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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち  作者: 稿 累華
第5章:できそこないの王子──前編──

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71話:移ろい

 象牙の扉をくぐると、そこはたしかに、物が整頓されて、塵ひとつなくきれいに磨かれていた。窓布(カーテン)が開けられて、照り葉の明かりが、部屋全体を薄づいたばかりの紅葉の色合いに染めている。


 格子となっている上げ下げ窓を開けば、初秋の涼やかな空気がやさしく吹き込む。心地のよい気候だった。

 シェイラがうっとりと目を閉じ、まぶたで風を、鼻腔でにおいを感じていると、隣にイディオンの気配がやってくる。



「秋が好きなのか?」


「どうでしょう……気持ちがよいので、好ましいのはたしかです」



 シェイラは目を開いて答える。



「けれど、好きなのは秋だけではないです。四季の移ろいが好きなのかもしれません」


「移ろい?」


「はい。それぞれの季節が深まった時よりも、季節と季節のあいだの移ろいが。今だったら陽がのぼると、まだ夏の香りも少し残っていますよね? けれど朝とか、夕方は秋を感じる。そういう混ざりあった移ろいが好きです」


「混ざりあった移ろい」


「はい。わたしは小さな頃、旅芸人でしたから、はっきりとしたものよりも、移ろうものが好きな気がします。旅芸人は定住せず、移ろうものでしたから」


「……そうか」



 イディオンは感慨深げに窓の外を見やる。


 花ツバメが、秋の色に羽色を変えて、旅路の準備をしていた。南のほうへ向かうのだろう。



「人の気持ちや心にも関心があって、心ノ理学を修めましたけれど、それも人の心が定まるものではなく、移ろうものだからこそ、関心があるのかもしれません」


「定まった心は、いやなのか?」



 イディオンが不安げに見上げてくる。

 これからがんばろうと決心したばかりで、シェイラの発言に気持ちが乱れたのだろう。


 ゆるゆると首を振る。



「まさか。そんなことはありません。けれど、心が定まっていても、人とは時に揺れるものです。それも含めて移ろいで、すべてが尊いと思います」


「……そっか」



 イディオンは納得すると、下がっていった。

 片づけられて出現した、肘かけのある長椅子に腰かける。もたれて眠れるような意匠だった。近くの小卓から積まれている本を一冊取り出す。



「好きなだけ移ろいを感じてもらってかまわない。ぼくは、待っているから」



 シェイラは、その気づかいにくすくすと笑う。

 やさしい子だ、と変わらず思う。



「ありがとうございます。でも、大丈夫です。今日はイディさんのための日ですから」



 シェイラは言って、イディオンの前に跪く。



「腕をまくって観せていただいてもいいですか? さきほどお伝えしたように、少しさわらせていただきたいです」


「どちらの腕がよいというのはあるか?」


「利き腕のほうがいいかと思います」



 イディオンはこくりと肯くと、小卓に本を戻して、右手で左手の手釦(ボタン)を取る。そのまま、袖をまくる。

 細い腕だった。あまり食べてないのではないかと心配になるが、橈骨(とうこつ)のあたりは筋肉がついているようだった。


 そういえば、力が強かったな、と記憶から引っ張り出しながら、イディオンの腕を観察する。


(やはり、〈導脈〉の光は見られない……)


 それは、最初に観た時から変わりない。

 であれば、ふれながら感じる必要がある。



「失礼しますね」



 シェイラは、左手でイディオンの左手を取る。びくっとわずかな震えを感じつつ、気にせずそのまま、右手で手首のところをふれた。人差し指と中指をそろえて、脈より下の層をさぐる。


 どくどくっ、という血流のはやい流れと鼓動を感じる。

 観て取れないものを感じ取る。


 シェイラは、目を瞑ると、呪文をつぶやく。


(──{解析})


 長く息を吐き出してから、今度はすばやく息を吸う。

 そうすると、シェイラの銀色の魔力が活性化して、医療魔術の{解析}が発動する。吸った息が、シェイラのそろえた二本の指を通して、イディオンのなかに入り込むような、拡張した感覚を得られる。


 {解析}は、ヴェッセンダリアの十二老師の一人が作り上げた魔導だが、シェイラの使うそれは老師には到底及ばない。すごい魔導であるけれど、術者の練度によって精度が異なる。身体構造の細胞まで見抜くためには、老師ほどの熟練がなければ難しい。


(……ですが、そこまでできなくても問題ないです)


 シェイラは細部までさぐれなくていい。

 ふたつ、見つけられれば十分。


(……ありました)


 まず、ひとつ。それは、すぐに見つかった。

 シェイラの見立て通り。


 ──涸(か)れた〈導脈〉を見つける。


 やはり、あったのだ。イディオンにはきちんと、〈導脈〉が存在する。

 少し、ほっとする。


(〈導脈欠損症〉、ではありませんね)


 そういう症状がある。生まれた時より〈導脈〉がなく、魔法が使えない場合があった。

 そうだったら、そもそも元素魔術を扱うことはできない。そうでなくて、よかったと思う。魔力を宿す器官があるのであれば、手立てを考えられる。


 旧ユベーヌやノザリアンナの民は、もとより〈導脈〉を持たない。それゆえ、〈導脈〉に頼らない、まじないや呪術などの魔法に発展していった歴史がある。


 欠損はあるはずのものがないことを言う。魔法が使えないという結果は、ユベーヌの民たちと同じだが、理由が異なるのだ。


 イディオンは、どちらでもない。


(では次……)


 なぜ、涸れているのか。それをさぐる。


 涸れた河の源を探っていくように、シェイラはイディオンの〈導脈〉のなかを辿っていく。本来はあふれるはずの魔力の河はなく、ただ空洞だけが虚ろにある。

 歩いているようにも、泳いでいるようにも感じられて、ただ先を求める。


 ふいに、強い流れのようなものを感じた。

 うねりのように、ほとばしる力。


(これは……)


 魔力だ。青銀。縹と銀がちょうどとけあったような色の力。

 魔力を〈導脈〉に感じる。


(では、なぜ)


 なぜだろう。この魔力はどこへ行く。どこへ向かう。瞳のなかにもかすかに映って消え失せた魔力はどこへ。

 求めていると、シェイラは自分の体が突然、虚空の彼方に落ちる感覚を得た。


 落ちていく。

 急速に。

 高所より、吸い込まれるように、引力によって。


 抵抗を、しなかった。落ちるままにする。青銀の流れもまた、滝になって落ちていくようだった。シェイラは滝とともに、落下していた。


 そして、草卒に終わった。



「ここは……」



 長靴が、ざくっ、と踏む感覚を得た。

 シェイラの声が出る。けれど、その声は今踏みしめたものに吸い取られてしまったように、反響しなかった。


 ざくっ、ともう一歩足を踏み出す。



「──ここは、なに」


 

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