73話:星詠みの使い
「ねえ、ヴィック、大占卜師って?」
ヒバリがそうヴィクトルに尋ねたのは、聖女に与えられた居館から、中央宮殿へとつづく拱廊を歩いている時だった。複雑な迫持がいくつもいくつも天井に線を描く。柱廊からは朝陽が差し込み、初秋の城内に静けさをもたらしていた。
ヴィクトルとヒバリの靴音、つづく侍女や侍従たちの音が空間に響く。
「大占卜師は、星ノ国アベルの首長だよ」
ヒバリの問いに、ヴィクトルが答えれば、彼女は上目に考えながら、ふーん、と言った。
「つまり、星ノ国の王さまってこと?」
「まあ、そうなるね。ただ、オルリアとはちがって、その位は世襲ではない」
「じゃあ、どうやって決めるの?」
「大占卜師と言われるゆえんだ。占術の力が強い方が選ばれる。現在の星辰下は在位二百年の星詠みの賢者で、我が国のみならず、各国にその力をお示しになってくださっている」
へえ、とヒバリは相槌を打つ。
「じゃあ、ものすごく占いが得意な人が王さまになるのね?」
「そういうことになるね」
「すごい、夢がある! あたしも占ってくれないかな?」
ヒバリらしい発言に、ヴィクトルは笑った。
「なにを占ってもらうんだい?」
「恋占い」
「それはそれは……」
ヴィクトルは茶化して言う。
「私がいるのに?」
「えー、だって、ヴィックってばなー。ヴィックはなー。なー」
ヒバリはちらっと後方にぞろぞろと侍る人間を見て、ヴィクトルの耳元でささやく。
「べつに、そういうリップサービスはいらないんだけど」
「……ヒバリは往々にしてあちらの言葉で説明するから、時折なにを言われているのかわからない」
「あたしは、楽しくおしゃべりができればおっけーなの」
「なるほど」
全部理解できている気がしないが、ヴィクトルはとりあえず肯いておく。
「まあ、あたしとヴィックを見てもらってもいいけど、もしかしたら、すごい素敵な出会いとかあるかもしれないじゃない?」
「それは妬けるね」
「あー嘘ばっかり」
「私の婚約者だからね」
「じゃあ、素敵な出会いにうつつを抜かさないように、しっかりがっちりと掴んでおきなさい。あたしってば、大人気の聖女さまなんだから」
そう言って、ヒバリはにやりと笑うと、ヴィクトルから離れる。
「それで、その大占卜師……えっと、星辰下、の使いという方が、今いらっしゃっているということなんだよね?」
話が戻る。
ヴィクトルは首肯した。
「なにか、えらいお告げとかがあるの?」
「そんなところだね。星辰下が詠まれる星、というのは規模の大きい先々のことであることが多い。たまに、こうして使者を通して各国に注意を喚起してくださったりするのさ」
「……じゃあ、今回もよくない報せなんだ」
ヒバリは、顔色を少し悪くする。
平和でおだやかな世界から来た彼女にとって、想像のつかない漠然とした不安なのだろう。
ヴィクトルはその手を取ると、自分の肘に誘導した。かけた上の手から、もう片方を重ねてやった。
大丈夫だ、と安心させるように。
ヒバリは、ぱっと顔をあげて栗色の目をヴィクトルに向けると、すぐに顔を下ろした。なされるままになる。
「そもそも」
ヴィクトルは安心させるようにしながらも、無情なことを告げる。
「聖剣使いと聖女というのは、安楽な時宜に選ばれ、召喚されるものではないんだ」
「……うん」
「これまでも必ず、聖剣使いが選ばれる時や、聖女が喚ばれた時には、サージェシアで大きなできごとが起きる頃だった」
「……じゃなきゃ、そんな神秘に頼るほどでもない?」
「そうともいう。すでに君も知ってのとおり、初代の聖女が降臨されたのは、千年以上前の魔導大戦がきっかけだ。大陸中に〈魔導霧〉が包まれはじめたのもこの頃」
「うん……」
「初代聖女は異界より聖剣を持って降臨し、その剣で魔導師オルリアや、魔導師ガルバーンとともに、魔導大戦を平定した」
「すごいよねえ、初代聖女さんって。あたしと同じ異界から来たのに、行動力半端ないよ」
ヒバリの言葉に、ヴィクトルは苦笑する。
「……初代聖女が遺した聖剣が、次の代の聖女を喚ぶ触媒となり、このサージェシアを守る剣と盾になる。──必ず聖剣使いと聖女にはその役割が求められる」
ヴィクトルは、舌が勝手に動くのに任せて、運命づけられた道のりを口にする。
「私と君は、そういう魔術機構の歯車の中心だよ」
「……たいそれた話だよね、それ。こんな一介の人間になにをさせるんだか」
つぶやきに、ヴィクトルも同意だった。
聖王家に生まれ、聖剣に選ばれただけでしかない自分が、たいそれた人間ではないことは一番わかっている。たまたまそうだったにすぎない。
おそらくヒバリも同じようなことを思っているのだろう。
ヴィクトルは無言で、目顔だけで共感する。
「では、聖女さま、私たちの道のりが、この先のなににつながっているのか聞きにいこうか?」
「よろしくお願いいたします、あたくしの聖剣使いさま」
ヒバリがもう一方の手も肘にかけてきて、あまえるように首を肩に乗せてくる。
そのまま、宮殿へと足を運び入れた。
外からの使者をもてなす謁見の間が近くなると、ヒバリはヴィクトルから離れて、緊張した面持ちで背筋を伸ばした。
白い麗裙に、紅玉の肩留めで薄紗の外套をまとう姿は、あでやかな黒髪が映えて、神々しい。聖女という肩書きにふさわしい衣装を、ヒバリは身にまとっている。
(私もか)
紅の外套に、真白の儀礼用の礼装、常には持たない聖剣をこれみよがしに剣帯に挿しているさまは、いかにも聖剣使いだ。
──反吐が出る。
ヴィクトルは、舌の根で苦玉を潰したような心地を得ながら、謁見の間の大門をくぐった。
十角の広間だ。中央奥の壇上に豪奢な玉座、隣に聖王妃の肘かけ椅子、それぞれの斜め後ろに広がるように、また別の肘かけ椅子。──ヴィクトルとヒバリの座す場所だ。
ヴィクトルは父なる聖王と、母なる聖王妃に礼を取る。ヒバリも横でならった。
そうすると、互いの椅子を示された。
赤実ヒイラギと白ヤドリギの意匠が背もたれに装飾された、古い木彫りの椅子だ。代々の聖女と聖剣使いが腰を下ろしてきた、座り心地の悪い椅子だった。ヴィクトルは父王の横に、ヒバリは王妃の横にあるその椅子に腰かける。
まもなくして、星ノ国アベルの使者が迎え入れられた。
山岳国の長外套に額飾りが、アベル国のものであると、一目でわかった。
「──聖王陛下、ならびに聖王妃殿下、また現し世の聖女聖下、聖剣使いなる王太子殿下に、アベルの星のまたたきのうちにご挨拶を申し上げます」
使者は仰々しく、壇下に額飾りごと額づいてひれ伏した。山岳の色である灰色の長外套の裾が広がる。
父王は鷹揚に手を振った。
「面を上げよ。アベルより長き旅路、星詠みのあり方に敬意を払う。そなたの来訪を歓迎する。星辰下の御言を運び終えた労は、オルリアの聖地にて癒やされよ」
「感謝申し上げます」
顔をあげた使者は、女であった。目尻や口周りのしわが深く、歳を刻んだ星詠みの使者であるようだった。
ちらっと横から、ヒバリの視線がヴィクトルによこされる。
アベルより長き旅路とはなにか、疑問を覚えたらしい。
(あとで説明しなければな)
星都アベルは、オルリアより南西に位置する。険しい山岳地帯に囲まれるようにしてあった。
その都より、大占卜師の使者として来たる星詠みは、必ず徒歩にて詞を運んだ。サージェストの弟子である魔導師アベルが、国を樹立してよりこの方、{転移}は使われていない。
山岳の正しき路を歩むことによって、占卜の力が高まると信じられてきたからであった。
「さて、早速だが、そなたの務めを果たしてもらいたい。
──星辰下は、いかなる星を詠まれたのだ?」
父王が待ち切れない様子で訊いた。
おそらくは、この場にいるロゼイユ公をはじめとした十の大貴族たち、総主教に連なる十の枢機卿たちもまた、父と同じ心境であっただろう。母妃は興味のなさそうな顔をしていた。
ヴィクトルとヒバリだけは、告げられる詞に心ノ臓を構える。
「──申し上げます」
それから、たっぷりとおそらく十秒程度の間があった。
星詠みの使者は、間を取ることで、大占卜師の詞に重みを持たせるように告げる。
「──四、五年のうちに、〈霧の厄禍〉が参ります。
聖女さま、王太子殿下は、来たる厄災に備えていただきますことを願い奉ります。聖教会には、お二方の足となりますことを助言申し上げます」
謁見の場が水を打ったように静まりかえる。
また、と星詠みの詞はつづけられる。
「今回の厄災には、〈蟲〉どものみならず、魔女の使い魔の動きも活発になると、星辰下は詠まれております。前回……数百年前の時と同様に、〈魔女の騎士〉の動向も注意されよ、と申していました。
──以上が、大占卜師星辰下のお詞でございます」
言って、星詠みは深々と頭を下げた。
場の不気味な静けさは保たれたままだった。
「……しかと星辰下の予見を受け取った」
父王が沈黙をやぶって、使者に述べる。
「大義であった。今ほど告げたとおり、しばし我が国にて休息を得られよ。そののち、帰路につくがよい」
「ご高配に感謝いたします」
星詠みの使者は慇懃に礼をすると、侍従官に案内されて、謁見の場をあとにしていった。
使者が辞したのちも、場は黙したままだった。
「──陛下、発言をお許し願えますか」
口を開いたのは大貴族のうち、ロゼイユ公──シェイラの実父であった。
聖王の許可する視線が向く。
「〈霧の厄禍〉が予見されているなかですが、まもなく予定されている聖女さまと殿下のガルバディア表敬訪問はいかがなされますか?」
「特に問題なかろう。予見されているとはいえ、数年後のこと。今回は、かの女王の在位六十年を記念する式典や祭事もある。厄災に備えるのであれば、女王との縁は強いに越したことはない。ヴィクトルと聖女には予定通り、訪問してもらう」
懸念することなどひとつもない。父王は言い切った。
ちらっとロゼイユ公と視線が交錯する。
(わかっている)
数ヶ月前に諌められたことを、ヴィクトルは忘れていない。
(……彼女と会うような機会はない)
決して、ありえない。
──立場がもう、異なるのだから。




