37話:瞑想の魔導師
教導館に戻ると、物置きのような部屋で、シェイラたちは話すことになった。
天井は蜘蛛の巣が幾重もかかって、床の隅には羽虫などの死骸が転がっていた。棚にはなにかの生き物の頭骨がいくつも並んでいる。標本瓶には〈猿猴〉の皮や、〈臙脂虫〉の赤い染料、魔獣バッショーの牙など、貴重なものが埃まみれになっていた。
魔法薬や触媒の管理庫なのだろう。
それにしては、随分となおざりな管理のようにも見えた。
ターニャ師が項垂れる。
「こんなところで、申しわけないです……」
明るい歌唱魔導師の声は、部屋中の塵埃をさっと吹き飛ばす。
「いいのよ。時間もないし、さっさと話しちゃいましょうか」
フェノアは、六角椅子に腰かけたそばから、シェイラにあらためて紹介する。
「シェイラ、この子がターニャ師。今年、教師になったばかりの若い子よ。あなたとそんなに年齢は変わらないと思うわ」
フェノアから聞いて、シェイラがターニャに問う。
「二十二ですか?」
「あ、はい。すでに誕生日を迎えて今二十三です」
「では、わたしと五つ差ですね」
言えば、ターニャは探るようにシェイラを見た。
五つ差という年齢に困惑するような視線に、フェノアが楽しそうに付け加える。
「ターニャちゃん、シェイラは十八よ。それも、本物のね」
「えっ?!」
「私みたいに実年齢と見た目の年齢がちがうわけじゃないのよ。八歳で初等部中等部学園の単位を取り終えて卒業、十歳で高等学院の単位も取り終えて、十二歳で大学府の学位を取ったと思ったら、十五歳で導師にまでなっちゃうんだから、天才ってやつよ。魔法のことになるとのめり込みすぎて、ちょっと残念なところもあるけどね」
フェノアが面白おかしく語れば、ターニャが目を白黒させる。
シェイラはじろりとフェノアを見やる。
「フェノアはいかにも魔導師らしく、見た目詐欺ですからね。この際、聞きますけど、ほんとうはいくつなんですか?」
「あら、知りたい?」
「今先ほども、男子生徒たちの視線を総なめにしていましたからね。実はこの人は何歳ですって廊下で{拡声}でもしておけば、生徒たちの夢も覚めるのでは?」
「やだあ。私ってば憧れの歌姫って言われているのに」
「……片づけられない人は、姫ってがらじゃないんですよ」
フェノアは、片づけが苦手だ。王都の研究室のなかはぐちゃぐちゃだし、このあいだは談話室にある作業机にまで荷物が置かれていた。
シェイラは大迷惑だったので、自動化魔術でとりあえず箱を作った。今使わないものをとりあえず箱に放り込めば、{運搬}{仕分}{整列}{整頓}が作動し、おおよそのものは勝手に片づけられる。他の導師たちからも感謝されたので、長年の困りだったのだろう。
「人間、完璧すぎると魅力が半減よ? ちょーっと、ぽんこつなところがあるくらいのほうが魅力的なの」
「なら、片づけられないことも{拡声}しましょう」
「そういう魅力は出すところと時宜が肝心なのよ? シェイラだって、頭いいくせに、野菜とか全然食べなくて、斎王国のお餅とか揚げ麦粉焼ばかり食べているじゃない。肌によくないわよ」
「わたしはだれにも迷惑をかけていませんので。肌もこのとおり、つやつやですので」
「いやあね、本物の若さを売りにしないでよ。私なんか〈導脈〉が衰えないように必死なんだからね」
魔導師は寿命が長い。長い分、見た目も年を取りにくい。魔導師になるものは、常人よりも〈導脈〉が活性化して、体中の細部にまで、魔力が行き渡って老いにくくなっているという。〈導脈〉が衰えるのに合わせて、体もまた老いていく。
フェノア本人は衰えを嘆いているが、せいぜい二十前半くらいにしか見えない。まだまだ現役であると言えた。
(……若かりし頃の師匠は、どれほどだったんでしょうか)
ヴェッセンダリア十二老師の一角、メイベ・ガザン。
斎王国出身の老魔導師。
シェイラは、ガザン師の最盛期を知らない。なにせ出会ったのは三年前だ。
ちょうどシェイラが、オルリア聖王国から追放処分になった時に、ガザン師に拾われた。
「──あなた、ひどい顔ね」
身も心も、ぼろぼろだった。
第一の師は死に、ヴィクトルからは婚約を破棄され、血の半分を継いだはずのロゼイユ家からは、廃された。
聖教会の裁判を受け、聖都から追放される罪人。
十五になったばかりのシェイラに、教会堂の監獄を訪れたメイベ・ガザンは緋色の優しい双眸を向けた。孫でも労るような、そんな目だった。
「……皮膚の下がぼろぼろね。どんなことをしたら、そうなっちゃうのかしら」
「…………」
シェイラは、瑠璃の瞳から金の輝きを失っていた。
格子ごしに、茫洋とガザン師を見上げた覚えがある。
「追放されるのですってね。ということは、わたくしがどうにかしても問題なさそうだわ。教会はヴェッセンダリアには手出しできない。ちょうどわたくしも老いて、弟子でも取ろうかしらって思っていたところなの。今までだれも取らなくて、いろいろ言われていたからね。ちょうどいいわ」
「……どなた、ですか」
シェイラに誰何されて、ガザンは少女のように目を丸くする。それから、にこりと少女のような笑みを浮かべた。
「メイベ・ガザンよ。瞑想の魔導師、と人は呼ぶわ。
──わたくしのもとへいらっしゃい、シェイラータ。わたくしの最初で最後の教え子にしてあげましょう。あなたに、瞑想の手ほどきをします。あなたのその魔導には、きっと役立つし、……必要だわ。その忌まわしいと断じられた魔導呪法を極めたいのであれば、わたくしの手を取りなさい」
そう言って、ガザン師は、すべてをわかったうえで、シェイラを塔ノ都に招き入れたのだった。
「ごめんね、ターニャちゃん、話が脱線しちゃった」
いつの間にか、過去へ旅立っていたらしい。
フェノアの美声で、シェイラは今を思い出す。
ターニャ師は首をふった。愛想のある笑みを浮かべる。
「……いえ」
昼餉ノ憩いの残り時間は少なかった。
──セレリウス・ヴァックスという十四の少年が、今回の相談にあがった対象だった。
セゾン県の守備防衛を行う国境の大貴族ヴァックス家の養子。精霊魔法の素養を見出されて、迎え入れられたのだという。
サージェシアではよくある話だった。
魔法の力が強いものを貴族家に取り入れ、家の魔法の力を強くする。そうやって、連綿と〈導脈〉の継承をたしかなものとする。
(ですが……)
精霊魔法は、〈導脈〉の魔力に依存しない系統だ。
森人たるエレンシア女王の精霊魔法は、精霊を通して魔法や魔術を行使する。特異性ゆえに、女王国に住まう森人しかその魔法を扱えないという。
今回の相談にあがった理由がわからず、シェイラは尋ねる。
「セレリウスさんの、ほんとうのご両親に当たればよかったのではないですか?」
ターニャは首を振った。
「セレリウスは、もとは孤児なのです」
「……なるほど」
両親がわからない、ということだ。父か母どちらか、あるいは両方が森人、で女王国の出身だったのだろう。
(ご両親がどうなったか興味深いですけれども……)
エレンシアの森を出たのだろう。精霊と直でつながる森を出てまで、伴侶とつがったのだろうか。なにゆえ、出ることになったのか。さまざまに気になり、そういった事情がセレリウスを孤児に追いやったのかもしれない。
(それとも)
どちらも亡くなって、致し方なく孤児院に預けられたのか。
セゾン県は国境。それも、北に近い国境なら、秋冬には霧がたち込める。なら、きっと死者も多い。そういったところには、蟲に襲われるものが多く、孤児が多かった。
──痛ましい。
景観の美しいセゾンであっても、その大地は霧砂が死者の血でかたまったものなのだ。
シェイラは、拳を握り込む。皮膚の下の〈脈〉が打つようであった。
「……事情は、わかりました。であれば、致し方ないですね。
一度観ましょう。観させていただきながら、方法を考えさせてください。わたしも、精霊魔法が使えないと相談を受けるのも、そういった事例を聞いたこともはじめてなので、どうしてそうなっているのか、もう少し情報がないとわかりません」
シェイラの返答に、途端にターニャ師の顔は曇った。
わからないと言われて、不安を感じたのかもしれない。
シェイラは、大慌てで両手を振った。
「あ、でもまったくわからないというわけではなくて、ですね! 当てとかつけたり、仮説はありますよ? きっとこのせいだろうな、と。ただ、決めつけはよくないので! 決めつけないために、観させてください。そういった意味です!」
シェイラの説明に、ターニャは少しほっとしたように肩を下ろした。
「わかりました。ありがとうございます、シェイラ師。このあと……六つ目の時限が、選択科目の授業となります。なので、そこに参観いただければ」
「はい、ぜひに」
シェイラが返事をすれば、ちょうど昼餉ノ憩い終わりの鐘が鳴る。
「あれ、ターニャちゃん、お昼は?」
「大丈夫ですよ、お昼を食べないくらいのほうが授業に集中できます」
フェノアの問いとターニャの返答に、シェイラは、はっとする。
シェイラとフェノアはここに来る前に簡単にすませていたが、授業を行っていたターニャは、食べる時間がなかったにちがいない。
シェイラは、ターニャの顔色を窺う。その表情から悟る。
(この方は……)
空気を読みすぎてしまっている。
リヨンに、似ている。
けれど、リヨンとは異なる。
人の顔色が気になりすぎて、自分の主張ができないのだ。自分がなくなるくらい、周りに溶け込もうとしている。
まるで、セレリウスとは、対軸にあるようなあり方な気がした。




