5話:観察
シェイラは、まずはじめに、中庭で開かれる体術の授業を観察することになった。
担当教師は体術の専科。四十から五十くらいの背幅のがっしりとした筋肉質の男だった。長外套を羽織っておらず、あまり見たことのない道着姿で、足は裸足であった。
(斎王国の方、でしょうか)
シェイラが修養しつづける瞑想もまた、斎王国からやってきたものだったけれど、師のガザンと異なり、その地を知らない。
興味深かった。
(いけないです、いけないです)
頭のなかで首をふる。今日はユートを観に訪れているのだ。己の焦点を切り替える。
体術は、まず走ることからはじまった。色々な型を取ること、組むことが中心だった。
走っている時にシェイラに気づいたユートは、満面の笑みで手を振ってくれた。
「このあいだの先生じゃん!」
きゅんっ、とする。
(なんてかわいいんでしょうか……!)
体全身を全力で動かして、気持ちよさそうだ。
「持久力があるんです、あの子」
走るのは得意だと、隣のキルシュ師が言う。
シェイラはそのユートの様子を、じっと観た。
特に、筋肉、関節、体の平衡感覚、肩や腰からの四肢、指先までの、流れや動きに目を凝らす。ユートは、全身に力を込めて走っていた。
思考が活性化する。無意識に考える時のくせが出る。人差し指で耳飾りを弾く。
次は、格技。
今後、学年が進めば、魔法や魔術での実践や、飛翔試合などのあらゆる基礎になる。なめてはいけない。
その格技も、シェイラは熱心に観る。ひとつの動きも逃すことなく。
「……やっぱり」
シェイラがつぶやくと、キルシュ師が怪訝な目を向けた。
あえて、なにも言わなかった。
体術の様子だけでは明確に判断できない。
「このあとは算術でしたっけ?」
「ええ、そうです」
キルシュの返事を受けて、シェイラはひとつ注文を追加する。
「今日は予定があるので、算術までしか見られなそうです。来週の〈風ノ日〉、初級魔法の実践を観ることはできますか?」
「はい、もちろんです。むしろ、ぜひお願いしたいです」
危険な時間でもありますので、とキルシュ師が苦笑する。
(たしかに危なさそうです)
今日の体術の様子を見ているだけでも、それはわかる。
(さて、算術はどうでしょうか)
指先を使うのだ。予想はできる。
「──ああっ、やってらんねえよっ」
ユートがそう言って、写本中の本を投げた。投げた拍子に墨壺が転がる。どばあっ、と墨が石床に広がった。
算術の授業は、ただ算術を行うだけではない。教本からの写本が多い時間でもある。計算尺などの道具を使う日であれば、ユートは楽しいだろう。けれど、写本の時間は苦痛にちがいない。
算術でならう写本は、中等部以降に学ぶ魔法陣に通じる。丁寧な写本が求められ、貸し出される墨も、魔法の力を発現させる高価なものだ。
北部雪スズメの羽。
東部砂岩に落ちる貝殻。
西部マイスリー医術国から参じる魔獣の血液。
さらに、南部ヴェッセンダリアとの海峡断崖に咲くベラリアの花。
それらを一緒くたに鍋に加えて、竈で三日煮る。煮終えて濾した液と、竈の底に付いた煤、さらにオルリア聖王国に生える針葉樹の樹液を混ぜることで、墨となる。
この墨で記した写本は、完成すると、学徒の脳裏にすべてが記憶として刻まれる。
ヴェッセンダリアが認める、最高峰の魔導のひとつだった。
(……ただし、算術の暗記に限られますが)
ユートには、関係ないだろう。椅子を蹴り飛ばし、だんっと長机を拳で叩く。周囲の子たちが怖がって身を引く。ひそひそとユートを見る。
シェイラは予想していたことが起きて、確信めいたものを得た。起こることが予期できていただけに、少し罪悪感がもたげる。
「ユートさん!」
キルシュ師が怒鳴って、ユートに油をそそぐ。
きっ、と毛を逆立てた猫の目になった。
(もう、限界ですね)
シェイラは動く。ユートに声をかける。
「少し、休憩しませんか? こっそり、お話の時間にでもしましょう」
片目で目配せをすれば、ユートの猫目が少しやわらぐ。小さく、肯く。
「──キルシュ師、ちょっと休憩してきます」
なにも言えなそうなユートに代わって、シェイラは声をあげた。キルシュが戸惑ったように瞳を揺らして、ひとつ、肯く。
他の子どもたちから、シェイラは怪訝な眼差しを向けられる。けれど、キルシュが許可するのを見ると、一人ひとり写本に戻っていった。
シェイラはユートに笑顔を向ける。皆の邪魔にならないように、「行きましょう」と小さく声をかけ、教室をあとにした。
教室を出てすぐに、ユートはひらりと三階から飛び降りた。階段から数段降りるような気軽さで身を翻すので、シェイラは度肝を抜かれる。
(着地する時の衝撃を感じにくいのかもしれませんね)
これまた仮説に合致すると思いながら、シェイラも三階から一階まで飛び降りる。翅を用いずに、着地時の衝撃を緩和させる大地の魔法を施した。
ユートはもう、生き物を探していた。シェイラも歩をそろえる。
きらきらと輝いている目には、さきほどのいらだちは雲散したように見えた。
「ユートさん、ちょっと聞いてもいいですか?」
テントウムシを探しながら、シェイラは何気なさを装って尋ねる。
「いいよ」
ユートはアブラムシを探しながら軽快に言う。
「ありがとうございます。──ユートさんはもしかして……写本をしている時に、腕がひどく疲れたり、指先がじーんとしたり、肩がかちこちになったりしませんか?」
シェイラが尋ねて一匹のテントウムシを探し終えるのと、ユートがばっと振り向いたのは一緒だった。
青色の目が、こぼれ落ちるのではないかと言うくらい見開かれる。
「なんでわかんの?」
心底、びっくりしたような顔だった。
「今まで、だれも信じてくれなかったのに」
「それは……いやでしたね。腕が疲れたりしたら、書くのいやですよね。まちがえると面倒ですし」
わかりますわかります、とシェイラが言うと、ユートがにじり寄ってきた。
「先生って……おれと会ったの二回目だよね? 心でも読めんの?」
「いえいえ、読めません。観察することは得意ですが、心を読むことはできません」
答えると、ユートは興味をなくしたように、ふーん、とだけ言った。またアブラムシを探しはじめる。探しながらも表情は少しほっとしているようだった。
「もう一個、いいですか?」
シェイラが聞くと、ユートは明るく許諾してくれる。
「ちょっと、腕をまくって見せてもらえることできます? 少しさわって確認もしたいです」
ユートは一度きょとんとしてから、すぐに長外套の下の袖を見せてくれた。利き手のほうだったので、ちょうどありがたい。
シェイラはその腕を、観た。
観て、それから人差し指と中指をそろえて、腕の表面にふれる。
どくんっどくんっ、という鼓動の感覚が指にふれ、そして、シェイラの目にはユートの青色の瞳と同じ流れが見える。
魔力の流れであり、魔力を生む器官──〈導脈〉が賦活しているのをたしかに捉えた。
だが、流れがあまりにも荒々しい。
(これですね)
シェイラは仮説が引き結ばれるのを感じる。あとは、ユートが実際に魔法を使っている場面を見れば、証明は得られるだろう。
「ありがとうございます」
シェイラが礼を言えば、ユートはなんでそうしたかは疑問に思わないようだった。
ふたりでテントウムシとアブラムシを探し合って、テントウムシがほんとうにアブラムシを捕食するのか実験して、算術の時間は終わりになった。




