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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち  作者: 稿 累華
第5章:できそこないの王子──前編──

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72話:雪原

 雪原。

 針葉樹の森。

 冷たく、強烈な寒気が、シェイラの頬を撫でた。


 空には、極光の窓布がゆれ、逆さになった岩の渓谷が浮かんでいた。谷間を流れる河もまた逆さに重力が働いているように流れている。


 異様なのは、空だけではなかった。

 気配を感じて振り向く。


 顔のない、人形模型(マネキン)。外套を羽織り、冠をかぶっている。顔がないままに、針葉樹の先にある、砂岩の城を目指していた。


 宙をいくつも飛ぶのは、白い翼。折り重なり、風車のようになった翼が回りながら、宙を飛ぶ。

 極めつけは、目だった。


 黒い瞳の、人間の顔もあるほどの目が浮かんで、シェイラを凝視していた。まばたきもせず、じいっと。じっと、シェイラの姿を監視している。


 シェイラは、かたまる。

 見られている。そして、見ている。

 睨み合いと言ってもいい時間が経過した。


 シェイラもまた、またたきせずに見返していると、ふっと目のほうが興味をなくしたように視線をそらした。


 そうして、目は目のまま、人形模型のあとを追っていく。

 城を目指すようにして。


 シェイラは、ふっと息を吐くと、急速に体が脱力していった。


《……ラ》


 とても消耗を覚える。


 ここはどこなのだっけ。

 わたしは、なにをしていたのだっけ。


 次は、なにをしなければいけないのか。


《──シェイラ!》


 耳元で、大きな声が聞こえて、シェイラは、はっと目が覚めた。

 秋の空気が戻ってくる。窓から入り込んできた風が、頬をなでた。



「シェイラ……!」



 焦ったイディオンの顔が目に入った。

 シェイラは、息を吐き出す、それから吸い込んだ。息が止まっていた。そして、イディオンの腕を取ったまま、もたれていたようだった。


 汗が、噴き出す。心臓の鼓動が早鐘を打っていた。


(今のは……)


 シェイラは顔をあげて、イディオンを見つめた。そこに消失する魔力を見つける。

 イディオンが、シェイラの頭に抱きつく。ふわっと、さきほど立っていた雪原の香りがするようだった。



「シェイラ、びっくりした。急に意識を……」


「わたしは……」



 今、いったい、なにが起きたのだ。

 ぎゅっと、イディオンが母に泣きつくようにシェイラの頭を抱き寄せる。そのまま、声をあげて泣き出してしまうのではないかと思った。


 シェイラは脱力を感じながらも、イディオンの頭を抱き返す。よしよし、と髪をなでてやる。



「ごめんなさい、イディさん。……ちょっと不測のことがありました」


「…………」


「すみません。うっかり」


「……やめてくれ」



 目の前で心配になるようなことはしないでほしい。

 イディオンはそう言っている。


 やっと、頼ってみたいと思った人物に出会えたのに、そのよすがを奪わないでくれ。

 そう言っているようだった。


 しばらくして顔が上がる。



「なにがあった」



 イディオンが問う。



「わかりません……」



 シェイラは正直にこたえた。



「わからない?」


「イディさんの〈導脈〉の魔力をさぐっていたら、いつの間にか知らないところに……」


「知らないところ?」



 なんだそれは、とイディオンは首をかしげる。

 かしげてから、聞き逃してはならない単語があったことに気がついて、シェイラを見る。



「〈導脈〉? ぼくに?」


「そうです。きちんと魔力もありました。青くて銀色のきれいな色でした」


「ばかな」



 自分のことなのに、イディオンは否定する。



「いえいえ、ありましたよ。ちゃんと{解析}しましたから、まちがいないです」


「ありえない。ぼくは、〈導脈欠損症〉だと言われた」


「そんなばかな」



 シェイラが今度は否定した。否定とともに、怒りが沸いてくる。



「だれがそんなことを言ったんです?」


「医術師と医療魔導師たちだ。ぼくは、数年前にそう診断されている」



 イディオンの言葉に、シェイラは額にぴきっと青筋が浮かぶようだった。久しぶりに、怒りを覚える。



「ありえません! 医術師ではないわたしでもわかることです!」


「シェイラ……」


「許せません。なぜ、そんな診断を。そいつら、だれですか。わたしがぶん殴ってきて差し上げます」


「……暴力はよくない」



 少しだけ後ろ暗そうに、イディオンがシェイラをたしなめる。

 それでも、シェイラは怒りが沸いてきた。腹が立つ。そう診断した魔導師や医術師たちに。



「シェイラ、落ち着いて」


「ですが……っ」


「落ち着いて、大丈夫。ぼくは気にしていない。今聞いて驚いたが、大丈夫だ。それよりも、知らないところって? どういうこと? そっちを教えて」



 なだめられて、シェイラは怒りを息を吐き出すとともに、どうにかおさめる。呼吸を思い出す。一、二、三……数えているうちに、怒りが凪いでいく。


(あとで調べてやるんですから)


 そんな適当な診断をしてきたやつらを。

 最後にそう思って、気持ちを切り替える。


 イディオンの問いに、答える。



「……雪原がありました。気づけば、そこに。たしかな感覚があって……もしかしたら意識だけ飛んでしまったのかもしれません」


「雪原?」



 どんな? と訊かれて、シェイラは見たものを語った。風景からものまで、広大に見えた世界について話す。

 そうすると、イディオンは黙り込んでしまった。


 しばらく考えてから思い出したように立ち上がると、棚からひとつ、なにかを取り出した。

 大きめの写生帳、だった。



「それって、もしかして……」



 言いながら、空き瓶に適当に入れられていた角墨(コンテ)を取り出す。


 それからシェイラが驚く速度で、ざっざっ、と風景を描きはじめた。まるで、シェイラと一緒に見てきたような鮮明な絵を、白黒で描き出す。奇妙なものたちもまた写実的で、色がないだけで、目の前にいるかのような立体感のある絵だった。


(イディさんは絵の才能もあるんですね)


 それは神童などと褒めそやされるわけだ。

 シェイラには、こんな絵を描くことはできない。



「──こんな感じだった?」



 あっという間に書き終えたイディオンに、シェイラはしっかりと肯いた。



「すごいです。わたしの言葉だけで、よくこんなに正確に再現されましたね。まさに、そんな世界でした」



 シェイラが答えると、イディオンはまたもや黙り込んでしまった。

 角墨で汚れるのも気にせずに顎に手をやって考える。


 シェイラもまた、一緒に考えはじめた。


 驚いてはいたが、ひとつだけ、思い当たることがある。調べなければわからない。今考えても、明快なものは得られない気がした。



「──イディさん、すみません、ちょっと今日はもう帰りたいと思います」



 シェイラが言えば、イディオンは顔をあげて肯いた。



「わかった」


「いろいろ調べて、また来週の福音ノ日にやって来ます」


「うん、ありがとう。……ぼくも調べてみる」



 イディオンの言葉に、シェイラも肯くと、その日は散会となった。

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