28話:{守護}
「──なあ、おれ、今日いいもん持ってきた」
林に入ってしばらくしてから、ドランがうっしっしと笑いながら言う。
背負った合切袋を前に持ってくると、ドランはがさごそと物を漁る。出てきたのは、包装紙に入ったいくつかの菓子だった。
「あ、それ、うちのやつじゃん!」
魔女のうす焼き芋。
ぴょんもち果しずく。
かえかえ黒かたまり。
おしゃべり蜂蜜玉。
レーネの店の人気商品ばかりだ。
「お前んち、いいもん売ってるよな! 実習は疲れるから菓子持っていっていいんだぜって母ちゃんだまして持ってきたっ」
「なにそれ、せこい。ちょっと寄越しなさいよ。じゃないとおばさんに言ってやるからっ」
「お前はいつでも食えんじゃんっ」
「じゃあ、なんのために出したのよ! 今寄越さなかったら、あんたうちの店を出禁にしてやるからねっ」
「まじかよ。それはなしだ! これだって、父ちゃんの手伝いして藁だらけになってもらった小遣いで買ったんだよっ」
「それじゃあ、見せつけてないでさっさと寄越しなさい!」
レーネが仁王立ちをすれば、渋々と言いつつにやけたドランが、ぴょんもち果しずくを放って寄越してくる。
「……君たち、包装紙を落とさないでよ」
眼鏡を溜息で白くしながら、セアスが言う。
「え、お前はいらねえの?」
「……いる」
ドランがにやにやして言えば、セアスもただの八歳の学童でしかない。いくら真面目さがあっても、同じようににやっと笑って、魔女の薄焼き芋を受け取る。
「リヨンもいるか?」
ドランに聞かれると、リヨンはこくりと肯く。レーネには、やはり仕草がいつもよりはっきり見えた。
(いやいや、それはないでしょ)
ドランがリヨンに渡したのは、おしゃべり蜂蜜玉だ。
リヨンへの嫌味のようでレーネは一瞬心配になったが、リヨンが興味深そうに包装紙を太陽にかざして透かしているのを見ると、余計な心配だったことがわかる。
くるくると包装紙を開けば、ひょいっと飴玉を口のなかに放っているのを見て、レーネはなんだかうれしくなった。
「──うわっ、なんだこれっ」
ごうっ、と小さな音がすると、セアスがぼうぼうと火の玉を吐く。
「やば、これってか、え、うわ、からっ」
セアスが火を吐きながら、うげえええと言うのを見て、隣でドランがのたうち回るほど笑う。
魔女のうす焼き芋は激辛なのだ。ちなみにレーネが考案した。
腹の底から笑いが出てきて、レーネも、あはは、と笑う。
「……っ」
「リヨン?」
レーネとドランが大きな声で笑い、セアスが瀕死の声をあげる。
そのなかで小さく、ほんとうに小さく、リヨンが笑い声をあげた気がした。
レーネはそれを認めて隣のリヨンを見ると、きれいな翠の瞳は笑みを浮かべていて、それは蜂蜜玉の甘さを堪能しているようにも見えた。
レーネたちの班は、そんな騒ぎからの活動開始だった。
「──なんかおかしい」
ひと騒ぎを終えてから一時間くらい経った頃合いだろう。そう言うセアスに、リヨンもまた同じような心地を得ていた。
妙に静かだ、ど。
「そうか?」
「たしかに、このへん他の班を見かけないね」
ドランとレーネが、茜羊歯の採集を終えて{保管}の瓶に入れ終えてから、言う。
セアスは周囲を見渡して、それから銀ブナと翡翠スギの木漏れ陽より先を見上げる。なにかを見極めようとする。
リヨンも違和感の正体を探る。気持ちの悪い感覚。いやな感覚。母から罵声を浴びせられたあとの残滓のような。それを防霧林の木々の隙間から感じるようだった。
その時、湖の波打ち際を思い出すような音をかすかに聞いた。
さらっさらっ、という漣の音。
途端に、ぶわっと、肌が粟立つ。闇の、煙の先を感じ取る。
「……霧だ」
セアスが茫然とつぶやく。
そうして、腐ったあまいにおいが、つんとした。
「えっ?!」
「……うわあっ」
ドランが声をあげ、レーネが悲鳴をあげる。
〈魔導霧〉がリヨンたちを中心にするように、あっという間にたち込める。
先に感じ取ったセアスが我に返った。
「戻ろう!」
その声でリヨンも我に返る。いつもの自分だったら固まってしまったかもしれない。けれど、モレリーのぬいぐるみがあるからなのか、レーネたちがいたからなのか、体が自由に動いた。
セアスに指揮されて、全員が一直線に林の入口のほうに向かって走りはじめる。
八歳、九歳の子どもの足でどれだけ全速力を出せるか。息を切らす。
思っているうちに後ろでレーネの悲鳴が聞こえた。長外套で足がもつれたのだ。
倒れた先を振り向けば、霧がリヨンたちを追ってくるようにしていたのが、まるで倒れた友人にまとわりつくようになるのをリヨンは視た。
闇の魔術の血統であるリヨンだからこそ、視れた。
(ただの霧じゃない……!)
呪いに類するものだ。
いけないものだ。
これは守らなければ、弾かなければいけないものだ。
だが、
(声が出ない。出せない)
──{守護}を、リヨンは唱えられない。
知っているのに。
教わっているのに。
声帯が収縮してしまって、なにも絞り出せない気がした。恐怖がさらに締め付けるように雁字搦めにする。
そうこうしているうちに、レーネの周囲を描くようにして、霧が濃くなる。悪意が、凝集する。
なにが起こるのかわからない。霧が人に集まるとどうなるのかわからない。
「レーネ!」
ドランとセアスが叫ぶ。レーネを助け起こそうと引き返す。近寄る。そうしているうちに、霧がなにかの形を象る。
短い時間のようで、長い時間だった。
そのあいだ、リヨンの額の裏で、友人との思い出がまたたいた。
優しさ、屈託のなさ、みんなと同じように接してくれた、さまざまなできごと。
それは、リヨンにとって、心強いできごとだったはずだ。救いで、安心だったはずだ。
一時でも、体のこわばりを忘れられるさまざまなできごとだった。
もっと、喋りたかった。
もっと、いろいろなことを話してみたかった。
これからもっと、レーネと仲よくなりたかった。
なら、リヨンが取るべきことは。するべきことは──
(できることは……)
喉が痛い。凍っている。体中が硬い。
それでも、できる。できるはずだ。できなければいけない。
今、なんとしても自分がやらなければいけない。
そう気持ちがまとまると、自分のなかの〈導脈〉が動いた気がした。翠の魔力を感じる。魔力が、暗緑の砂を、闇を描く。
──今は、リヨンがレーネを助ける番なのだ。
リヨンは強く、呪文を念じる。
頭のなかで、教わったものを詠じる。
──我、闇を操りし者
その瞬間、レーネたちには耳の奥で、頭のなかで、聞いたことのない声が鳴り響いた。鐘が鳴り終えたあとの残響のような音。けれど、同じ女子の声。
リヨンは、念じる。心で、唱える。強く強く、言の葉を思い、紡ぐ。
我、其を言霊で縛りし者
ペリメルの血に連なる者
其を呼ばう
来よ、来よ、闇よ、安寧よ
包め、包め、闇よ、ぬくもりよ
其は──、{守護}なり
その詠唱は──リヨンの声は、レーネたちの頭のなかに直接聞こえてきた。
気づいたのは、研磨された翠の巨大な宝石が、自分たちをあたたく包んで、〈霧〉を払ったあとのことだった。
元素魔術の闇。
あらゆる呪いを弾く、{守護}の魔術。
リヨン自身も、レーネたちも、なにが起きたのかわからず、その場でしばらく呆然と立ち尽くした。




