22話:生活魔術の授業
(うーん、イディさんと、どうやって、仲よくなっていきますかねえ)
シェイラが悩みながら教室の扉をくぐると、オーズの声が後方まで届く。
「──うし、そしたら、今日はこのあいだのつづきからいくぞ」
明るくからっとした声に、シェイラの思考は、授業の内容に向かう。
「前回の復習からな。
じゃ、問題。サージェストの弟子のうち、生活魔術を体系化しためんどくさがり屋は、だれでしょうっ?」
オーズが語尾に力をこめると、はい! といくつも手が挙がった。学環のおよそ八割が挙手している。
リヨンはもちろん、人形のように微動だにしなかった。
当てられたひとりが答える。
「オルターヴです!」
「正解っ。加点十点」
オーズが言う。
「じゃあ、オルターヴと仲がよくて、生活魔術の範囲を広げたり技術面に貢献した目立ちたがり屋は?」
「テッペンスー!」
だれかが衝動的に大きな声で答えた。
「正解! だが、当てられる前に答えたから減点三点っ!」
オーズに言われると、答えた子が「えーっ」とひっくり返った声を出した。
十点だの三点だのなにを言っているのだろう。
シェイラは最初、わからなかった。
それが、授業態度を点数化しているとわかったのは、子どもたちの机上に置かれた魔導具を見たからだ。
木製立てに設えられている、円筒形の硝子。
なかで、液体のようなものが浮揚していて、オーズの言葉に合わせて上がったり下がったりしているのを見て、シェイラは合点がいった。
(いつ見ても、面白い取り組みですね)
子どもたちに聞いてみたところ、この点数を溜めておくと、期末試験で点数が悪かった時に落第を防ぐのに役立つらしい。一定の点数を溜めれば、オーズになんでも願い事ができる権利があるとも聞いた。
授業への参加を促し、子どもたちの動機づけが高まるよい取り組みだ。
(でも、リヨンさんは……)
そんななかでも、手を挙げない。発言しない。点数が溜まらず、試験管のなかの液は沈んだままだ。
それが、シェイラは、かなしかった。
話せないことはつらいだろう。自分の気持ちを言えないのはしんどいだろう。
その状況は、シェイラに──かつての婚約者であるヴィクトルを思い出させた。
生まれながらの王太子。
選ばれた聖剣使い。
そういう紙札を貼られてきた彼もまた、自分の気持ちを容易には表明できない立場にあった。表明できず、指先と肩に緊張を溜め込んでいる人だった。
隣にいて、シェイラは見ていられなかった。
どうにかして、その立場から一時的にでも解放されてほしかった。人の視線を気にせず、自分の気持ちを言えるようになってほしかった。体を、楽にしてほしかった。
いつだったか、ヴィクトルに話したことがあった。
「わたしの前では、べつにいい人じゃなくていいんですよ?」
その時の彼の表情がどうだったのか、シェイラはよく覚えていない。記憶がよいシェイラだったけれど、小ざっぱりと聞こえてほしくて、ヴィクトルとあえて視線を合わせなかったからかもしれない。
いつからか、彼が自分の前ではいろいろ話をしてくれるようになった。張りつめたものをゆるめるようになってくれた時は、たまらなく心が浮き立つようだった。
「ラータもいい人はやめて、敬語をなくしてほしい」
「わたしのこれはくせなので、いい人のつもりはないですし、気もつかってないです」
対等になりたかったのだろう。今だからそう思うが、シェイラはもとから無礼千万だったので、王太子という立場を当時まったく気にしていなかった。ヴィクトルという人間その人と、ずっと向かい合ってきた。
そう言うと、ヴィクトルは破顔して、きれいな紅の目元をやわらかくしていた。
あんな笑顔を、リヨンも浮かべられるようになってほしい。
学環のなかで、笑えるようになってほしい。
シェイラは古傷の哀しみとともに、そう思う。
「──先生! リヨンもテッペンスってわかったって!」
陽の光のような声が大きく聞こえたのは、シェイラが気分を整えている最中だった。
浮かび上がった傷を眺めるようにしていると、リヨンの隣の座席から明るい少女の声が上がる。
「お、リヨンもわかったのか?」
オーズに視線を向けられたリヨンは、かすかに身じろぎする。
隣の少女が、リヨンを覗き込むようにする。小さく肯くようなリヨンの仕草を、シェイラも横目に見た。少女が、顔をぱっとあげて肯く。
「わかったって!」
「そんじゃあ、リヨン一点、レーネも一点な!」
「えー、先生点数低すぎない?」
「当たり前だろ。先に答えが出てるからそうなってんのっ」
「えー、ひどすぎー。先生さいてー」
オーズと、リヨンの隣──レーネという少女のやり取りに学環が笑う。いつものやり取りらしい。
シェイラは、リヨンの硝子管に点数は溜まっていないものだと思っていた。けれどよく見れば、かすかに液がゆらめいているように見える。
このレーネという少女が、リヨンの意志を拾って、今のようにオーズに働きかけているのかもしれない。
(……今年から、学校に行きたくないと言っていましたね)
リヨンの母が言っていたことを思い出す。
なにかそこに、今の状況をよくする鍵のようなものがあるかもしれない。
シェイラは、耳飾りを弾きながらそう考えた。
シェイラは放課後になると、ツェット市の市庁舎にある{転移}の魔術が込められた陣を使用し、帰り道を急いだ。
生活魔術に大分類される{転移}は、あらゆる力の消耗が激しい。
〈導脈〉に伴う個人の魔力しかり。
魔法陣を発動させるための鉱石であるファル石しかり。
ゆえに、{転移}陣を使える人間は、金子を払える者に限られる。
本来であれば、王都ガルバーンとツェット市は、駅馬車を乗り継いで十日ほどかかる距離にあった。
己の魔導によって{転移}を発動させることもシェイラにはできたけれど、いつ蟲との戦闘になるかわからない日々のなかでは、魔力の消費量を考えると、使用はできれば避けたい。
(ヴェッセンダリアの導師というのは、ありがたい特権ですね)
陣をいくらでも使うことができる。
シェイラはそうして、最短で自身の研究室に辿り着いた。
フェノア・マリアは、シェイラが研究室をあまり利用してしないと言っていたけれど、城下で見つけた雑貨や魔道具などの代物は、この研究室にすべて保管している。
振り子や夢結輪、糸紡ぎの魔法でできた組紐が、宵燈の灯りを反射させながら天井からいくつもぶら下がっている。魔除けのお守りは抽斗の突起に引っかかり、はめ殺しの彩鉛玻璃の窓には、符がいくつも貼られて、意味もなく鳴風鈴が硝子玉と一緒に揺れている。
イディオンと会った時に購入した霧砂の砂時計は、壁に取り付けられた収納棚に、薬草瓶や試験管などと一緒に並べられていた。
シェイラは、保管されたもののひとつ、白濁に濁る水晶玉を取る。
なかを──{遠見}先を覗き込む。
切嵌で縁取った出窓が、長椅子のようになっている部屋。
布の張られたその場所に、いくつもの座褥と一緒に並べられているのが、先日作ったぬいぐるみだった。
シェイラは、魔獣を模したぬいぐるみの目を通して、部屋を見る。──リヨン・ペリメルの部屋だ。
屋敷とも呼べる一室が、リヨンの部屋だった。
天蓋布の垂れ下がった寝台にはだれの気配もなく、まだリヨンが帰宅していないことがわかる。
(間に合いました、です)
ふう、とシェイラは息を吐き出す。
今日は、話したいことがあったのだ。
思っていると、扉が内側に開いた。
ぬいぐるみのファル石の目に、革鞄を背負った長外套の姿が映る。
《──おかえり、リヨンちゃん》
歌唱魔術のひとつ{変声}を使ったシェイラの声は、リヨンにかわいらしく届いたにちがいない。
琅玕の緑が、ファル石に留まる。
「──ただいま、モーちゃん」
リヨンが、声を出した。




