愚者たちの悪あがき Ⅰ
ノルディア王国の王都ロフォーテン。
その王城。
現ノルディア国王であるアレキサンドル・ノルデンを中心としたその国を動かす者たちは皆厳しい顔をして討議していたのは、来年以降の食料調達方法だった。
「やはり厳しいか?」
「残念ながら……」
王の口から発せられた言葉に財務大臣で伯爵の爵位を持つアルフレッド・チルケネスは前置きし、それから後ろに続く言葉を口にする。
「今回分はとりあえず必要量を確保できましたが、次回については……」
難しい。
チルケネスが口にしなかった部分を全員が同じ言葉で補う。
もちろん口に出すことなく。
「他国も小麦は不作なのか?」
「そういうわけではありません。それどころかフランベーニュでは今回以上の豊作という予想となっています」
「ということは、つまり……」
「アグリニオンの守銭奴が暴利を貪っている結果ということか」
「とまでは言えないでしょう」
宰相であるアンドレアス・ラクスエルブの問いに、チルケネスがそう答える。
「どういうことだ?」
不機嫌な香りが漂わせて再度問うラクスエルブの声にチルケネスが答える。
「今回の件はアリターナが自国産の小麦の輸出禁止にしたことが始まりですから」
「愚かな王がアグリニオンの商人に小麦の流通経路を売り払ったというあれだろう。そうなると、やはり守銭奴どもが原因ではないか」
「というよりも、今の騒動が始まったのは王が彼らと交わした協定に忍ばせた一文が原因で……」
「王が彼らと交わした協定に忍ばせた一文?なんだ?それは」
ふたりの大臣による激論に割り込むようにやってきた王からの問い。
それに答えたのは、その文書を取り寄せていた外務大臣であるアンセルム・ベルコークだった。
「売りにきた小麦は適価ですべてを買い取らなければならない。その一文があるためにアリターナやアグリニオンの商人たちがフランベーニュを舞台にして小麦を買いまくっている。その結果他国でも値が吊り上がっているのです」
「……だが、なぜそのような文言をアリターナは入れたのだ?というよりも守銭奴どもはなぜそれを見逃したのだ?」
「そこまではなんとも。ですが、その一文のおかげでアグリニオンの守銭奴は相当な出費を強いられているのはたしかです。買い取ったものの、売れきれず抱え込んだ小麦も相当な量になったと思われます」
「……そうであれば、いずれ値崩れするのではないのか?」
「いつかはそうなるはずなのですが、それがいつになるのかは……」
いつ起こるかわからぬものをアテにして、目の前にまで迫った危機への対応をずるずると遅らせ、結局間に合わなかったなどという醜態を晒すわけにはいかない。
全員の気持ちが同じ方向を向いたところで、再び口を開いたのはラクスエルブだった。
「そういえば、それだけのことをしていながらアリターナ国内での小麦価格はたいして上がっていないそうだが、あり得る話なのか?」
そして、宰相からやってきたその問いにベルコークは頷く。
「ただし、理由はわかりません。しかも、当然量的にも潤沢に供給されていますから、国民の動揺というものは完全に収まっているとのこと」
「こうなると先ほどの一文のおかげで愚かと思われた王は勝者となり、逆にぼろ儲けをするはずだったアグリニオンの商人が敗者になったということになるようだな」
売りにきた小麦はすべて買い取らなければならない。
王が口にし、他の者が大きく頷いた、勝者と敗者を逆転させたその一文。
まあ、実際にはアドニアは言い値では買っておらず、さらにいくつかの細工が施された仕掛けが用意されていたのだが、とりあえずそれは脇に置き、これに関する一番重要な点を指摘しておこう。
それはもちろん……。
真実は絶対に光の当たらない場所にあるということ。
そして、言うまでもなく、それはまもなくやってくる農業崩壊に備え、できるだけ多くの小麦を手に入れるための餌であり、アリターナはもちろん、実際に小麦を買い取るアドニアも納得したものであった。
さらに言えば、一見すると負担を苦しんでいるのは、必要量以上に購入を余儀なくされ、とんでもない量の在庫を抱えているだけではなく、高値で買った小麦を安く市場に流すというアグリニオンの商人とは思えぬ愚かな行為をおこなっているアドニア率いるカラブリタ商会に見えるのだが、実態は違う。
膨大な小麦買い取り費用。
そこに経費と様々な名目の手数料が乗った請求書。
それはアドニアからアリターナ王国へこっそりと手渡される。
つまり、実際に大変な負担に苦しんでいるのはアリターナ。
敗者はやはり敗者ということになる。
ただし、それは帳簿上のことであり、彼らにとってこれはリスクヘッジ。
大局的に見れば十分に採算の合うものとなる。
そして、それを指揮しているのがアントニオ・チェルト―ザ。
本人にとってそれは守備範囲外のことであり、顧客以外の者に対して責任を負うというそれまでの生き方からいえば不本意なことではあったのだが、大きな意味では、才ある者が遂にふさわしき舞台に立ったといえるだろう。
だが、当然のことながら、日の当たらない場所でそのような広大なスケールを持つとんでもない企てが進行されていることなどノルディアの為政者たちは知るはずがない。
王からやってきた極めて常識的な問いに答えるベルコークも常識の範囲でしか答えられないのは当然のことである。
そして、何もわからぬまま、その茶番の最終的なとばちりを受けつつある国の王が再び口を開く。
「……状況はわかった。ところで、ブリターニャはどうしている?かの国は我が国以上に小麦を輸入していただろう」
「もちろんです。ですが……」
「ブリターニャは、国庫に金貨がないという我が国のような状況にはなっていないので高値であっても買い取ることは可能です。まあ、このまま高値買い取りが続くことになれば民たちへ売り渡す小麦価格をそれにふさわしいものにしないかぎり、いずれ財政が想像もしたくない状況がなることでしょう。ですが、申し上げにくいことではありますが、ブリターニャがそのような状況に陥ったころには我が国はとっくに……」
国家として破綻しているのか。
再び全員が同じ言葉を噛みしめる。
そして、感じる。
考えたくもない現実は目の前に迫っていることを。
国家破綻。
ノルデイアの為政者たちの頭に過るその口には出せないその言葉に続くのはもちろん現在陥っている窮状の原因となったあの事件についての思いである。
やはり、あの捕虜返還は失敗だった。
それが、あの決定をした王を含めて誰もが思うことである。
だが、魔族から持ち掛けられた捕虜返還を拒否した場合、間違いなく魔族はその情報を国内中に流した。
そうなれば、別の理由で我が国は崩壊していた。
しかも、あの時点で。
つまり、失敗だったのは、返還に応じたことではなく、捕虜が生まれたことにある。
だが、戦いに出る者たちに捕虜になるくらいになら死ねとは言えない。
結局悪いのはやはり悪辣な策を弄したあの魔族。
そう。
すべてあの魔族が悪いのだ。
とんでもない三段論法で現在自らが陥っている窮状の責任を魔族の将に押しつけたノルディア王がさらに言葉を吐き出す。
「とにかく我が国には払う金がない。小麦の売値を引き下げるよう交渉せよ。ベルコーク」
「承知しました。ですが、陛下……」
「言いたいことはわかる。だが、それはやるべきだし、それをやり、成功させるのが外務大臣としてのおまえの責務だ」
「承知しました。では、それはホルムに担当させましょう」
ホルムに担当させる。
それは、このようなことには絶対に必要な者、わかりやすく言えば、自分の代わりに失敗時の責任を負わせる者を指名した言葉だった。
もちろん王も承知する。
「そうだな。魔族との交渉をまとめてきたあの男ならなんとかするかに違いない。成功をした場合には爵位をひとつ上げ子爵とするので必ず成功させよと、ホルムに伝えろ」
大きく頷いた後に口にした、この茶番を締めくくるにふさわしい空手形の見本のようなその言葉。
それに続くのは、もう少し現実的なものだった。
「ところで、小麦増産についてはどうなっている。内務大臣」
「農務担当のフォシュベイ男爵によれば、兵役を解除した者のうち農民については各々の土地に戻り増産に励むように伝えていますが、やはり……」
「……不作は来年以降も続く可能性があるうえ、すべてを補うにはそもそも農地が足りないか。こうなると南部の耕作地帯の多くを失ったのが大きかった」
「ブリターニャの蛮族どもが」
内務大臣フレッケフィールの報告を聞き、改めて自国領で最も実りが多かった土地を奪われたことを悔やむ王の心を代弁するようにその言葉を口にしたのはチルケネス。
彼はさらに一歩進み、提案の言葉を口にする。
「だが、今それを言っても仕方がないのも事実。いっそのこと、アグリニオンの守銭奴を通さずにアストラハーニェと交渉するというのはどうだ?」
その言葉にすぐさま応えたのはもちろんベルコーク。
自分の領分は交渉には関わらないことをいいことに好き勝手言いやがって。
こちらはすでに失敗確定の案件をひとつ抱えている。
これ以上余計なものを押しつけるな。
もちろんその言葉自体は飲み込んだものの、そのことがハッキリとわかる表情のまま、口を開く。
「いや。東方の田舎熊はあれでなかなかの曲者だそうだから結局足元を見られるだけだ。それにたとえ契約に成功をしても運搬する手立てがないだろう。それとも大蔵大臣は何か秘策があるのかな。いや。ここはそれを用意しているからそう言ったと考えた方がいいだろうな。まさか手立てもないまま無責任にそう言ったわけはあるまい。では、それを開陳してもらおうか。その夢のような運搬方法を」
できもしないことを押しつけようとした同僚に対する最大級の嫌味。
これだけあからさまに言えば、当然その思いは相手にも伝わる。
むろんそのような手立てなどあるはずもないまま思いつきを口にしただけのチルケネスは王の前で自分に恥をかかせた相手を無言で睨みつける。
「ふたりともその辺にしておけ。とにかく、やれることはすべてやるしかあるまい。我々の代でノルディア王国が消えるなどというこの世界の歴史に残る醜態だけは避けたいからな」
激発寸前のベルコークとチルケネスを長くない言葉と視線で制した王は、続けて目の前にいる取り巻きだけではなく、自らも鼓舞するかのようにそう言った。
だが、このときその言葉を口にした王も含めてその場にいた全員が言葉にできない思いを心に秘めていた。
残念だが、この国はまもなく終わる。
当然である。
打てる手は全部打った。
いや。
そんなものは最初から存在しない。
すでにそのような状況になっていたのだから。
だが、その翌日。
その「あるはずのないはずの手」がやってくる。
「……おまえは本気でそれを言っているのか?ホルム」
「もちろんですとも。伯爵」
魔族との捕虜返還交渉での功績によって男爵の爵位を得た男に王からの指示を伝えた外務大臣ベルコークは、一瞬の間をおいて返ってきた男からの言葉に呻くように問い直す。
そして、直後にその男からやってきた言葉は、それを明確に肯定するものだった。
男の言葉はさらに続く。
「非公式ながら我が国はかの国と休戦状態にあるだけではなく、細々ではありますが交易もしているのです。その交易品に小麦を加えることをなぜためらうのか。私はそちらこそ理解しかねます」
そう。
小麦の買い入れ価格が大幅に安くなるよう、アグリニオンの辣腕商人たちとの交渉しそれを成功させよという百パーセント望みのないその命令を受け取りを即座に拒否したホルムは、魔族から小麦を輸入するという代案を提示したのだ。
だが、外務大臣ベルコークにはそれに対する強い拒否反応が起きる。
「だが、これは王命だ……」
間接的にとはいえ、王の命令を拒否する。
部下にそのような者が出れば、塁は上司にも及ぶ。
ベルコークの反応は当然のものといえる。
むろん上司が責任を問われるのだ。
当然、本人はさらに重い罰がやってくる。
だが、すばらしい代案と、王命を拒否した罪を帳消しにするだけの成果が示されれば話は別だ。
そして、このときのホルムには自ら口にしたものが十分それに値するという自信があった。
グワラニーからやってきていた大量の弓矢の発注。
そして、これがその根拠となる。
そのホルムがもう一度口を開く。
「例の魔族からの弓矢の大量発注。拒むことができないため小出しに流してはいるものの、現在事実上保留としているあの依頼を正式に受けたうえ、その代金を奪われた金貨から小麦に変えるだけでそれなりの量の小麦が確保できるのです。少なくても可能性がほとんどない値下げ交渉などより成果は期待できます」
「……なるほど」
「たしかにおまえの言葉は筋が通っている。通ってはいるが……」
そう前置きしたベルコークが指摘した問題点はふたつ。
ひとつは、わざわざ調達するのだから、当然その武器は使用される。
すなわち、ノルディアの武器で同族が攻撃させる。
つまり、形式上とはいえ、対魔族連合の一員であるノルディアがその敵国に武器を供与する。
そんなことはやってよいものではないというもの。
それから、もうひとつ。
肝心の小麦を魔族が持っているのかどうかがわからない。
もちろん魔族が小麦を栽培しているのは知っているが、他国に譲り渡すくらいの量をつくっているのか?
そして、たとえ量的に余力があったとしても、それを魔族にそれを譲る意思があるのか。
ふたつの問題。
ひとつ目については建前のようなものであるから問題なのは後者となる。
それに対してホルムはこの言葉を口にし、自信の程を覗かせた。
「そのための交渉官です。もちろん彼らに小麦の在庫がなければ話はそこで終わりですが、十分に可能性はあります。そして、そうであれば交渉によって必ず手に入れてきます」
「できるのか?」
「もちろん。ですから、閣下は陛下から魔族との交渉許可を頂いてください。その入り口となる弓矢購入を魔族どもが諦める前に」
「……わかった」