2話:ユート
「──着きました、こちらです」
一ヶ月の旅路は、思ったよりあっという間だった。シェイラはそうして、ガルバディア王国の首都魔法学園に足を踏み入れた。
(なんだか、懐かしいです)
石壁の門がぐるりとあって、その奥にある城館のような石煉瓦の建物は、茶色く苔むしていた。左奥には、四階の煉瓦建築。右奥には、新しそうな石煉瓦の三階建て。表に向いている車輪窓が色硝子を輝かせて、うっとりする。ところどころに塔が聳立し、尖塔が陽光を反射していた。
シェイラは眩しく、見上げる。
職員に案内されて、最上階の学園長室に通されると、姿勢を伸ばして、師のように優雅に腰を折った。
「はじめまして、ヴェッセンダリアから参りましたシェイラータと申します」
「おお、智の国からよくぞお越しくださいました……! シェイラータ導師」
恰幅のよい茶色い髭をたくわえた男だった。丸い眼鏡で頭はぼさぼさだが、圧迫感のない背丈もあって、なんとなく話しやすい感じを受ける。
「どうぞ、シェイラと気兼ねなくお呼びください。導師もけっこうです。似つかわしくないので」
「では、シェイラ師と。早速ご案内いたしましょう」
学園長は鷹揚に言うと、立ち上がってシェイラを先導した。
案内されたのは、教導館から南にある初等部の学舎だった。
初等部は、四歳から七歳──数えでは、五歳から八歳までが過ごす。
(もしかして、子どもたちにお会いできるということでしょうか!)
シェイラは浮き足立った。ガザン師の修業で孤児院で過ごして以来の子どもたちだ。
初等部の学者は、古い煉瓦造りだった。廊下に子どもたちの高い声が木霊している。しっけたにおいがしたけれど、不思議に心地よく、子どもたちの声を響かせているようだった。
シェイラの長靴の音と、学園長の革靴の音が、こつんこつんっと鳴り響く。顔が、にやにやとする。
(どんな子たちがいるんでしょう)
扉から覗ける各部屋には、方立と狭間飾りが放射線状にのびた丸い窓があって、子どもたちが楽しそうに授業を受けている姿が目に入った。
気持ちのよい春風が抜けていって、冬の終わりを喜ぶ花々の香りがする。シェイラのゆるく波打った薄紫の髪がなびく。
学園長に案内されながら、ちらっと室内の様子が垣間見える。不審を覚えて足を止めた。
「ああ、そこは……」
学園長が、ぼさぼさの髪の生え際を指で掻いた。汗を隠しているような仕草に、シェイラは察する。
「もしかして……学環崩壊してます?」
学園長の苦笑に、答えが是であるとわかった。
若い──おそらく新任と思しき女教師が声をあげている。が、だれも聞いていない。
騒がしく私語を飛ばし、勝手に席を移動する。教科書と思しきものが送球のようにやり取りされ、授業で扱っている教科とは異なるものが宙に浮かぶ。窓布がお化けの如く、羽筆や筆記本が、あたかも剣と盾の如く、天井に浮かぶ蝋燭のあいだを縫っていた。おそらく習いたての{浮遊}や{操作}の魔術を組み合わせにちがいない。
統率の灯火は消え、ぎゃはは、という子どもたちの笑い声と、きーっという女教師の声が重なり、級や組とも称される学環は、崩壊の叫びをあげていた。
「うわあ……」
シェイラは、室内の様子に下まぶたが引きつった。
三階ということはまだ三年生だろう。これが中等部だったら、おそらく人間や調度が飛び交っていたにちがいない。
「ここの先生からの相談ではないのですか?」
シェイラは、阿鼻叫喚の教室を背にして尋ねる。
「……いえ、ここではなく。こうなっている理由はわかりきっているので、シェイラ師のお力をわずらわせるには及びません」
「なるほど……」
まあたしかに。シェイラは内心で肯く。
まだ、大学府で教師の称号を受けたばかりの、若そうな教師だった。おそらく担当する学環を統制する力が育っていないなのだろう。
子どもたち、特に幼い子どもたちほど、大人をよく見ている。言葉で言わずとも、大人のちょっとした振る舞い、仕草を、敏感に感じ取る。この大人が、自分にとってよい関わりをしてくれるのかどうか、無意識に品定めをしているのだ。
(難しい……ことです)
まだ経験の浅い教師というのは、そういった品定めをもろに浴びてしまう。なかには勘のいい教師もいる。品定めの目をぬるりとかいくぐって、あっという間に子どもたちの心を惹きつけてしまう新任もいる。
けれど、だいたいの新任は──それがよいとか悪いとか関係なく──基本的に、大学府から命じられている教導目録をこなすので精いっぱいだ。
新任は子どもたちを見ることや、学びを深めさせることよりも、教導目録に遅れを取らないこと、こなすことが無意識の目的になる。経験がなければ、余裕がないのは当たり前だ。
それでもきっと、あの新任の教師は、教えることに喜びを感じて教師の称号を得たにちがいない。不憫ではあったが、シェイラはその志に敬意を覚えた。ぺこっと扉の前で一礼をする。ゆるい髪が肩から落ちた。
足を進めた学園長のあとを追う。
「──ここです」
角部屋だった。開けている歩廊のすぐ横の斜面から、ケヤキの木が一本生えていた。曲がった角は薄暗く、暗闇の先からは生ぬるい風が吹いている。元素魔術の始原を思わせる、太古の闇からの風のようであった。
不気味な心地がして、学園長とともに教室後方から入室をする。
室内は、三年生とは思えないほど、しん、としていた。
「──そうして、偉大なる大魔導師であるサージェストは言いました」
中堅の女教師であった。
聖教の授業だ。朗読ではないかと思うくらい、淡々と教導書を読み上げる。
聞いている子どもたちは、静かにしているが、あくびをしたり、手遊びをしたり、姿勢を崩したりしながら、なんとか椅子に座っている。
(これは……)
シェイラの思考が活性化しようとしたところで、学園長がぼそっと囁く。
「では、私はここで。あとは担任のキルシュ師が!」
「えっ」
学園長は、この場から足早に去っていく。シェイラは突然、置いてきぼりを喰らって、ぽかんとした。
(わたし、どうすればいいんですか?!)
「大魔導師ってすげえんだな!」
シェイラの思考に被さるように、少年の声が響いた。羽筆回しをしている。椅子を前後に揺らしながら、思ったことをそのまま口にした様子だった。
シェイラは自分の状況を忘れて、思わず微笑む。
(素直でいらっしゃるんですね)
シェイラは、こういう子が大好きだ。
──刹那、だった。
ひゅんっ、という風切り音。男の子の長机に投げ出された教科書に、羽筆が斜めに刺さる。風の元素魔術と{移動}をかけ合わせた簡単な応用魔術。教科書に刺さる加減も素晴らしい。
シェイラは見定める。
(さすが、中堅の教師)
羽筆を投擲したキルシュ師に、瑠璃色の片目をすがめる。残香する魔力量から引き算すると、同じ魔力ならシェイラであれば、おそらく長机をまっぷたつにしたにちがいない。
「ユートさん、これで本日何回目ですか」
キルシュ師の、いやな響きを持った声だった。
驚いていた男の子が、きょとんと顔を上げる。
「えーっと、たぶん、四回……とか?」
ユートというらしい。
聞かれたままに答えると、キルシュ師の顔が歪んだ。
「残念。七回目です」
「あー、惜しかったなあ」
悪びれた様子もなく、ユートは言う。
「何度言ったらわかるのですか。あなたはなぜ、静かにしていられないのですか。みんなの邪魔になるでしょう」
「え、オレ、静かにしてたよ?」
「さきほど口を開いていたでしょう」
(授業に関係のあることなんだから、いいじゃないですか!)
シェイラは、げんなりした。これだから頭の堅い教師は、と顔を覆いたくなる。
「あ、あれはつい。だって、サージェストってすげえじゃん。この国のじいちゃんのじいちゃんみたいなもんだろ?」
キルシュ師はまぶたを引きつかせた。
「もう三年生になるのです。思ったことや感じたことはあとで紙に書き記しなさい。あなたのそういった発言が、みんなの集中をかき乱すのです」
キルシュ師の発言に、他に二十はいる子どもたちからの視線がユートに直で刺さった。手遊びをしていた子たちも手を止めて、ユートを見やる。
途端にユートが顔を強張らせる。突然、大きな声を出した。
「──うっせえなあ!!」




