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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち  作者: 稿 累華
第2章:大人しくて目立たない娘

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27話:学園外実習

 リヨンは、その朝、どきどきとする鼓動を持て余して、なかなか陶板(とうばん)の玄関を出ることができなかった、足が膠(にかわ)でくっついてしまったように、動かない。



「──もう、なにしてるのよ」



 母の、いらだった声が、降ってきた。



「あんたは、いつもそう。どうして、朝のこんな忙しい時に、そうなっちゃうわけ?」



 なじるように言う。


 知らない。リヨンだって自分の身体なのに、どうしてこうなるのかわからない。体がどうしても固まってしまって、動けない。

 家から出ようとすると、動かなくってしまう。体全体が固まる。喉も干からびて乾燥し、声が出なくなってしまう。小用だって、家ですませておかなければ、リヨンは外で行くことができない。


 体が言うことを聞かなくて、しんどいのはリヨンだった。


 けれど、母は溜息をつく。代々ガルバディア王家の{守護}を司る一族に泥を塗るリヨンの振る舞いを、許せないようだった。母に泥を塗って、行方のわからなくなった父への当てつけのように。



「きっと、あんたにもあの人の血が混ざってるからね。こうなっちゃうのは。あの人はあがり症だったもの。うちの一族の血じゃない」



 ほら、そう言う。


 呪いの、言葉だ。リヨンに手を伸ばし蔦のように絡む呪い。

 呪術や呪法から守る魔術を使うのに、母はリヨンにいつも呪いを吐く。それはあまりにも滑稽な話だ。


 呪法がなくならないのは、こういった言葉が日常にはびこり溢れているからだとリヨンは思う。日々のなかに入り込んで蔦を張って絡み合う。一見、取り除いたように見えても、切り取れていない。絡み合っているから、知らず別のところからまた葉を伸ばす。


 永遠にいたちごっこで、だからこそ{守護}を用いる自分たち一族は重宝される。

 皮肉という言葉を知らないリヨンは、気持ちの悪い斑紋(はんもん)を見たような気分になる。



「それ持ってさっさと行きなさいよ」



 一度、視界から消えた母は、リヨンに持ってきたものを投げてよこした。それはリヨンの体に当たると、やわらかい音を立てて陶板に落ちる。


(モーちゃん……)


 モレリーのぬいぐるみの扱いは、あまりにもかわいそうだった。普段はただのぬいぐるみのふりをしているけれど、この子には意志がある。痛みもあるかもしれない。


 緩慢な動きで、リヨンはなんとか拾い上げる。

 拾って抱き込むと、すうっと土から生えた葵葉草(ゼラニウム)のような香りがした。少しだけ体の強張りがゆるんだ気がする。



「今朝は私も忙しいの。王太子殿下に付いて{守護}を張らなきゃいけないのよ」



 母は、少しだけ自慢げに言う。一族の誇り。リヨンも、いつか担わなければいけない誇り。



「あんたは今日、園外実習だった? まあ、いつもとちがうところだから、緊張するわよね。今のうちに、そういうのは慣れておきなさい」


「…………うん」



 最後だけ、母の言葉はやさしかった。少しほっとする。

 母は呪いだけ口にするのではない。やさしい言葉を、最後は必ずかけてくれる。だから、リヨンは、母が好きだった。



「……お嬢さま、参りましょう」



 ずっと黙って母娘のやり取りを見ていた使用人がそう言う。

 一人で外を歩けないリヨンのために、いつもだれかが付き添ってくれる。


 それも、母の気づかいだった。



「…………いって、きます」



 リヨンはぽつりと言う。すでに玄関からいなくなった母の声が奥から聞こえて、リヨンに一掬の安心をもたらした。




〜*〜




 フィシェーユの月(しちがつ)、第三週〈火炎ノ日〉は、レーネら中等部一年が待ち望んだ日だった。


 これまで、学んだことを活かして、観察や採集を園外で行う日だ。

 場所は、ツェット市郊外の防霧林(ぼうむりん)だった。盛夏ノ休暇前で、霧が出ることも溜まることもないため、毎年中等部一年から各学年は、ここで園外実習を行っていた。


 〈火炎ノ日〉が、中等部一年のための日だった。


 学園から、郊外の防霧林までの道のりは、使役魔術を施したラケロスという魔獣が牽く幌車に乗る。

 幌車は三馬身ほどで、ひとつの学環全員が乗れるほどの大きさだ。その車を一・半馬身ほどのラケロスが引っ張る。


 ラケロスという魔獣は、サイのような姿形をしていた。気性もおだやかで、使役もしやすい。馬よりも力が強く、足の速さは同じか少し速い。幌車や荷車を牽引していると小回りはきかないが、道幅の広い郊外などでは優秀な獣だ。


 ラケロス乗りの店から、三頭と車を予約して借り、実習先の防霧林を目指していた。



「──はい、集合〜!」



 林の前、草が刈られて開けた広場になったところで、レーネたちの担任、オーズ師が学年全体を呼び集めた。



「リヨン、こっち」



 車から降りて立ち止まっていたリヨンを認めると、レーネはリヨンの手首を取って、集まる場所まで腕を引く。


 リヨンのもう片方の腕は、見たことのないぬいぐるみを抱えていた。魔獣のモレリー(猫兎)を模しているのだろうか。



「うわー、それかわいいね。どこで買ったの? うちの店にも置きたいくらい!」



 レーネが言うと、リヨンが首をかしげてから自分の腕のなかのぬいぐるみを見た。問われていることを察したらしい。首を振った。

 今まで見たことがない、はっきりとした仕草だった。そういえば、さっきの肯きも動きが大きかった気がする。



「どこで買ったのかわからないの? あ、お母さんが買ってきてくれたとか?」



 レーネがリヨンの意図を察して尋ねれば、またもや大きな肯きが返ってくる。心なしか、目や視線もはっきりとしているような気がした。


 レーネは、このリヨンの翠の瞳が好きだった。きれいな湖面のようで、ちょうどそこに林立する翡翠スギのような色合いだと思う。



「そっかー。どこで売っているのかわかったら、調うちの店でも扱ってもらおうと思ったのに。絶対売れそうなのになー。残念っ!」



 レーネの冗談に、リヨンは小さく笑顔を見せた。


 見たことのないリヨンの表情の変化に、内心レーネは驚く。が、顔には出さない。そんなふうに驚けば、この学友は傷つくだろうと、商人の娘の感覚でそう思った。



「注意事項を言うぞ」



 レーネたち学徒らがおおよそ集まると、オーズ師は全体を見渡しながら口を開いた。



「これから昼餉の時刻まで、午前の班活動になる。よく陽を見て中天に来るまでここに戻ってくるように。今日は地理と自然で習ったことを存分に活かせよ。特に将来、占術志望のやつらは、太陽の傾きは見とけな」



 オーズの言葉に、近くのセアスという学友が何度か肯く。レーネたちと同じ班で、霧詠みの母を持つ。真面目な男子だから、レーネは同じ班にセアスがいることが安心だった。


 オーズの話はつづいた。暑くてずっと立ちっぱなしはきつい。そろそろ行きたいんだけど、と皆がそわそわしはじめる頃に、オーズは声色を変えた。



「──最後に一番大事なことを言っておく」



 場を締めるような、いつになく低い声だった。



「いいか。今はフィシェーユの月で、霧は出ない。先生たちも昨日からあらかじめ{霧除け}を施しているし、林のなかには先にニカ師が行って、蟲がいないかも確認してくれている。先生たちも活動中は巡回しているから、まず問題はないだろう。今日のために、討伐隊の人たちも先生たちの応援に来てくれている。だが、もし万が一ってことがある。救難信号が上がったら、皆すぐにここに戻ってこい。──もし、蟲と出くわすことがあったら、逃げろ。いいか、踏み止まるんじゃない。中等部のお前たちにはなにもできない。逃げろ。それだけだ」



 おそらく、全員がごくりと生唾を呑み込んだだろう。セミの声がよく聞こえる。その場は、さっきまでのそわそわは嘘のように、しん、としていた。

 草いきれの暑さがどこか遠くに感じるほど、オーズの言葉は学徒たちに響き渡った。


 だが、注意喚起が終わったからだろう。オーズはそれから、にかっと笑った。



「うしっ! 以上だ! お前たち、存分楽しんでこいっ」



 実習開始! という声とともに、全員の緊張が去る。セミの声を掻き消すほど、わーと騒がしくなった。



「よーし、行こうぜ」



 同じ班のドランが振り向いて、レーネたちに声をかける。ドランはすぐにふざけるどうしようもないやつだったが、楽しいやつではある。


 魔法雑貨屋のレーネ、闇魔術使いのリヨン、霧詠みのセアス、箒職人のドラン。この四人が同じ班で、今日一日行動を伴にする仲間だった。

 

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