第29節 フィリオスルピアの夢
美しい吟遊詩人の少女。
それは霊鳥の見た夢。
いずれ夢は覚めて、また新たな夢を見る。
だから少女は、いつも真っ白。心も記憶も、ぜんぶ。
たとえ汚れても、傷ついても、まっさらに戻される。
だから彼女は、いつだって何もない。
空っぽだった。
軽い心と体は飛んでいってしまいそうで。
その背にまとった大きな翼は、彼女を縛り付ける鎖にも似ていた。
空間のゆらめきの中に飛び込むと、景色は大きく変わった。
見渡す限りの草原。頬の撫でる風。草の匂い。それは大自然というべき光景だった。
遠く、荒れた岩山が見える。そこが進むべき道だということは、なんとなくわかった。
「行こう、みんな」
「うん」
「ああ」
「はぁ……」
リアンが声をかけると、ティア、キード、シファの順番で返事をする。
四人は草原を進んだ。
途中で大型の魔物が出てきたが、キードの魔術やティアの奇跡、シファの剣術、それにリアンの持つ剣の力であっさりと倒すことができた。
真実の剣は、本当に強力だった。ただ軽くて斬れ味に優れるだけではない。小さな力で振るっただけで、ものすごい威力を発揮して、心なしか身体も身軽になっている気がする。
「すごい剣だ」キードが言った。「おそらく、この剣であれば不死の勇者も倒すことができるのだろう」
「……そうだね」
この剣があるから勇者ラスベルより強くなったとは思わない。けれど、勝たなくてはならない。ラスベルの無念を知ってしまったのだから。それを終わりにしなくては。
「たぶん、ラスベルはこの先にいる……わかるんだ。俺には」
「……そうですか」
シファは疑うこともなく、その言葉にうなずいた。
それからティアが言う。
「さ、ここからは岩山だね。いっそう大変な道のりになるけど……がんばろう!」
その儚げな声と笑顔に皆が奮い立って、さらに先へと進む。
岩地を。それを越えたら、崖際の道を進んでいく。びゅうと風が吹き、少しでも足を踏み外したら真っ逆さまの道を、ピッケルなどの冒険用の道具を駆使して少しずつ慎重に。ときどきキャンプを張って休みながら、襲いかかる魔物や動物を倒して追い払いながら。
その道の先。
渓谷を進んでいくさなか、リアンたちは強大な魔物と遭遇した。
大地を揺るがすほどの巨体に、鋭い爪と牙。頭には禍々しい角が生え、背中には大きな翼。
「あれは……」
言いかけたキードの言葉を、リアンが引き継ぐ。
「ドラゴンだ!!」
竜。ドラゴン。それは気配を察知する能力も高いらしく、隠れていたリアンたちの姿をその宝玉のような瞳が捉えていた。
「どうやら、戦うしかなさそうだな……みんな、準備はいいか?」
激闘が始まった。
キードやティアが魔術を放つが、魔術への耐性が高いドラゴンにはほとんど効果を示さない。シファの斬撃も、硬い鱗に阻まれて歯が立たない。
対するドラゴンの吐く炎は、直撃を避けてもすさまじい熱気によって体力が奪われていく。
気づけば、辺り一面が火の海だった。決め手になるのは、リアンの持つ「真実の剣」しかない。
そこでキードは地面から蔦を生やしてドラゴンに絡み付かせて阻害し、隙を作る作戦に切り替えた。シファは飛び散る破片を刀でさばき、受け流し、ときにはその身を盾にしてリアンをかばって道を作る。そんな前戦の二人の受けた傷を、ティアは奇跡の魔術で癒やした。
「今だ、リアンくん!」
「ああ!」
キードの残り少ない魔力を使って行使した魔術によって地面が隆起し、ドラゴンの体勢が崩れる。翼でバランスを取るも、その隙は大きく、リアンは一気に接近して、ドラゴンの首めがけて思い切り剣を振るった。
莫大な霊力が込められた真実の剣が、一閃の光芒を描く。
すでに数多くの傷を負っていたドラゴンは、その一撃によってついに地に伏した。
「やった……!」
拳を握りしめたリアンに、ティアが飛びついてくる。
「やったぁ! すごいよリアン!」
「いや、みんなのおかげだよ」
キードも満足げにうなずく。
「これで我々もついに、誉れ高きドラゴン殺しというわけだね」
シファはただ茫然と自分の手のひらを見つめている。
「どうしたんだ、シファ?」
「いえ……ずいぶんと遠くに来たと思いまして」
世界の交わる地まで来て、ドラゴンと戦い、ついに倒してしまった。その実感がまだ湧かないのだろう。
「……そうだな」
「まあ……こんな大物が出てきたのだから、私たちの道のりもあと少しなのでしょう?」
「たぶん。……そんな気がする」
確実に近づいているのを感じる。霊鳥フィリオスルピアに。勇者ラスベルに。旅の終着点に――。
「行こう」
リアンたちは荒野を進む。
荒れていた大地は、ぽつり、ぽつりと少しずつ緑の色を見せ始める。
遠く、前方に見えるのは、自然豊かな山だった。
その道中。
こちらに背を向け、一人の男が立っていた。
風になびくマントを、背負った大剣が押さえつけている。
後ろ姿から発する気配だけでも、その人物が尋常ではない使い手であることがわかる。
「来たか……」
彼が勇者ラスベルだ。口に出さずとも、誰もがそれを理解した。
リアンは剣を構え、キードとティアとシファも各々の武器を取り出す。
「この先に見える山が、霊峰フィレニス。フィリオスルピアの住処だ」
ラスベルが振り向く。精悍な顔立ち。真紅の瞳がリアンを見据えた。
「お前の夢は、そこにある」
武者震いを感じながら、リアンは尋ねる。
「……俺たちの道を阻むつもりか?」
ラスベルは背負っていた大剣を抜き、構えた。
「そうだ」
ラスベルは何を思ってこの場所で待ち、リアンたちの前に立ちはだかるのか。それは推し量ることしかできないけど。
この大きな壁を、幼い頃からの憧れを乗り越えなくては、きっと夢にはたどり着けない。
「なら……俺はあんたを倒す」
「ああ」
「……勝負だ、ラスベル」
リアンも背中から剣を抜いた。真実の剣。この世でもっとも強いという、夢から生まれた剣を。
「ティア、キード、シファ……ここは俺一人で戦う。……やらせてほしいんだ」
シファとキードが静かにうなずくが、ティアだけは驚いてリアンに駆け寄る。
「一人で……大丈夫なの?」
「わからない。でも、やらなくちゃいけないんだ」
「で、でも……」
「どうしても、なんだ。……ごめん」
固い決意に、ティアは引き下がった。その表情を見ていられないというふうに、うつむきながら。
「そんな顔されたら……何も言えないよ」
続いてキードがリアンに近づく。
「一人で戦うのはいいが、せめてこのくらいはさせてくれ……炎よ、武具に宿れ――ファイア・エンチャント!」
発動した魔術によって、リアンの剣に炎の力が宿った。
「あ、あたしも……! お願い、クリステイン……あたしの大切な人に、祝福を!」
身体強化の魔術だ。ティアの霊石が発する奇跡の力によって、リアンは全身に力が湧くのを感じる。
「ありがとう、キード、ティア!」
最後にシファがすぐそばまで近づいてきて。背の低い彼女が、リアンを見上げた。
「他の二人と違って、私は何もできませんけど」
そう前置きをしてから。
少しだけ背伸びをしたシファは、リアンのことを、そっと抱きしめた。
「……どうか、無事で」
「ああ」
それを見たティアは少しだけむくれてから、困ったように微笑みながらため息をついた。
「行ってくる」
リアンはもう一度、炎に包まれた剣を構えた。目の前に立ち塞がった勇者ラスベルへと。
「俺は憧れを、越える」




