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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち  作者: 稿 累華
第3章:空気の読めない孤児──前編──

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38話:挨拶の理由

 六つ目の時限になると、シェイラは、フェノアとは別れた。五つ目の時限から戻ってきたターニャ師と合流し、精霊魔術を行う教室へと向かう。


 昼餉を取れなかったはずのターニャは、愛想笑いを浮かべて、空腹をおくびにも出さなかった。

 気づかいの言葉を口にしようとして、シェイラはやめる。ターニャが恐縮してしまうような気がした。


 鐘が、鳴る。


 六つ目の時限のちょうどぴったりに、シェイラとターニャは教室に辿り着いた。


 木彫りの戸をくぐると、途端に植物の生気が肌をなでる。さまざまな葉や茎、花などの芳香が鼻腔を抜けるようにする。


 立方に、魔法植物の満ちる室内だった。

 翡翠スギや蛍モミの原木が柱で、枝が梁のように天井に広がっている。根は足元を悪くし、どこからともなく茜羊歯(あかねしだ)や宵燈草(ランプそう)などが生えていた。


 原木や木造の壁からは、柘榴茸(ざくろだけ)などのキノコ類。隙間を縫うようにして、蛇行蔦(だこうづた)が絡み合う。鉢からは多肉植物が原色の花を広げ、壺からは怪しげな食蟲植物が口をぱかっと開いていた。


(ここは密林でしょうか……)


 シェイラは天井から垂れ下がる螺旋紐苔(らせんひもごけ)をどけながら思う。

 まだ訪れたことのない太古の森シャドゥーラは、もしかしたらこんな感じかもしれない。


(それにしても、いい加減すぎますが)


 四季を無視して、でたらめに植物たちが盛っている。

 通常ならありえない植生に、シェイラはこの教室の管理者を問いただしたくなった。


 根のあいだになんとか設置されている机と椅子には、すでにセレリウス少年が待っていた。

 おずおずと、ターニャが言う。



「じゃあ、授業をはじめようか」



 虹色の瞳が動いた。



「この人、だれですか」



(物怖じしない子ですねえ)


 シェイラがのんびりと思っているうちに、ターニャが顔を引き攣らせる。

 注意が入りそうなので、シェイラは機先を制した。



「どうも、はじめまして。シェイラータと申します。見学に来ました導師です」


「…………」



 じいっとシェイラを探るように、虹色の瞳が輝いた。虹彩が揺らめいて動いているように見えて、きれいだった。

 たえきれなくなったように、ターニャがセレリウスをたしなめる。



「セレリウスくん、ずっと見るのは失礼よ。偉い方なの。きちんとご挨拶するんだよ」


「なんで偉い方だと、挨拶しなきゃいけないんですか?」



 セレリウスの言葉に、ターニャが絶句した。



「意味がわかりません」



 ターニャは、あなたこそ意味がわからないと、顔が言っていた。シェイラは面白かった。


(思考の性質が異なりますからね)


 わからないだろう。これは、関わり方に困るはずだ。

 理解できない人種に、人間とは戸惑い、嫌悪を覚えるものなのだ。



「──わかりますよ、わかります。意味、わかりませんよね」



 思考は冷静に分析をはじめながら、シェイラは明るくセレリウスに共感した。



「たしかに、偉い人にはなぜきちんとしなければいけないんですかね? わたしも、ちょっとわからないです」



 えっ、というターニャの琥珀、興味が深まったセレリウスの虹が、シェイラに同時に向けられる。



「わたしも偉い人と会うことがありますが、全然わからないです」


「じゃあ、やらなくていいですか?」



 セレリウスが平然と訊いた。ターニャが顔を引き攣らせる。

 シェイラは耳飾りを弾きながら、悠然と応じる。



「そうですねえ。そうしないというのもひとつの選択ですが、おすすすめしないです」


「なぜですか?」


「やる損失よりも、やらない損失のほうが大きいからです」



 シェイラが言えば、ターニャがはっとしたようにシェイラを見た。

 セレリウスは困惑を浮かべる。



「損失……?」


「はい。正直なところ、意味はわかりません。でも、わからないのは自分だけで、損失はありません。一方で、やらない選択をすると、偉い人からの自分の評価は下がります。評判が出回れば他の方からの評価も下がります。損失です。なので、挨拶をしないことはおすすめしません」


「…………」



 セレリウスが黙り込む。

 ターニャがじいっとシェイラを横から見ている。シェイラがにこりと笑みを返せば、ターニャは慌てたように視線を横にやった。



「──他者からの評価が、僕にとっての損失でない場合はどうすればいいですか?」



 シェイラの言葉を噛み砕いたであろうセレリウスの問いだった。

 予測できていたので、シェイラはすぐにいらえる。



「今のあなたにとって、損失でないというのであれば、それをしない、というのもたしかにひとつです」


「今の……」


「もしかしたら、自分の疑問やわからない不快感が拭えないと、できないかもしれません。なんとなく想像がつきます。気持ちが悪いですから。

 ですが、将来や未来のあなたのことを考えるのであれば、損失です。人からの評判は、学院や大学府を出ると、特に魔法使いや魔術師として働くのであれば、影響します。評判の悪い人に他者は職を与えません。評判が悪いのですから、当たり前です。信用できませんから。

 ですから、偉い人に関わらず、他者へは挨拶をはじめとした礼儀は取ったほうがよいのです」



 シェイラの答えに、セレリウスが目を見開いた。

 ターニャの視線もシェイラに戻ってくる。


 幾分か間があったのち、セレリウスがぽつりと言った。



「すごく……よくわかりました。ずっとわからなかったことが、わかった気が……します」


「それはよかったです。大事なことも、付け加えてもいいですか?」



 はい、という返事が返ってきて、シェイラは宙に魔法で靄(もや)を描いた。

 顔のない人間をふたり作る。



「今は自分視点のことをお伝えしました。ですが、相手の視点も考えれば、だれかに挨拶や礼儀を以って接してもらうことは、一般的に気分がいいです。気持ちがよいことです。うれしいという気持ちになります」



 一人の靄が頭を下げる動作をする。そこから矢印をだし、もう一方のほうにもくもくとした吹き出しを描く。

 吹き出しのなかに、うれしい、という文字を綴った。


 セレリウスがその靄を凝視する。



「将来の自分のためでもありますが、相手にとってもよい影響があります」


「……双方に利がある」


「そうです。いいことずくめ、です」


「理解……しました」



 感嘆して、セレリウスが肯いた。



「よかったです」



 シェイラは笑顔になる。



「──ですが、ひとつ疑問です。丁寧な言葉を使うことも礼儀と言われていますが、それをいやがる人間もいます。丁寧な言葉を使うのはうれしいはずなのに、なんでいやなんですか?」



 セレリウスの次なる疑問に、シェイラも面白くなった。

 シェイラも思い当たることがある。元婚約者のヴィクトルが、そうだったのだ。



「それは、とってもいい質問です! また別の心の動きがあるからです。知りたいです?」


「知りたいです」


「では、説明しますと──」



 それから、シェイラとセレリウスの応酬はつづいた。ターニャ師も真剣にふたりのやり取りを聞き入る。

 精霊魔術の授業は、そうしてたっぷり丸々一時間流れることになった。



「──ターニャ師、ごめんなさいです……」



 授業後、シェイラはターニャに土下座する勢いで謝罪した。

 ターニャが恐れ入って、ぶんぶんと手を振る。



「そんな、導師。むしろ、いいものを見せていただいたというか……」


「どうぞシェイラと。──すみません、授業を潰してしまいました」



 興に乗りすぎてしまった、とシェイラは反省する。

 後半はセレリウスとのやり取りが楽しすぎて、思考する頭がどこかに飛んでいった。



「いいんです、今日はとても学びになりました。……その、自分が考えていなかったことに、気づかされた……気がします」


「考えていなかったこと?」



 ターニャが恐縮しすぎてしまうので、シェイラは頭を上げて小首をかしげる。



「なんで偉い人にきちんとするかなんて、私は考えたことがなかったのです」



 ターニャが、自分を恥じるように言った。



「私はただ、そうするのがふつうだと思って、そうしてきました」


「そういう自分がいやですか?」



 シェイラは、ターニャの気持ちを鏡で返すように問う。



「……はい」


「無意識に当たり前だと思っていたことを、べつの人に否定されたり気づかされたりするのは……どきっとしますよね」


「……ええ」



 教導館への道のりを戻りながら、シェイラはターニャを肯定する。



「けれど、まちがいだとは思いませんよ」


「え?」


「ターニャ師にとって、そうすることが生きていくのに必要だった、それだけのことですから」



 驚くターニャに、シェイラは笑いかける。



「人は、いつだって自分が生き残るのに必要なことを無意識に選び取っていくものです」



 シェイラは、自嘲するように言葉を重ねる。

 ターニャの表情に困惑が浮かぶのを見て、シェイラは一度黙る。

 若い青葉の香りが、互いのあいだを抜けていくのに任せた。



「──セレリウスさんは、」



 シェイラはしばらくの間ののち、口を開いた。



「偉い人に頭を下げなくても、生き残ってこれたのだと思います。今まで必要な場面がなかったのかもしれません。ですが、今日の反応を見ると、そもそも理由がわからなくて、実は困っていたのかもしれません」


「……困っていた」



 ぽつりと、ターニャが噛みしめるように繰り返す。



「きっと、苦労されたんだと思います。ターニャ師が当たり前に感じられることを、セレリウスさんは感じられない。もしくは、疑問が解消するまでどうしても行動できない。世の中、曖昧なことだらけですから、そういう性質はとても生きづらいと思います」


「…………」


「彼だけが、というわけではありません」



 ターニャもまた生きづらいだろう。

 シェイラは、ターニャの琥珀を見て、暗に言う。



「みんな、なにかしらの生きづらさを抱えているのだと思います。それが今、表面化しているか、していないかだけで」


「……そう、ですね」



 ターニャが小さく肯く。

 また沈黙が落ちる。


 大時計のある教導館は、もうまもなくだった。



「──シェイラ師も、ですか?」



 扉をくぐるところで、ターニャに問われた。

 シェイラは足を止めて振り返る。



「シェイラ師も、生きづらさを抱えているんですか……?」



 ターニャの疑問に、シェイラは瑠璃色の瞳を見開く。


(わたしは……)


 生きづらいのだろうか。


 問われて、はじめて考える。



「……わかりません」



 投げられた石は、波紋を作っただけだった。



「必死になりすぎて……そういうものは、もう感じなくなってしまいました」



 シェイラは、うっすら笑みを浮かべる。


 ──なんとしても魔法を得たい。


 もう魔法は得た。なのに、どこか釈然としない。

 シェイラはそういうものを持て余していた。



「ではまた、次の大地ノ日に」



 シェイラは笑みを深めると、ターニャに背を向けた。

 

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