第8節 旅の路銀問題
そうして、リアンとセーラの二人は、ジークフリートの船長であるレイファスに船に乗せてもらう約束をした。出航は五日後。それまで二人は、この港町ターバパンを見て回ることにした。
白い漆喰塗りの家屋の間を通り抜け、広場に出る。すると商人たちが声を張り上げて、果物や布、香辛料を売り歩いているのが見えた。中には、珍しい魔導具(魔法のかかった不思議なアイテムのこと)を売っている商人もいた。
「リアン、見て!」
小さな店舗を窓から覗き込んでいたセーラが手招きをする。
「何かしら、あれ……とても綺麗だわ」
リアンも覗き込んでみる。店の中は照明がなかった。だから昼間なのに薄暗くなっていて、代わりに色とりどりの淡い光がともっている。その淡い光は不思議な形をしていて、ランタンのような器具の中で、まるで蝶々のように羽ばたいていた。
「そんなところにいないで、もっと近くで見てみないかい?」
店の扉から年老いた男が出てきて、そう声をかけてきた。蝶々のような灯りに夢中だったリアンとセーラは、思わず「わっ」と声をあげてしまった。
「見るだけでも歓迎だよ」
「リアン、見せてもらいましょう?」
「うん」
老人に招かれるままに、二人は店の中に入った。
やはり薄暗い店内。それは商品の魅力を際立たせるためだろう。
鳥籠のようなランタンに入っているのは、淡く光る蝶々、というより、蝶々の形をした光というほうが適切かもしれない。それは半透明で、模様もなかった。
青、緑、黄、赤、水色、ピンク。店内には色とりどりの光の蝶が羽ばたいていて、幻想的な光景だった。
「すごいわ……!」セーラは感動に瞳を震わせている。
「これは夜光蝶。ある地方の森に生息する、魔力を持った特殊な植物があってね。その花が発している光なんだ」
「え、花なのか?」
リアンが夜光蝶の入ったランタンを覗き込んでよく見ると、底面には土が敷かれていて、そこから植物の細い茎が伸び、小さな花が咲いていた。
「なんて神秘的……素敵ですね」
夜光蝶に囲まれているセーラも神秘的で素敵だよ。とは口には出せなかったが、代わりにリアンは提案する。
「その……セーラ、よければ、一つ買ってあげようか?」
「え……わたしに?」
「うん」
勇気を出して言ってみたけど、セーラは首を横に振った。
「ありがとう。でも大丈夫よ。こういうときのために、お金を貯めているのです」
セーラは得意げにそう言って、じゃらりと銀貨の入った袋を取り出す。
本当はプレゼントしてあげたかったリアンは、曖昧に苦笑いをした。たしかに手持ちの路銀は心許ないのだけど。
「店主さん。これをくださいな」
セーラはどれにするか真剣に悩んでから、一つのランタンを手に取った。中の夜光蝶は綺麗な緑色に光っている。
なんとなくセーラは青色か桃色を選ぶと思っていたけど、どうやら予想は外れたらしい。
「まいど。お嬢ちゃん、いい目利きだね。これはサービスだよ」
店主のおじいさんは、セーラの選んだランタンをいったん解体して、何か作業をしてからまた組み立て直した。
「ほら。どうだい? 気に入らなければ元に戻すよ」
ランタンの中には、先ほどの緑色の蝶といっしょにオレンジ色の蝶が羽ばたいていた。
「まあ! 本当に素敵……! ありがとう、店主さん」
緑と橙の淡い光に照らされながら、セーラはとびきりの笑顔を見せた。それに満足したように、店主も「また来なさい」と言った。
町を散策する二人の少年少女。雑踏の中から、それを冷めた瞳で見つめている、フードをかぶった小柄な人影があった。
リアンとセーラは広場を後にして町の中を散策する。商人たちの賑わいを背にして街道を進み、一本細い路地へと足を踏み入れると、世界はまるで裏返ったかのようにその様相を変えた。
港町の喧騒は遠くかき消え、淀んだ空気と腐臭が鼻をつく。
一歩。足を踏み入れると、路地に座り込んでいるボロをまとった人々が、正気のない瞳でこちらを見つめてきた。
「リアン……この先には近づかないほうがいいでしょう。……戻りましょう」
そこには大人から幼い子供までいて、皆が痩せこけていた。
聞いたことがある。ここは、スラム街。貧しい人々が暮らす地域だ。
なんだか切なくなって、リアンはごくりと唾を飲み込んだ。
「とても悲しいけど……わたしたちには、彼らを救うことはできないわ」
それはそうだ。リアンたちにはどうにもできない。
路地の奥から聞こえてくる押し殺したような嗚咽。得体の知れない汚水を飲んで乾きを満たす幼い子供。そんな現状を知ったとしても、彼らに手を差し伸べることはできないし、してはいけないことはリアンにも理解ができた。
頭上を見上げると、わずかな空を奪い合うように、洗濯物なのかただの汚れた布きれなのか判別つかないものがロープに吊るされ、無秩序にはためいていた。
スラムを離れて、ふたたび町を散策していると。
「私は準備があるので、先に宿に戻りますね」
「準備?」
そう言ってセーラは小さく手を振ると、あらかじめ荷物を預けていた宿屋へと先に帰ってしまった。
仕方なくリアンは一人で広場に戻って露店を見て回る。何か買ってセーラへのお土産にしたら喜ぶだろうかと思ったけど、懐事情を考えると、思い切った買い物はできなかった。
それからまもなくリアンも宿に戻ったが、けっきょくその日はセーラは夜中まで帰ってこなかった。
そして次の日の朝。明るい朝日が昇り、海鳥の声で目を覚ましたリアンは、宿の食堂へと向かった。魚介を中心とした賑やかな食事の用意されたテーブルに着くと、ほどなくして金髪の少女が食堂に入ってきた。
「あ、リアン。おはようございます♪」
「おはよう、セーラ」
昨夜は何をしていたのだろう。なんとなくそれは聞くことはためらわれたので、リアンはセーラと普通に談笑しながら朝食を楽しんだ。
食事を終えて宿の外に出たら、セーラはごそごそと鞄の中から小さめの銀貨袋を取り出した。
「リアン、手を出して」
「こう?」
言われた通りにすると、セーラは優しくその手をつかんで、いくばくかの銀貨を握らせてきた。
「セ、セーラ、これは……?」
「ふふ。昨夜のわたしの稼ぎです。これでいっしょに観光を楽しみましょう」
「ええ!?」
聞けばセーラは、昨晩、吟遊詩人として酒場や飲食店で演奏をして詩を唄って、お金を稼いできたらしい。
たしかにセーラの演奏や詩なら、みんな喜んでお金を払ってくれるだろうけど。
「う、受け取れないよ!」
「え……どうして?」
セーラはきょとんと首をかしげた。それに少しだけ悲しそうな顔をしている。そんな顔をされても。
「リアン、路銀も残り少ないのでしょう?」
「そ、そうだけどさ……」
「なら、ぜひ受け取ってください……。旅立ったばかりだと、なにかと大変だと思うので」
わたしのことは気遣わなくても大丈夫です。とセーラは笑う。笑顔がまぶしいけど。
思えば宿のチェックインもセーラが済ませていたし、何から何までセーラがやってくれている。
これでお金を稼ぐことまでセーラに任せてしまったら、本当にヒモになってしまう!
今持っている路銀だって旅立つときに両親にもらったものだ。
これじゃあダメだ。
「と、とにかく、俺は大丈夫だから」
セーラの白魚のような手を掴んで銀貨を返却すると、リアンは慌ててその場を後にした。
「あ、リアン!」
セーラには申し訳ないけど、今は振り返るわけにはいかない。
リアンは一人で走って、広場のほうへと向かった。
思わず、逃げるようにして町に出てきてしまった。
ともかく、リアンはお金を稼ぐ方法を考えることにした。けど、畑仕事の手伝いをしていたとはいえ、自らの手でお金を生み出す方法をリアンは知らない。
「どうしようかな……。あ、そういえば」
リアンは、父親のガイルが書いてくれた冒険手帳に、路銀の稼ぎ方が乗っていたことを思い出した。
えっと、なになに……交易――各地域の特産品を安く手に入れて、別の地域で高く売るのが路銀を稼ぐ基本。
「……これはすぐにはできなさそうだな」
交易をするには、いくつもの町を回る必要がある。それに、元手となるお金も必要だ。
「今、俺にできることは……」
冒険手帳には、すぐにお金を稼ぐ方法という欄があった。
大きな町には、旅人向けとして日雇いの仕事の斡旋所があるらしい。
これだ!
リアンは町の人に聞いて、仕事の斡旋所を探した。
冒険者協会。
旅人向けの仕事の斡旋所は、なんとそう呼ばれていた。
冒険者という響きになんともロマンを感じる。さっそくリアンは路銀を稼ぐための仕事を探すことにした。
「港の荷物運び」や「店舗の売り子」、「魔物の退治依頼」までさまざまな仕事があった。
その中でリアンは、値段も大変さもそこそこである、「薬草摘み」の仕事を引き受けることにした。納品する薬草は、昔ガイルといっしょに採取したことのあるものだったから、探しやすいと思ったからだ。
そうして依頼を受けたリアンは、半日かけて町外れの森の中から薬草を採取してきて納品し、ほんの少しの日銭を稼いだ。
「お金を稼ぐってたいへんだなぁ……」
各種手続きの面倒くささとか含めて、リアンは世の中を生きていくことの厳しさを身をもって噛み締めていた。




