第5節 夢の灯火
煙が上がった村の中を、リアンは駆けた。逃げ惑う人たちとすれ違いながら、騒ぎのするほうへ。恐ろしい魔物の咆哮が聞こえる、その場所に向かって。
(父さん……どこにいるんだ?)
まずは父と合流しなくては。すれ違いざまに、逃げる村人の声が聞こえてくる。
「ガイルが、ガイルが魔物と戦ってる!!」
父さんが魔物と。それを聞いてリアンは勇気が湧いてくると同時に、嫌な予感も強くなった。
(無事でいてくれ……父さん)
建物が崩れる音が聞こえたそのとき、遠くに怪物の姿が見えた。
「父さん!」
その声に、ガイルは戦慄した。瓦礫の下敷きになり、今にも魔物の餌食になりそうな今の状況。その事態が、さらに悪い方向へと転がろうとしている。
「リアン……、なぜ来た!!」
ガイルが叫ぶと、リアンはやや怯みながらも答える。
「様子を、見に来たんだ。それよりも父さん、いま助けるから」
「俺のことはいい。それよりも早く逃げろ!」
リアンは瓦礫を取り払おうと奮闘しているが、その重さに苦戦していた。
ノクトザールが眼前まで迫る。初めて見る異形の姿とその大きさに、リアンは恐怖の表情を浮かべた。
「逃げろ」ガイルはもう一度言った。
だが、リアンはその言葉には従わずに、魔物の前へと立ちはだかった。その手に鍬を構えて。
「……逃げない」
「やめろ、お前では無理だ」
「いや……無理でも、やるんだ!」
震えながらも、はっきりとリアンは叫ぶ。
「俺は、守りたい。大切な……家族を!」
リアンは鍬を振りかぶってノクトザールに向かって突進した。しかし怪物はその力強い腕で、軽々とリアンを弾き飛ばす。
ゴロゴロと地面を転がり、傷だらけになりながらリアンは起き上がってノクトザールを睨みつけた。
「もういい……!」
ガイルは声を絞り出した。リアンは折れて使い物にならなくなった鍬を捨てて、落ちていたガイルの剣を拾い、またもノクトザールに挑んだ。
振るった剣の切っ先が怪物の体に届く前に、長い爪が振り抜かれる。それを刀身でまともに受けたリアンは、またも勢いよく吹き飛ばされた。
気力だけで起き上がるリアンに、追い討ちで大蜥蜴の尻尾が打ち付けられる。
「もういい、リアン……もう十分だ……!」
せめて、お前だけでも生き延びてくれ。ガイルは祈るように叫んだ。
尻尾の攻撃を受けて一際大きく吹き飛んだリアンは、血を吐き、よろけながらも立ち上がる。
「俺は、逃げない……」
守るんだ。絶対に。
月明かりが照らす中。
空から美しい白い羽が、ゆらりと舞いながらリアンへと降り注いだ。
その瞳はまっすぐに怪物を見据えて、ボロボロになりながらも、自分よりずっと強い存在に立ち向かう少年の姿。それに。
「勇者……」
かつてガイルが憧れ、夢みたもの。その姿と、今のリアンの姿が重なる。
ユディス。無意識のうちに、ガイルはかつての友の名を口にしていた。
「うおおッ!」
襲いかかる鋭い爪。それをリアンがかわして懐へと潜り込んだとき、とっさにガイルは叫んだ。
「リアン! 頭だ、頭を狙え!」
直後、リアンは怪物の頭をめがけて跳躍する。空からは白い羽が月明かりとともに降り注ぎ、まばゆい光が剣の刀身を包んだ。
怪物の弱点である頭部。
そこにリアンは剣を突き刺した。
大蜥蜴の怪物は、激しく暴れ始める。
「くっ!」
それでも剣を離すことなく、怪物にしがみつく。振り落とされそうになりながらも、懸命に。絶対に、絶対に離すものかと。
やがて――。
怪物は力尽きて倒れた。
動かなくなった黒い体が、霧となって消えていく。
「……や……やった…………」
リアンはその場で膝をついた。それから、こちらを振り返って微笑む。月明かりに照らされながら。
その姿が、笑顔が、亡くした友と重なる。
あるいは、かつての自分自身と。
「リアン、お前……」
「よかった。父さんが無事で」
心底ほっとした様子で微笑むリアン。
それを見て、ガイルは胸の中に熱いものが湧き上がってくるのを感じた。
かつて諦めた見果てぬ夢に、ふたたび火が灯るのを。
「いいの? 父さん」
翌日。リアンは背負い袋に荷物をまとめながら、改めて尋ねた。傍らには母であるミレイユが、すでに目に涙を浮かべながら、傷だらけで包帯まみれのガイルとリアンを見つめている。
「ああ。お前はもう立派な男だ。……自分の道は、自分で選べ」
それに……、とガイルは付け加える。
「……俺も、お前に夢を見たくなった」
「父さん……」
「旅をして、お前が何を成してくるのか、俺にも見せてほしい」
「うん」
そう。リアンは旅に出ることになった。本当はガイルもミレイユも、傷が治ってからにしたほうがいいと言ったのだが、すぐに旅立ちたいと言ったのはリアンだ。
急いで出発を決めたのには理由がある。旅に出るにあたって、最初の目標があるからだ。
(……あの子に、追いつきたい)
先に旅立った吟遊詩人の少女セーラにまた会いたいからだ。
荷物をまとめ終わったリアンに、ミレイユが一冊の手帳を渡す。
「母さん、この手帳は?」
「父さんの作った冒険手帳だよ。この人ったら、徹夜していろいろ書き加えてたの。怪我をしているのに……『明日旅立つなら、急がねばならない』って」
リアンは手帳を開いてみる。新品だ。どうやら父さんの昔使っていた冒険手帳を書き写し、さらにリアンが覚えるべき旅の基本的な事柄を書き加えたものらしい。
内容を見てみると、冒険において注意すべきことから、旅の途中でのお金の稼ぎ方や食べ物の入手・保存の方法まで書かれていた。
「……ありがとう」
リアンは心から感謝した。この手帳は、これからの旅の中ですごく役に立つだろう。
そして、ガイルはリアンに一振りの剣と、そして地図を差し出す。
「……俺の剣だ」
それ以上は言わなかった。リアンは慎重に、その剣を受け取る。
ガイルの剣は、魔力が込められた真銀製の逸品。そんなすごいものを託されたことの重みを、リアンは噛み締めた。
それから地図を受け取った。描かれているのは、この大陸の一部のようだ。そして、海の果てに一つのバツ印が記されていた。
「これが何を示す地図なのかはわからん。宝の地図なのか、あるいは別の何かを示しているのか。……冒険家時代の心残りの一つだ。これもお前にやる」
「父さん……」
心の底からの感謝を込めて、リアンは力強くうなずいた。父さんの夢も、俺が引き継ぐ。
「リアン」
「うん」
「夢を、叶えて来い」
「……。うん」
「お前の夢は、俺と母さんの夢だ」
ガイルがリアンの肩を叩く。その隣でミレイユが震える声で言う。
「あなたの帰る場所は、いつだってここにあるから…………だから安心して、遠く……遠くまで、行ってらっしゃい」
母が、リアンを強く抱きしめた。
「どうか……健やかに」
「うん。……父さん、母さん。行ってきます」
丸めた地図を背負い袋に入れて、剣を背中に背負い、生まれ育った家からリアンは旅立った。
村を背にして、遠くを目指して。
隣町への道を歩くさなか、遠く、空の向こうに大きな白い鳥が羽ばたいているのが見えた。虹を描きながら。リアンの進むべき道へと飛んでいく。




