4話:キルシュ師の困り
「先日は、初日からのご対応をありがとうございました」
渋々といった様子で、キルシュ師はシェイラに礼を言った。
〈風ノ日〉だった。シェイラは朝から首都魔法学園の校門をくぐり、こうしてキルシュ師と向かい合っている。
キルシュは、シェイラの姿を上から下まで眺めて、見下ろす。耳に目を止めて、最後にぴたっとシェイラの両手指を見る。
視線から、なにか思うところがあるのだろうと思った。シェイラの低い背、揺れる瑠璃の耳飾り、すべての指にはまった指輪。
いろいろと思われてもおかしくない。
(この先生の相談に乗れるでしょうか……)
遠慮のない、キルシュ師の評価する視線に、シェイラは早くも気持ちが萎えそうになった。
「この時間、私は空き時間となるので、よろしければこのままお話を」
「あ、はい! よろしくお願いします」
ぺこりと、シェイラが頭を下げると、キルシュ師から睨まれる。
あきらかな年下に、さぞや思うことがあるにちがいない。
教導館の空き部屋だった。飴色になった木組みの椅子と円卓が、この学園ができた時間を感じさせる。
隅に、シェイラとキルシュ師で座った。キルシュ師が筆記本を出したので、シェイラもまた鞄から筆記本を出す。
「──それで、どうでしたか?」
キルシュ師に開口一番に問われて、シェイラは面食らった。
えっ、と詰まる言葉が出てきて、シェイラはおずおずと提案する。
「あの……、自己紹介をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「……そ、そうですね。失礼しました。キルシュ、と申します。教導師です」
教導師、ということは教師よりも上の立場だ。
シェイラはなるべく愛想のいい笑みを浮かべた。表情全体を意識する。目尻や口角の筋肉を特に気をつけた。
「シェイラータです。シェイラとお呼びください。ヴェッセンダリアの導師です」
キルシュの目尻がぴくっと動いた。導師、という言葉に反応したのだろう。
導師は、魔導大学府の研究員のなかで、特定の功績をあげたものにしか与えられない称号だった。導師の次が準師、そして老師となる。教師や教導師は、魔法学園や魔術学院でしか教鞭を取れないが、導師は大学での教鞭を取ることができる。また、教師や教導師を指導できる立場でもある。
自分よりも年下の若造が、と思われたにちがいない。
シェイラもそう思うので、話をつづける。
「まだまだ未熟者の導師です。今回も、師から学るよう遣わされてきたので、キルシュ師からも学びたい気持ちでいます」
「……シェイラ師は、なにを専攻されていたのです?」
シェイラがにっこりと微笑めば、キルシュ師からの剣呑さは少し取れた。興味と思しき問いがある。
「最初は、魔法全般を貪るようにしていましたが……、今の師に師事するようになってからは、心ノ理学と瞑想学を学んでいます」
「今の? 前に師事されていた方がいらっしゃったのですか?」
「はい。おりましたが、亡くなりまして」
シェイラは、できるだけ、からっと言った。からっとを意識した。
大丈夫。違和感はないはず。こういう時に備えて、何度も練習してきたのだから。
「……そうでしたか。お悔やみ申し上げます」
キルシュ師が、しまったという顔をしながら、すかさず大人の対応をする。それ以上のことは聞いてこなかった。
「──それで、いかがでしたか?」
これ以上、初対面のシェイラに突っ込んだことを聞いてはいけないと判断をしたのだろう。話題がもとに戻った。
「いかが、というのは……?」
シェイラは小首をかしげた。一緒に薄色の髪がこすれて重力に従う。
「ん?」
「はい?」
キルシュ師とシェイラの疑問が重なる。
なにか共通認識を取れていないことがあるらしい。
シェイラは念のため、遣わされた経緯を一通りキルシュ師に話した。終えると、キルシュ師から盛大な溜息が聞こえた。
「まったく、学園長ですね。説明を省いたのは」
「わたしがてっきり確認を忘れたものかと」
「おそらく異なります。シェイラ師は悪くありません」
「よ、よかったです。俸禄をもらうのに、自分の仕事もわかってなかったので、ユートさんからも笑われてしまいました」
「……ユートと、そんな話をすることができたのですか?」
「あ、はい。仲よくなりたかったので、自分の立場をありのままに話しました。そしたら笑ってくださって、わたしがクビにならないために一緒にいてくれると。いい子ですね!」
「……そうでしたか」
キルシュが、シェイラの話を聞いて、思い悩んだように口を噤む。しばし黙ってから、再度口を開いた。
「ユートと過ごしてくださって、ありがとうございます。私だと、そうはいきません」
キルシュは、はじめてシェイラの双眸をまともに見てくれた。シェイラもまた、目尻にしわが刻まれたキルシュの黒い瞳を見返す。
キルシュが言葉を継いだ。
「……シェイラ師の仕事に関係するお話なので、まずはそこからお話をしましょうか」
「ありがとうございます。お願いします」
ぺこっと頭を下げると、キルシュは、シェイラの仕事について事細かに話をしてくれた。
──学校教師の相談役。
想像と異なったのは、授業の相談ではなく、通常の方法で教えてもできない子どもたちの相談ということだった。
シェイラは聞き終えてから、瑠璃色の瞳をぱちぱちとさせる。
「やることはわかりました。けれど、すぐに、どうのこうのできることでもなさそうですね。まずは対象の子どもたちを知りませんと。仲よくならないといけないですし」
「……ユートは問題ないでしょう。一日で親しくなることができたのは、体術の教師に加えて、シェイラ師がふたり目です」
「キルシュ師は、ユートさんとの関わりに悩んでいらっしゃるのですか?」
先日の様子や、さきほどの表情や言動から答えは明白だったが、シェイラはキルシュの意志を確認したくて尋ねた。
数秒して首肯される。
「……はい。私と彼はどうも相性が悪いようです。このあいだは、まだいいほうです。すぐに教室を出て行ってしまうこともありますから」
「なるほど……」
シェイラは人差し指で耳飾りをさわる。
ユートが出ていく前後のやり取りは観察していた。要因があまりにも明確すぎて、この場で、はっきりと言うのは憚られた。
なにせ、はじめて話す大事な場面だ。
年下のシェイラが言っていることを、キルシュ師に受け入れてもらうためには、まずシェイラとキルシュが仲よくならなければならない。
はっきり言うことはやめて、人差し指を下ろす。
「関わり方以外に困っていることはありますか?」
「そうですね……先日のように、静かにしなければいけない時間に独り言を言われるのは気になります。子どもたちの集中の邪魔になりますから」
静かにしなければならない。
キルシュが静かにしたいのだ。
──少しくらい、騒がしくてもいいじゃないですか。
言うのはたやすい。キルシュの教室に来る前に見た学環崩壊の例もあるから、匙加減が難しい。
本来であれば子どもたちを見ながら調整していくところだが、一律に静かにすることを学環の規律にするのは悪い判断ではない。……よい判断とも言えないけれども。
「……わかりました。それ以外にありますか?」
今日は余計なことは言わない。
「はい。──実はユートは……その、魔法がうまく使えないのです」
これが一番困っているかもしれません、とキルシュは言った。
「うまく、使えない?」
「はい。まったく使えないわけではなく、制御できないのです。ユートは……このガルバディアでも名門に当たる、四大元素魔術の家門出身ですが、制御がうまくいかないのです。おそらく、ユートも日々のいらいらが溜まっているのだと思います。先日も、突然怒りはじめたのは、自信のなさから来るものかと。名門出身ということで、家庭内での重圧もあるにちがいありません」
先日の一番の原因は、このキルシュ師の関わり方にちがいなかったが、シェイラはなにも言わない。キルシュ師に、ただ相槌だけを打つ。
「なるほど……それはたいへん興味深いですね」
無意識に、人差し指で耳飾りをなでる。
うまく使えない、というユートの気持ちが、すうっと入り込んでくるようであった。
シェイラもまた、かつては魔法や魔術を、一切使えなかった。
周りが使えて、自分だけが使えない。
どれほど、苦痛を覚えることだろうか。
額の裏に、かつて別れた人影が思い浮かんで、シェイラはかぶりを振った。
(いけません)
シェイラは切り替える。要因を探るために、キルシュに問う。
「……うまく使えない、制御できない、ということは、まったく使えないというわけではない、という理解で合っていますか?」
「ええ。力を暴発させてしまうのです。実技を行うと、その炎が爆発的に出て……他の子どもたちも怯えています。ユートが悪い子ではないというのは、私はもちろん、他の子どもたちもわかってはいるのですが、座学での乱暴な行動、さらに魔法の暴発で、悪い印象ばかりが刻まれてしまって……」
(それは先生がそういう態度をみんなの前で取るからです)
思った言葉をシェイラは呑み込む。
「理解しました」
しっかりとキルシュに目を向ける。
「今のお話から、なんとなく日々の行動の要因や魔法をうまく制御できない仮説はできましたが、そうですね……もう少し観なければ、はっきりとは言えません」
「このあと、来られますか……?」
キルシュの期待がこもった眼差しに、シェイラはこの一時で少し信頼してもらえたのだとわかった。
微笑を返し、肯く。
「仮説を証明するためにも、今度はべつの……体術と、それから算術か文学、なにか書字を行うような授業を観ても良いですか? 本人がいらいらするようだったら、わたしが一緒に気分転換に付き添います」
「それはありがたいです。見てもらえると助かります。体術は本人の得意科目なので、とても生き生きとしているかと思います」
キルシュが笑った。
詰まった黒髪に厳しい目をしていて、なおかつ授業もあまりにもつまらなかったから、この人は教えることや子どもが好きなのだろうかと疑ってしまったけれど、ユートの得意科目を語る表情は真実だった。
シェイラの気持ちもほがらかになる。
「ありがとうございます。そうしたら、ではそのように、お願いします」




