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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち  作者: 稿 累華
第3章:空気の読めない孤児──前編──

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42話:葡萄色の長外套

「──ラータを、こわい記憶から守ってくれるように、そう祈りを込めた」



 彼は──ヴィクトルは、調律の取れていない竪琴のような声をしていた。声変わりの時期だったのだろう。

 言って、両手に乗せた衣を差し出す。



「長外套(ローブ)……ですか?」



 シェイラは受け取って広げる。ふわっと、エリスの根のかぐわしいにおいがする。

 赤紫の葡萄色のきれいな色だった。織りに光沢があるのに、紬糸(つむぎいと)を用いているようで、あたたかみのある布地だった。


 ──手が込んでいる。


 そう、すぐにわかる代物だった。



「うん。魔導師になるなら、いつもまとうだろう? 守りのまじないなら、いつも使うものがいいと思って」


「これ、いくらしたんですか?」



 シェイラは貧乏な旅芸人上がりだったので、ついそんな無粋なことを訊いた。

 ヴィクトルは、気分を害した様子もなく、紅玉の瞳にやわらかく弧を描く。



「費用はかかっていないよ」


「あ、もしかして、王族圧です?」


「失礼だな。……私が一から作ったから、かかっていないんだよ」


「へ?」



 シェイラは思わず、間抜けな声が出た。

 言うつもりなかったのに、とヴィクトルは少し恥ずかしそうに、けれど、少し知ってほしそうな顔で、そっぽを向く。



「……これ、トールが作ったんです?」


「そう」


「まさか、糸から?」


「そう、糸から」


「糸を撚るところから?」


「うん。それから、染料も自分で取ったよ。瑠璃(ラピスラズリ)はそんなに大変じゃなかったけれど、〈臙脂虫(えんじむし)〉を見つけるのが大変だったなあ」


「…………」


「機織(はたお)りも、はじめてだから最初失敗して。少し糸を無駄にしたけれど、多めに用意しておいたからなんとかなった」



 工房の職人に手伝ってもらえばよかったのに。

 シェイラは、なんとも言えなくなり、長外套を見つめる。指で、ぎゅっと、布地を握り込む。



「……怪我はしませんでしたか?」


「ん?」


「〈臙脂虫〉を取る時に、怪我はしませんでしたか……?」



 弱くても蟲ですから、とシェイラは消えるように訊く。



「してないよ」



 ヴィクトルは、竪琴の中低音を鳴らす。



「怪我していない。これがあるから、大丈夫だったよ」



 重ねて、左手首の腕環(バングル)にふれる。

 金の、紅いファル石のはまった腕環。

 シェイラが、ヴィクトルにあげたもの。



「君のまじないが守ってくれてるから」


「……そう、ですか」


「うん」



 しっかりと肯かれる。

 シェイラが気にしていることを安心させるように。



「……王子さまって、そんなに暇なんですか?」



 恥ずかしくなって、誤魔化したくなって、シェイラは問うた。

 ヴィクトルは一瞬、虚を突かれた顔をしてから、かすれたおだやかな音を出す。



「暇ではないね」


「……ですよね」


「だから、少し時間がかかった」


「……ですよね。なんかすみませ──」


「──そうしたかった。その意味、わかる?」



 上から声がかかって、シェイラは、呆然と見上げる。


 紅い瞳が、許さない、と言っていた。

 誤魔化すのは、許さない。



「わ……、わかります」



 シェイラは、からくり人形のようにかくかく肯く。

 首筋から、なにか昇ってくるようだった。



「ほんとうにわかっている?」


「わかって、ます」


「ラータが言った」


「わたしが言いました」



 なにを?


 ただのオウムになっているので、シェイラは問いを呑み込む。

 ヴィクトルはお見通しで、ひとつ溜息をついて、答えを言った。



「手間が大事なのだと」


「手間……」


「時間をかけて、手を込めて、そういったものに真の魔法は宿るのだと。いにしえの魔法は、そうした人々の祈りから、まじないとなって、魔法になっていったのだと、そう言っていただろう?」


「……言いました」



 たしかに、なにかの折に話した覚えがある。

 願いを叶えるような、だれかの幸せを祈るようなものは、ささやかな手間のもとに成り立つのだと、話した覚えがある。


 それが、〈ユベーヌの呪い〉──呪(まじな)いだと。


 ほんとうは呪法や呪術ではなく、やさしい願いと祈りからはじまった魔法なのだと、シェイラはヴィクトルに語っていた。


(覚えていてくださってたんですね)


 それを、形にしてくれた。

 シェイラはもう一度、長外套を握り込んだ。



「……ありがとう、ございます」


「うん。わかってくれたのなら、いい」


「…………」



 誤魔化しのない、淵黙だった。



「……ラータも、これに手間をかけてくれたから、ね」



 ヴィクトルは腕環にふれる。気恥ずかしそうに、やっぱりそっぽを向いて。

 エシア砂金でできた腕環は、たしかにシェイラが一から祈りを込めて、砂をさらうところから手間をかけ、作りあげたものだった。


 シェイラの気持ちを込めたもの。


 ──十代前半の、もう帰ってこない、かけがえのない思い出の、ひとつだった。






 シェイラは思い出すと、呼吸が戻ってきた。


 過去から今へ、下ろした錨を道標に、呼吸を取り戻す。


 目の前の、ターニャ師に向き合う。

 今のシェイラは、導師。教師や子どもの相談に乗ることが求められている。


(ありがとうございます、トール)


 シェイラは、長外套を握りしめて、それから、ふうっ、と息を吐き出した。

 恐怖のこわばりが、体から抜け出て霧散していくようだった。



「──……それは、ほんとうにお気の毒でしたね」



 気づけば、シェイラは、ターニャへの寄り添いを思い出していた。

 ターニャがこくりと肯く。



「……はい」


「せっかくだから、教師になった姿を見せたかったですね」


「……は、い」


「恩師と……、一緒に働きたかったですね」



 ターニャが首だけで肯定する。



「おかえりなさい、って迎えてもらいたかった、ですね」



 ターニャは、俯いた。

 きっとこらえていただろうに。シェイラから見られていることが気になるであろうに。


 ただ静かに俯いて、時折啜る音がして、琥珀をとかして、なかに潜んでいたものを取り出すようだった。


 どれほどの間があったのかわからない。

 気づけば、ほこりに曇る窓硝子から西陽が入り込んでいた。



「──シェイラ師」



 顔を伏せていたターニャは、目を赤くした状態だった。

 ちがったのは、部屋に入った当初のためらいではなく、決断をしたような色がのっていたことだった。

 シェイラは視線を受け止める。



「大地の魔法……使ってみたいと思います。セレリウスに見本を見せたいと思います」


「……ありがとうございます」



 シェイラは頭を下げる。

 ターニャのなかで、揺らいでいたものが固まったようだった。



「うまく言語化できるように、考え直したり、使ってみたり、したいと思います」


「……感謝です」


「しばらく、使っていないので」



 ターニャが後ろめたそうに言う。


 シェイラは首を振った。

 振ってから、いいことを思いつく。



「そうしましたら、授業そのものをもっと魔法が使いやすいところでしましょう」


「使いやすいところ……?」


「大地の魔法を使うと、どうしても規模が大きくなりやすいですからね。今の、あのお粗末な植物園ではなく、学院の外に場所を取りましょう。わたしから、学院長に打診をしておきます」


「いいんですか?」



 ターニャが驚いたように目を丸くする。



「はい。それに、学院の外でやるほうが目立ちにくいですし、好き放題できます。そのほうがよくないですか?」



 心を決めてくれたとはいえ、すぐすぐ人目が気になる性分はどうにもならないだろう。

 シェイラがそう言った意味を込めて尋ねれば、ターニャは、うれしそうに橙色の髪を揺らした。



「助かります」

 

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