41話:ターニャの育ち
「──大地の魔法を見せてほしい、ですか?」
ターニャの困惑が部屋に響く。
話していたのは、あの物置きのような部屋だった。標本瓶に入った〈臙脂虫〉の赤い染料は、まだ以前と変わらない量が残っている。
貴重なのだ。
貴重で、染料として優秀だ。布を美しい紅に染め上げるだけでなく、染め上げた糸や布への触媒としての効果を高める。
先染めか後染めかでかかりやすい魔法も異なる。
シェイラの葡萄色の長外套は、この〈臙脂虫〉の赤と、瑠璃の青の染料を用いている。先染めによる糸を使い、機織りの魔法で織られている手の込んだ品だった。
シェイラがエシア砂金で作った腕環を贈った時に、お返しにともらったものだ。思い出の、品だった。
「どうしても、見せなければいけませんか……?」
シェイラが思考にふけっていると、ためらいから戻ってきたターニャが訊いた。
シェイラは、図書ノ塔で調べた内容を踏まえて、ターニャに提案していた。
大地の魔法や魔術を呼び起こしているところを、セレリウスに見せてやってほしい。呼び起こしている感覚を、なるべく言語化してほしい、と。
「なにか、気にかかりますか?」
この場にフェノアはいなかった。
シェイラとターニャだけだ。
ターニャのためらいの理由を、シェイラは聞いてみたかった。
「……見られたく、ないんです」
ぽつりと、ターニャが答える。
「見られたく、ない?」
シェイラは首をかしげる。
「簡単すぎる魔法しか使えない、とかですか?」
訊きながら、それはないだろうと内心で首を振った。
シェイラから視えるターニャの〈導脈〉に滾る魔力は、かなり強い。修練を積めば、魔導師になりえるかもしれない──強い輝きを持つ〈導脈〉だった。
「……いえ、その、」
ターニャは、またもやためらう。
間ができる。
シェイラは、ターニャの間にあるものを一緒に味わうように、待った。
「…………目立ち、たくないんです」
「……目立ちたくない」
繰り返せば、こくりとターニャが肯く。
「目立つと、噂になりますから……」
「噂になるというのは、教師たちのあいだで? それとも、子どもたちのあいだででしょうか?」
「……どちらも、かも、しれません」
「…………」
ターニャの琥珀の目がしどろもどろする。
あまり聞かれたくない。けれど、聞いてほしい。
移ろっている、ようだった。
「ターニャ師がよければ……、その理由を、もう少し詳しく聞いてもいいですか?」
シェイラは、慎重に、言葉を選びながら、尋ねる。
ターニャのなかにはまだ抵抗が残っているようだった。シェイラが硝子を渡るようにして待っていると、肯かれる。
「……こんなこと、今回の相談には関係ないのかもしれませんが」
──わたしも孤児なんです。
ターニャの声が、高く声が響いた。
「そうなんですね」
シェイラは表情を変えなかった。
なんら驚くことはなかった。このセゾンでは地域がらもあって、痛ましくも、珍しいことではなかった。
「……セレリウスとはちがう孤児院ですが、私も……孤児院で育っています。生まれた時からそこで育ちました」
「どういった施設だったんですか……?」
「大規模な、施設です。何十人と親を失った子がいるような……」
「そういう施設は多いですもんね」
「はい……だから、私は、ふつうの子が、ふつうの家族のいる子が、どういう生活をしているのか知らないんです」
何十人規模で育っている子と、数人や、祖父母を合わせても十人程度で育っている子であれば、生活の仕方はまったく異なるだろう。
(わたしも、そういえばそうでした……)
旅芸人の頃の生活と、貴族であるロゼイユ家での生活はまるでちがって、困惑の毎日だった。
「──シェイラ師は、乳瓶といえば、どういう大きさをまず想像しますか?」
唐突に、ターニャに問われる。シェイラはきょとんとする。
底に陣が施されている乳瓶を思い浮かべて、前腕ほどの大きさの乳瓶を靄で描いた。
ターニャは苦笑する。
「私のふつうは、これくらいです」
言うと、人の上半身はある大きさの四角を両手で表した。
シェイラは驚く。
驚いてから、大規模施設で生活していると、それくらいの大きさが必要なのだろうと理解に至った。
「……まだ、初等部にいるような子どもの頃、はじめてシェイラ師の言うような瓶の大きさを見た時、私びっくりしたんです。子どもだったから、びっくりしてそのまま声をあげて、『こんなちっちゃなのあるんだ!』って言ったんです。そしたら、周りからすごい笑われました。お前んち、牛と同じくらい飲んでるのかって、男子からからかわれました。……すごく、とても恥ずかしくて……いやな思い出です」
「……それは、いやですね。とても」
「はい……。でも、そのあと、もっといやなことがありました」
「もっと、いやなこと」
なんだろう、とシェイラはターニャを見る。
ターニャの琥珀のなかには、その貴石のなかに蟲が何百年も閉じ込められているように、苦痛が閉じ込もっていた。
「その日、院に戻って、恥ずかしくてつらかったことを出勤していた育司士に伝えたんです。いやだったって。そうしたら、その人は、学園で面倒なことは起こすな、って。目立つようなことをするからだよ、って言ったんです」
「…………」
「国の金で育っているんだから、目立つことをするなよって言われました」
シェイラは知らず、顔が歪んだ。
言われた当時のターニャの気持ちを考えると、言葉にならなかった。
静かにターニャの言葉を繰り返す。
「心が……、痛いです」
「……だからです。あんまり目立っちゃいけないって思って。周りをすごく見るように、自分の発言も気をつけるようになりました。……セレリウスくんとは、反対です」
ターニャが苦く、笑う。
シェイラはなにも言わず、うっすらと同じような笑みを返した。
そうすると、ターニャは言葉をつづける。
「学院に上がって、査定を受けた時、自分に大地の魔法の素養があるとわかって、驚きました。驚く以上に、あんまり皆に知られないようにしようと思いました」
「大地の魔法が、元素魔術のなかで、最大の魔法と言われるから、ですか?」
「そうです。そんな魔法使って、目立っちゃだめだなって。もう十四にもなれば笑う子なんていないはずなのに、目立ってはいけない、気を付けなければいけない、というのは私に染みすぎてしまっていて……」
少し話したからだろうか。ターニャは少しだけつかえが取れたような表情をしていた。
こういう苦しみを、もしかしたらだれにも話したことがなかったのかもしれない。
「……話してくださって、ありがとうございます」
シェイラは、ほんとうにありがたくそう言う。
そういう育ちがあるのであれば、目立ちたくないのは当然だ。シェイラの提案は、無理な提案だったかもしれない。
けれど、気になって、もうひとつ尋ねた。
「いやな思い出がある学校なはずなのに、教師を目指されたんですね」
「あ、それは……」
ターニャが揺れるように言葉を濁して、だがさきほどよりもすぐに言葉としてまとまって返された。
「恩師のような教師になりたかったからなんです」
「恩師、ですか」
「はい。魔法の結果が出た時も、その恩師はとても喜んでくれました。出世できるわよって」
その時のことを思い出したのだろう。
ターニャは、照れたように笑っていた。いい笑みだった。
「その先生は、こちらの学院にはいらっしゃらないんですか?」
なんの気はなしに、シェイラは訊いた。されど、ターニャはさっと顔を青くした。
「……いえ、その……師は、亡くなりました。去年の忌月ノ休暇中のことです」
シェイラは答えを聞いて、しまった、と思った。
今までの空気を台なしにしてしまうような流れだ。
「……それは、お気の毒に」
「…………」
ターニャの表情がくしゃりとなる。たえるようにまぶたを閉じる。
シェイラは言葉を連ねなかった。軽薄な慰めの言葉を口にしたくなかった。
ターニャが言う。
「……蟲にやられたそうです」
「忌月の期間ですもんね……」
その二ヶ月は、霧が増える時期だった。自然、死者も多くなる。盛夏ノ休暇とは異なり、街なかの人出も少なくなる時期だった。
「──〈雲虹〉に喰われたそうです」
つづけられた言葉に、シェイラは、ひゅっ、と気管が滞った。
「うん、こう……」
「はい。たまたまの出勤日に……」
極彩色の怪鳥。
あの目のない、丹頂に。
シェイラは言葉を継げなかった。
〈導師〉という立場を忘れ、シェイラ自身が沸き起こった己の恐怖の記憶と向き合った。
──〈雲虹〉は、シェイラから母を奪った蟲だった。
シェイラの前で、シェイラをかばって、母は〈雲虹〉に喰い散らかされたのだった。
遠い記憶に引きずり込まれる気がした。
いつも意識している呼吸が、止まる。恐怖が足から駆け巡りそうになって、ふと、視界に赤紫の長外套が目に入る。
もうひとつの記憶が、鮮やかに色彩を思い出した。




