルムも含めてノルディアの奴らもそう思っていたようだから仕方がないな。それでは、少し言い方を変えて問い直そう」
「今回の一連の出来事によって人間界の小麦はどう動く?」
「自国から小麦が国外に出ないようにしたうえで、高値でいくらでも買い取るといえば、当然アリターナに集まってきます」
「そう。では、買い続けられるかどうかは別にして、高値で買い取った安い値段で民に売り渡しているという事実はどうだ」
「儲けを考えていないということですか?」
「そう。だが、先ほどバイアが言ったとおり、アリターナ国民に小麦を売っている者が、小麦を高値で買い漁っているあの守銭奴であればそれは絶対にありえない。しかし、それをおこなっているのがアリターナ自身であったらどうだ?」
「ありえますが……まさか……」
「守銭奴どもがこれまでの悪行を清算するつもりでやっているのでなければそれしかないだろう。つまり……」
「これはアリターナが守銭奴商人を使って小麦をかき集めているに違いない」
与えられた僅かな情報だけで一瞬で正解に辿りつく。
さすがといえるグワラニーの洞察力。
だが、これは別の世界で多くの知識を得ていた者だからできる者であり、それがないバイアにはすぐに理解できるものではない。
当然のように彼の頭には疑問符が浮かぶ。
「なぜでしょうか?」
その問いに対してグワラニーが口にしたこと。
それは恐ろしい未来図だった。
「たった今、しかもほんの少しだけ掴んだ情報だけでは何とも言えないが、もっとも可能性が高いのが、アリターナの為政者たちは近い将来小麦が不足する事態が起きるという確実な証拠を手に入れたということだろう。しかも、その事態はとてつもなく大規模で小麦生産国であるアリターナでも対応できないものだ。そうでなければこれほどの荒業を使ってまで小麦輸出国が小麦を集めないだろうからな」
「……なるほど。言われてみれば筋が通っています」
「ですが、そういうことであればアリターナはそれを自前でやらなかったのでしょうか?」
「まあ、これも根拠のない予測になるのだが……」
「守銭奴がやる分には金儲けの一環として笑って見逃せるが、アリターナ自身がやればそうは見えない。少なくても警戒したフランベーニュは小麦の流通をとめ、アリターナはフランベーニュ産の小麦を手に入れられなくなる。それを危惧したアリターナは守銭奴を隠れ蓑に浸かった。しかも、自分たちは商売の素人。小麦をかき集める際に確実にぶつかる守銭奴商人とやりあっても勝ち目はない。そうであれば、逆に彼らを取り込み、任せた方がよりよい結果が得られると考えたのだろう。まあ、賢明な判断だ」
「だが……」
「必要に迫られているとはいえ、自らの名に泥を塗ってまでよくそれをやる気になったものだ。アリターナの王は。そして、これだけの大きな策を思い描けることも考えれば、この王は並みの人物ではないな。今後気をつけなければならない」
ここまで完璧な推理を披露したグワラニーだったが、最後は少しだけ正解からはずれる。
それを発案したのは王ではなくアントニオ・チェルトーザだったのだから。
もっとも、発案したのは別人でも最終的な責任を負うのはアリターナ王となるのだから、正解といえなくもないのだが。
「ところで……」
「状況はわかりましたが、その情報を流してくださったノルディアの優秀な交渉人殿はグワラニー様に対してどのような要求をしてきたのですか?」
グワラニーの見事な謎解きによってスッキリしたバイアからの問い。
それに対して、グワラニーはこう答える。
「決まっている。注文どおり弓矢を売る」
「なので、そちらもこちらの希望通り代金を払ってくれ」
「……小麦で」
「なるほど」
「グワラニー様。それでこれからどうするのですか?」
グワラニーから交渉内容のすべてを聞き終えた腹心中の腹心が尋ねると、グワラニーはそれに答える。
「とりあえず小麦をノルディアに譲る許可を王から取らねばなるまい」
まあ、これは当然といえば当然である。
なにしろ、停戦中であるが、形式上はいまだ敵国。
どのような形であっても、そのようなところに援助するとなれば許可はいる。
「クアムートに備蓄しているものだけなら事後承諾でもなんとかなるが、ホルムの言葉ではとてもその程度ではおさまらないだろうから」
「ということは……」
「そう。ノルディアは国産の小麦で賄えるのは国民の半分ない状況だ。つまり、残りは当然我々が埋めてやる必要がある」
つまり、これまで輸入に頼っていた部分をすべて魔族が提供するということだ。
「ですが、それでは一万や二万の弓矢の代金ではとても収まりますまい」
「そうだな。だが、手はある」
「と、言いますと?」
「奴らの輸出品の中でもっとも価値のあるものが何か知っているか?」
「光石でしょうか?」
光石。
つまり、ダイヤモンドである。
ただし、輝きは認められているが、その加工の難しさのためこの世界の者にはあまり好まれていない貴石であり、それをありがたがっているのはワイバーンだけという噂もチラホラとある。
「その光石を代金としてもらい、それをワイバーンへ紙の代金として渡す。そうすれば、人間世界に流れる金や銀の量が減る。我々としては望ましい形であろう」
「ですが、ワイバーンが受け取りを拒否したら?」
「そうなれば仕方がないが、ノルディアは光石を輸出していたのであれば、可能性はゼロではない。それに……」
「それ以外のものでもいいのだ。小麦代の代わりにノルディアの輸出品を押さえ、彼らの代わりにワイバーンに売り、紙代に充てる」
「もしかして、王にも今の話をして説得するのですか?」
「そういうことだ。あの王は頭が切れる。ワイバーンに流す金や銀の量が減る利点など今さら説明しなくてもわかっている。今までそれが出来なかったのはひとえにワイバーンが独占している良質の紙が欲しかったからだ。別のもので紙代を支払えるとわかれば大喜びすることだろう。さらに……」
「これを恒久的続けていけば、いずれノルデイアが我が国に依存する体質できる。つまり、形式的なものはともかく実質的にノルディアという国そのものを支配化におくことができることも付け加えておけば完璧だろうな」
「つまり……」
「たとえそれがどれだけの量になっても、王は小麦の輸出を絶対に拒まない」
「なるほど」
「それに……」
「ホルムには伝えていないが、実際のところ王都の穀物倉はすでに余った小麦で満たされており、毎年それ専用の倉をつくっている状態だ。邪魔な小麦で商売ができるのであれば我々だってありがたいところだろう」
「たしかに」
「そういうことで、私はこれから王都に向かうが、それとともに、もうひとつやらねばならないことがある」
「それは?」
「もちろんホルムが持ち込んだ情報の確認だ。ほぼ間違いないとは思うが、偽りのいう可能性もゼロではない。それに彼らが聞き洩らした情報もあるかもしれない。今からペルハイに行って駐在しているワイバーンの代理人から情報を取って来てもらいたい」
「有力な情報ならいくらでも金を使っても構わん」
「承知しました。では、早速」
「ああ」