19話:黒檀の間
シェイラは思い出しながら、リヨンのことをかいつまんでフェノアに話した。
なるほどね、とフェノアの倍音の乗った声が相槌を打つ。
「つまりそのぬいぐるみは、その子の緊張をやわらげるための代物っていうことね?」
「そうです。それから──」
綿を詰め終わり、手の内に{保管}を描きながらしまいの縫製を行う。ぬいぐるみの黒目部分に、幸運と勇気の祈りを込め、{遠見}を施した黒曜のファル石を縫い付ける。
そうすると、完成だった。
シェイラは完成したぬいぐるみを卓の上に置き、自身の指輪のひとつにふれながら話す。
「──こんな感じでお話もできるようにしようと思っています」
《こんな感じでお話もできるようにしようと思っています》
ぬいぐるみがシェイラの言葉を真似したように、そのまま話す。
耳の長いネコのような、ウサギのような動物──魔獣のモレリーを模していた。
フェノアはそれを見て、興味深そうにする。しげしげと見てから問われる。
「緊張をやわらげることだけが、目的ではないわね?」
「です。リヨンさんと仲よしになろうと思いまして。人間だと緊張させてしまうので、ぬいぐるみにしてみました。緊張の高い子は、人形やぬいぐるみだとなぜか緊張しない子もいるんです。少しは不安の軽減にも役立つかと」
「そしたら、{遠隔}も付けるのはどう? 喋るだけじゃなくて、ちょっと動いたほうが子どもは喜ぶわよ」
「なるほど……! それはいい考えです! 早速、付けちゃいます」
フェノアの提案に、シェイラは喜色を浮かべた。
もう一度金の針を持って、橙の刺繍糸を通すと、ぬいぐるみの耳のなかに小さな陣を施す。
そうして、おしゃべりな動くぬいぐるみが完成した。合作になったぬいぐるみを見て、ふたりで互いの手の平を合わせる。
フェノアが明るい声を響かせる。
「やっぱりこういうのって面白いわね」
「ですです」
シェイラも明るくなる。
フェノアはシェイラよりかなり歳上のお姉さんだったけれど、見た目の年齢は近い。シェイラのなかでは、先輩のような同僚のような友だちのような立ち位置なのが、フェノアであった。
「またどうだったか教えて。わたしの研究にも、役に立つかもしれないし」
──フィシェーユの魔法、もしくは芸術魔術と呼ばれるもの。
それが、フェノアの得意とする魔法だった。特に歌唱魔術を得意とし、声帯などの器官に〈導脈〉を細部まで行き渡らせて魔法を込めることに成功し、導師となった。
今や歌劇場では当たり前の魔法を作り出したのが、フェノアだった。
シェイラはフェノアの本来の年齢を知らないけれど、魔導師の年齢がわからないのはいつものことなので、聞いたことがなかった。
「うまくいくことを願っていてください」
「その子、喜んでくれるといいわね」
美人なフェノアから、玉のような声で言われると、シェイラはうまくいくような気がした。
「──そういえば、」
フェノアが急に、ぽんっと自分の手を叩いた。
「黒壇がシェイラのことをお喚びだったわ」
「ええっ? 早く言ってくださいよ」
シェイラは慌てて立ち上がる。
大事な言伝ではないか。
「すっかり魔法に夢中になっちゃって忘れてたわ」
「なんの用だとおっしゃってましたか?」
「知らないわ。とにかく来いですって」
じゃあ、そう手を振るフェノアを残して、シェイラは急ぎ、黒檀の間に向かう。大学府の本塔の最上階。そこに、その人物はいる。
「──お喚びでしょうか」
シェイラがその部屋に招かれるのは、ヴェッセンダリアからガルバディアに移ってきた初日以来だった。
闇から火が生まれた元素魔術の成り立ちを思わせる室内。
黒壇の間。
指物すべてが磨かれた黒檀で統一されている。宙に浮かぶ天吊燈の明かりを受けて、つやのある表面が光沢を放っていた。
この間の主は、黒檀、と大学府の人間たちから呼ばしめられる。
部屋の主である魔導大学府の学長のことを示していた。
「──来たか」
書き物机の隅には、半馬身ほどもある優美な鶴が止まっていた。上半身は白く、尾にいくにつれて蒼と翠の羽が混ざっている。ガルバディアの学長が魔術によって使役する魔鳥に他ならなかったが、いかに穏やかに羽を広げても、シェイラはあまり近づきたくなかった。
その姿は蟲の──〈雲虹〉を思わせる。
〈蒼鷹〉に次ぐ凶暴さを持つ、極彩色の怪鳥。目がないのに獲物を逃さない。嘴は鋭く、刺突して喰い散らかす。狙われれば、獲物は無惨な姿になる。
シェイラは入室して、それ以上の一歩を踏み出さなかった。──踏み出せなかった。
離れたところから、話を聞く。
ガルバディアの黒檀は、シェイラを見る。羽筆を置くと、告げた。
「シェイラータ、おぬしに女王陛下より、勅命だ」
(勅命……?)
疑問を覚えながらも、黒壇の次を待つ。
「以前から困っていた案件があってな。今回の勅命はそれを解決するためだ」
なぜ、会ったこともないガルバディアの女王から勅命を受けるのだろう。
今上の女王は、六大元素魔術を操るガルバディア王家史上、圧倒すべき強力な〈導脈〉を持ち、その力をして魔導師にも叙されている。あらゆる蟲や魔獣を一瞬で薙ぎ払うことから、絶対女王と言われていた。
「現ガルバディア王家の王太子は、どなたか知っているか?」
黒壇の意味深な問いかけにシェイラは首をひねる。
「……どなたでしたっけ?」
まったく覚えていない。興味がないから気にしたこともなかった。
「第二王子ムディアン殿下だ。御歳十三になられる」
聞いたことがあるような、ないような。
「第一王子じゃないんです?」
立太子するなら、通常長子が順当のはずだ。
(トールは……)
シェイラの元婚約者ヴィクトル・オルリア。
祖国オルリア聖王国の第一王子は──ヴィクトルであった。長子ゆえに、当たり前にヴィクトルが王太子となった。
「それが、おぬしへの勅命に直結する話だ」
「……なにか、あるのですか」
尋ねれば、黒壇は、瞳を黒光りさせた。
「第一王子は、できそこないと言われている」
(いやな言い方です)
決めつけるような表現で、シェイラは好きになれない。
つむじ風を起こして、言っている人間をそばから吹き飛ばしてしまいたくなる。
「できそこないでも、まだ素行がよければいいのだがな。うちから派遣している導師たちをことごとく撒いて、この数年まともな指導を受けておらん。女王陛下もほとほと手を焼いている」
「……なるほど」
できそこないなんて決めつけられたら、逃亡もしたくなるだろう。
そういう思考が働かないのだろうか。
シェイラは会ったこともない第一王子に同情を覚える。
かわいそうです、と思っていると、黒壇は腹黒い笑みを受かべた。
「ところで、シェイラータ、おぬしは子どもの扱いが上手いらしいな?」
流れから、いやでもなにを命じられるのか予測できる。
「まさか、わたしがその第一王子を……?」
「すでに、はじめから、老師メイベ・ガザンの許可は得ている」
「ええー?」
(聞いていないんですが!)
楽しそうにほほ笑む、師の緋色の老眼が想像できる。
「……ですが、わたしの一週間はすでに埋まってます」
「今は難しいかもしれないが、盛夏ノ休暇中は、学校は休みだろう。問題ない。毎日でも登城できる。休み明けも、祝福ノ日か? あの学園は別の導師を派遣する。そんなに困ってないだろう」
「いえいえ、それだけではありません。わたしはこの一年の期間限定でして、王子さまの面倒は見つづけられませんよ」
「おぬしが指導をして、期日までに他の導師に交代できるよう計画立てれば問題あるまい?」
「…………」
ガルバディアの黒壇は、用意周到だった。シェイラの言いわけは、あっという間に尽きる。
そもそも、女王陛下の勅命ならば、断ることができない。
溜息が漏れ出そうになる。
ほんとうは、あまり王族には関わりたくない。
シェイラはのんびりと魔法や魔術の研究ができればいい。子どもたちと楽しく過ごせればばいい。
高貴な人間と関わるのは、もう十分だった。
シェイラは八つ当たりに魔鳥をねめつけながら、黒檀に渋々尋ねる。
「それで、その王子さまはなんとおっしゃる方ですか?」
シェイラが諦めたのを悟ったのだろう。
黒檀は、笑みを含んで言う。
「──イディオン・ガルバディア殿下。魔法が使えない、できそこないと言われる王子さまだ」




