九兵衛と狐
幽導村の現村長の息子が行方不明となり三日は過ぎた。
相変わらず男達は山に入って探している、何がそうさせるのか妖狐にはわからなかったが、何かをやる事も無い。自然に任せていつも通りに過ごしていた時。
妖狐の小屋から山に向かう、細道の入り口にある地蔵へ供物と念仏を唱える者が増えた。
耳の良い妖狐には念仏と共に発せられる言葉が気になる。
「どうか後継様をお助けください、土地神様」
どうやら時代の経過と共に、妖狐宅にでは無く、道に置かれた地蔵に祈る様式となったみたいだ。
楽で助かる、家の前に供物を置かれても持て余すだけだ。
「ふむ、土地神の口伝は残っていたようじゃな」
前回は約五十年前だったかの飢饉が、土地神への祈り最盛期だった。平和になれば祈りは必要としない。
今回は土地神への信仰心と言うよりは、藁にもすがる人の今どうしようもない無力さからくる神頼みなのだろう。
妖狐は必死に祈り縋る人を見て感心した。
「他人の為へ祈れる時代になったのかのう、本当人とは目まぐるしく変わる生き物じゃ」
江戸時代後期の大飢饉の際に気まぐれで贈った物が、違う争いを生み騒がしくなりそうだったので摘んだ。
あれは妖狐にとっては人の為では無い、静かな時間の為に種植えて芽吹いた草を抜いただけの事。
今回も純粋な好奇心で山に入った。
村長の若き後継ぎが、生きてようが死んでようがどちらでも良かった。
山に入り、妖狐の耳が山の自然の中には無いはずの音を拾った。
「ふむ、火を扱うのは人だけじゃのう」
パチパチと火が爆ぜる音がする方に、といっても人の足ではかなりの距離がある。
真っ直ぐ最短のルートを取り火元へ辿り着いた……
「誰だ」
小さな洞穴にて若き男が妖狐を見据えていた。
服は破れ、足に怪我を負っている。
疲労は見えるが眼力は失われていなかった。
「ほう、その状態で生きておれたか、お主なかなか強い個体じゃのう」
「なんだお前は?こんな山の奥に女が居ても面白い事は無いぞ、さっさと帰れ」
「ほっほ、口の悪い者よ自身を気に掛けず我を気にするとは」
「……ふん、妖の類か。御伽話と思っていたが、居るもんだな。で、どうするんだ?俺を食う為に来たのか?」
「生憎と人を食う趣味はしとらんでの、食われるなら熊にしといてくれ」
妖狐は動けない男に近寄り顔をよく見た。
歳は十三〜十四程か、幼さも残す顔立ち。
気の強さが眼に表れて、鋭さが際立つ。
「しかし、三日もよく生きれたの」
「獲物は幾つか仕留めていた、洞穴に水も滴る。充分だ」
「火までよく起こせたのう、人の割に祈らんかったのかえ」
男は懐から小箱を出し見つめた。
「人間の力はまだまだ伸びる、化学と呼ばれ妖を凌駕するさ」
小箱から一本小さく細い棒を取り出した、尖端が赤黒く何かが塗られてる。
男はそれを勢いよく壁に擦り付けた、その瞬間シュッとした音と共に小さな火が起こる。
妖狐は少し目を見開き驚いた、男は人間だが間違いなく指先の棒に火を出している。
「ほう……狐火とは違うようじゃな」
「これはマッチと呼ぶ歴とした道具、人が知恵で生み出した現実の物だ」
マッチを焚き火に投げ入れ、男は横になった。
「さあ、もう行け。俺は体力を使いたく無い、ここで死ねばそれまでさ」
妖狐は初めて人間、と言うよりこの男に関心を抱いた。千年以上生きたが一人に対してここまで面白味を感じたのが、初めてで新鮮だった。
「面白い物を見せて貰った礼じゃ」
妖狐は怪我をしている足に手を翳した。
男は感覚の無かった足に暖かさを感じ、妖狐を見る。
「何をした」
「帰れるかはお主次第じゃ」
妖狐は身を翻し来た道を歩いて行った……
——翌日
村に歓声が起きている。
「後継ぎ様が帰ってこれた!」
「神様のおかげか!」
村人達が湧き、山入り口の地蔵前に沢山の供物が積まれている。
その内の一つを取り、口に運んだ妖狐は村の中心を見て微笑んだ。
「人にしてはやりおるわ」
供物に満足した妖狐は再び小屋に帰り、惰眠を貪った。
村長の息子遭難事件から三年程経ったある日だった。
風の噂で村長が流行病で急死、代をあの目つき鋭い男が継ぎ村長になったと聞こえた。
大人に掛かる疫病が流行り、まだ若い子供達が地域で親の代を継いでいく事態の一つだった。
人間は寿命短い分、託すと言う行為に力を入れている。
妖狐にはさほど関係無い話だと思っていたが、ある日向こうからやってきた。
「頼もう!」
数人の男達を引き連れ、あの男が家に来た。
「なんじゃお主ら」
山の洞穴で会った以来だが覚えてはいまい、妖狐はあの時以来の男と相対し要件を聞いた。
「村長が変わり幽導村の全体調査を行う事になった、ここは土地の区画に入る為、声を掛けさてもらっている……お前独りなのか?」
男は、女性一人で小さな小屋に住んでいる事に驚きを隠しきれていなかった。
「儂はずっとここで独りじゃよ、さあ用は住んだじゃろ行け行け」
妖狐は追い出すように手を振り小屋に戻ろうとした……
「ダメだ」
男は妖狐の腕を掴み止める。
「妖狐か妖怪かは関係無い、女の独り身なら安全な場所に住めるよう俺が手配する!」
妖狐はポカンとした、お付きの男達も似た反応だ。
「俺の名は九兵衛、幽導村現村長として村民を守る為に生きている!」
九兵衛と名乗った村長の勢いに、妖狐は押され珍しく困った顔になる。
「お前、名は?」
「ふむ、儂は儂じゃし名前など無いが」
「そうか……」
九兵衛は何やら考えだし、まとまったのか顔を上げた。
「お前はこれより狐音と名乗れ、我が幽導村では全員が名を持つ」
強引に名付けられた妖狐は更に困る、名前など千年以上呼ばれた事は無い。
そもそも妖狐である事が九兵衛には分かっていたようだ。
「狐音よ、また日を改めて来る」
九兵衛はそう言い残し行ってしまった……
狐音、名前など妖狐にとって意味が無い物であった。
人が自分以外のものを人にとって都合良く識別する為のものだ。
だが、妖狐は狐音と名を考えてくれた男の「九兵衛」と言う名は頭に残っていた。
これまでに数少ない名を覚えた者の中では一番印象的に。
どのみち先に逝く存在だと言うのに、不思議な感覚を「狐音」は覚えた。
名を付けられ一ヶ月程した頃だった、村に変化が訪れ出した。
古く手付かずだった村の廃屋や、流行病で家系途絶え主人を失った家が解体されていく。整理された区画を新たに大工が家を建てたりしているが、木ではなく石を主として建てられていく。
九兵衛宅近くに昼夜問わず職人が集う大きな共同生活場も出来て、何かが始まる騒々しさが村に訪れたのだ。
そんな折、九兵衛は狐音の元に再訪する。
「狐音よ、この区画に荘を建てる」
初めは立ち退きの宣告かと思ったが……
「お前はここに居てれば良い、建てる時少しの間は退いてもらうがウチに来れば良い」
九兵衛は工事の間は家に来いと言ってきたのだ。
「お主、なかなか強引に決めるのう」
少し呆れた、人に対してそんな感覚を抱くのも初めてだった。
「ここは身寄りの無い者を住まわせる、そう決めたのだ。狐音は元々住んでいた場所だ、一室を与える」
「周りにいくらでも土地があるじゃろうて、何故ここを指定する?」
「……俺は村民全てを守るだけだ」
九兵衛は言うだけ言って去ってしまった。
「ふむ……まあよい身を任せてみるか」
狐音は時と九兵衛に任せる事にした。




