36話:セゾン高等魔術学院
シェイラは曜日ごとにちがう子どもたちのところに行くため、一章、二章、三章は微妙に時間軸が重なっているところがあります。
この話の時間軸は、25話:お守りの少し前に入る話となります。
──盛夏ノ休暇より数ヶ月前。エレンシアの月下旬。
「──というわけなのよ〜。って、シェイラ、聞いてる?」
「すみません、今集中しているので、聞いてないです」
返事をすると、フェノアが背後で非難の声をあげる。
シェイラは、手元の作業の仕上げに取りかかっていた。
ラリシャ銀の金属板に、工具で小さな凹みを作る。繊鑷に持ち替えると、小皿に置いてある縹色のファル石を取った。それを糊とともに慎重に凹みにはめ込む。こつこつと力を入れて、しっかりと石が固定される感覚を得る。
(あとは乾くのを待つだけ)
ふうっと力を抜くと、シェイラはやっとフェノアに振り返った。
「ごめんなさい、お待たせしました」
「また、細かいものを作ってるのね? そんな手間暇をかけてまで渡したい人がいるの?」
「そうですね……向こうはどうだかわかりませんが、ちょっと心配していまして」
「もしかして、週末の夜に会ってる?」
ずいっとフェノアが、なぜかシェイラの横に乗り出してくる。
シェイラはきょとんとしつつ、肯く。
「そうですね。今のところは」
「どんな人?」
「きれいな銀の……肩より少し長いくらいの髪ですかね? 真っ直ぐで羨ましいです。あとは、この石と同じ目の色をしてて」
「それでそれで?」
「顔立ちも整ってますかね? 装いからいいところの出かなと思います」
(まあ、王子さまなわけですが)
本人からそうだと言われたわけではないが、十中八九そうだ。
「えーっ、ってことは御曹司ってこと?」
「かもしれませんね」
「ひゃー、シェイラってばやるう」
「だから、夜な夜な出歩いているのはちょっと心配で。保護者も心配しているんじゃないかと思うんですよね」
「……ん?」
「それに、あんな夜に出歩いていると眠れなくなって、成長期にはよくないと思うんですよ。だから、こうお節介を焼きたくなりまして」
「……その人、もしかしなくても、子ども?」
はい、とシェイラが肯定すれば、盛大な溜息がシェイラの横から聞こえてきた。
フェノアは、げんなりしたように椅子に座って、額を押さえる。
「そうよね……シェイラにそういう色恋沙汰を期待したわたしがばかだったわ。あなたが時間をかけてまでやるんだから、子どもに関係することに決まっているわよね……」
はあ、ともう一度大きな溜息が聞こえてくる。
それでシェイラは、どうやらイディのために作っていた円板を、なにやらフェノアが勘ちがいしていたらしいことを悟った。
悟って、かあっと頬を染める。
「ふぇ、フェノア、まさかわたしが週末に男の人と会っていたと思っていたのですか?!」
「てっきり逢引しているのかと」
「あ、逢引?!」
そんなことしません、とシェイラは顔をぶんぶん振る。
「まさか夜遊びしている子どもと会っているなんて、思わなかったわ。シェイラに色恋は早かったというわけね」
「それはそれで失礼ですよ……」
むすっとシェイラは、唇を尖らせる。
「……わたしにだって、好きな人くらいいたことありますよ。なんなら両想いだったんですから」
「ええっ!? なにそれ、その話聞いてないわよっ? 詳しく教えなさいよ」
フェノアが元気を取り戻したように、顔を上げる。
シェイラは面白くないので、ぷいっと横を向いた。
「いやです。歌劇みたいにすぐに恋物語に発展させるような人には退屈な話なので」
「シェイラ〜、お願いよ。悪かったわ、ごめんね。だから、その話聞かせてよ」
「そもそも、フェノア、わたしになにか用があったんじゃありませんでした? 話が思いっきり脱線してますよ」
「あ、そうだったわ」
縋り付くように腕にまとわりつくフェノアを、シェイラは空いている手で振り払う。
金髪が離れると、格調高い芳香がふわっとしてなんだか夢を見ていたような心地になった。
「ついつい面白そうな話のほうに気がいっちゃったわ」
「それで、どういう話ですか?」
互いに空気をあらためる。
導師の顔になって、フェノアが口を開いた。
「わたし、セゾン県の学院に週一で行っているのだけど、そこにちょっと気になる子がいるのよ」
「セゾンと言うと、ここより北部ですね」
オルリア聖王国との国境だ、とさっきまでの話題から連想する。星ノ国アベルとの国境でもあり、アベルからさらに奥の、魔獣の国にも近い。国境の要衝地域だ。
「そうそう。その学院のかわいい新任教師から気になる子の相談をもらってね。その内容がちょっとわたしでは解決できなそうだから、シェイラに来てもらいたいなーって思ってるわけ」
「なるほど。一回で終わりそうです?」
シェイラは自分の予定を考えながら尋ねる。
「うーん、終わらないわね。絶対。けっこう時間がかかると思うわ。新任ちゃんもなんというか……ちょっとばかし、いろいろありそうな気がするし」
「わかりました。黒檀がよいと言うなら、わたしは問題ないですよ」
時間をかける必要があるのであれば、定期的に訪問したほうがよいだろう。
なら、シェイラの一週間のなかでは、ちょうど〈大地ノ日〉が空いている。
「そう言われると思って、黒檀にはすでに許可を取ってあるわ。全然問題ないって。毎日どこかしらに行ってこいだそうよ」
「……わたしの研究する時間って、絶対に考えられてないですよね、それ」
「期間限定だから、ばりばり働きなさいってことでしょう?」
フェノアが美声をうっとりと鳴らせば、シェイラは深々と息を吐き出した。
フェノアとともに陣を使って、王都からセゾン県の庁舎に{転移}すれば、雄大な景色に、シェイラは思わず声をあげた。
「素敵です……!」
平原。左手に見える星ノ国アベルの山稜。右手のオルリアの丘陵地。
それらが丘のうえの庁舎から、シェイラに迫ってくるように感じた。王都よりも少し冷たく感じる向かい風の影響もあったかもしれない。
国境の要衝セゾンは、自然美を感じることのできる土地だった。
「向こうが学院ね」
フェノアが指し示したほうには、ちょうど庁舎と同じ高さだった。
いくつものとんがり帽子のような屋根が見える。随分と、年代の感じさせる学舎だった。
「行きましょう」
フェノアが{浮遊}{移動}を足元に描くのを見て、シェイラは翅を描く。あとを追うようにして、空を舞った。
フェノアの長外套や裙衣が風ではためく。
シェイラが優雅に飛んでいるのを見て、フェノアは羨ましそうに声をあげた。
「その翅、やっぱりいいわよね。風に苦労しなくていいもの」
「そんなに難しくないですよ? ちょっとこつは入りますけども」
「そうねえ。でも、ややこしそう。わたしが戦闘ばりばりの魔導師だったら考えるけど、飛ぶことなんてあんまりないし。今はこのままでいいかな」
「そしたら、箒で空でも飛びます? あれは空気抵抗を一定にする意味では理にかなってますよ?」
「いやあよ。箒を使うと両手が使えないじゃない。戦闘専門じゃなくても、戦わないわけじゃないんだから。あんなのに乗っていたら、いざという時に命取りよ」
シェイラが笑って提案すると、フェノアはそう抗議した。
箒で空を飛ぶのは、魔法を習いたての中等部でしか流行らない。進学をすれば、〈蟲〉との戦闘について学びはじめる。そうすると皆、悟るのだ。
箒なんかに乗っていたら、戦えない、危ない、と。
そもそも、飛びながら戦うのは技術を要する。討伐隊を志望するものか、シェイラたちのような魔導師しか身につけないものなのだ。
「学院長に挨拶をして、それから顔合わせをしましょう」
着地すると、フェノアが言った。
シェイラは頷いて、フェノアに付き従う。教導館の学院長室に顔を出し、別の校舎に向かう。
授業中なのか、実習を行っている学徒たち以外、構内には人気を感じられなかった。初等部や中等部のある学園よりも静かだ、と思う。通りすぎた教室にはたしかに子どもたちがいるはずなのに、木目に子どもたちの初々しさが吸い取られてしまったかのようだった。
ちょうど授業終わりの鐘が鳴り終える頃、目的の学環に辿り着く。ざわめきが、一気に波のように廊下に押し寄せた。
「昼、購買でてきとーにしようぜ」
「彼ね、前の席なのに寝ててね。起きたら寝癖ついてて、かわいかったの……!」
「触媒学、くそねむかったわ」
いろんな話題がシェイラの耳に飛び込んでくる。
声変わりをすませたばかりの男子の声は、まだ体に馴染んでいないように異音が混ざって聞こえる。女子の声は、授業からの解放なのか総じて高い。
昼餉ノ憩いの前だから、十代半ばの熱気は押し寄せるようだった。
(うう、背が高いんですよ……)
さらに男子たちは成長期を迎えているからか、シェイラよりずっと背がある。成長期の〈導脈〉の活性化も相まって、魔力も必要以上に感じられ、妙な圧迫感を受ける。初等部や中等部では、こういう圧迫感はない。
シェイラはささやかな抵抗で、足裏に{浮遊}を描く。林檎ひとつ分だけ浮き上がって、少しだけ十代の圧を緩和させた。
そのシェイラに、ぶつかる人間がいた。
「あ、ごめんなさい……!」
よろけながら、シェイラは言う。
その人間は、ちらっと虹色の目でシェイラを見てそのまま通りすぎていった。
ぽかんとしているうちに、シェイラの横に次の人間がやってくる。
「──すみません! 大丈夫ですか? あいつがほんとすみません!」
シェイラにやたらとぺこぺこ頭を下げたのは、茶髪の男子だった。適当な返事をすれば、もう一度しっかり頭を下げる。
「すみません! ──って、おい! 待てよ、セル!」
廊下にうるさく木霊するくらいの声をあげたかと思うと、その男子はぶつかった人間を追うようにして、人波を縫っていった。
(あの子、でしょうか?)
フェノアの相談に上がったのは。
白髪に虹色の瞳と聞いている。
(なかなか大変そうですね)
本人も、周りも。
(いい友人には恵まれていそうです)
律儀に謝っていった茶髪の男子は、人のよい子なのだろう。
「──シェイラ」
呼ばれて振り向くと、フェノアの横には橙色の髪の若い女がいた。
「ターニャ師よ」
紹介されて、目礼される。
シェイラも礼を返す。
(こちらも、なんかありそうですね)
その新任教師──ターニャ師の瞳は、廊下に消えていった先を睨んでいるように見えた。




