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フィリオスルピアの夢  作者: 栗衣栗広
第三話 黒竜伝説
25/31

第25節 厄災に立ち向かう光

 空はいつの間にか曇天と化していた。

 火口の中から龍が空へと舞い上がり、その炎の表皮は黒い鱗を持つ体へと変化していく。

 蛇のような体は、おそらく島の直径より長い。先端の頭部には巨大な顎と牙があり、わずかに炎を吐き出しながら宙を舞う。

 全長に対して短い手足――あるいは四本の脚部には、鋭い爪が生えている。

 異形を見上げながら、キードが絶望的な声音で言う。

「なんてことだ……あれが、黒龍イリュードフレア……」

 復活してしまった。古の時代より蘇ってしまった。

「もう……世界は終わりなのか……? いや、だが……」

 その漆黒の鱗をまとった龍の体は、わずかに透明がかって見えた。

 黒の中に、空や雲の青と白がかすかに浮かび上がっている。

 完全な顕現には、ほんのわずかにパズルのピースが足りないのか。その理由と思われるものは、黒龍の首元にあった。

 白い球体だ。黒龍の喉のあたりが、球状に白く光って膨らんでいる。

 その中に、何か影のようなものが見える。少女のシルエットを描いた影が。

「あそこにいるのは……ティア……?」

 黒龍の喉の球体の中で、一心に祈り続けている人影。それが黒龍に飲まれたティアだということは、確認せずともわかった。

 きっと彼女は、今も黒龍に取り込まれまいと抵抗し続けているのだろう。

 だからこそ、黒龍イリュードフレアは不完全の状態なのだ。

 村人たちから悲鳴が上がる。「黒龍だ! イリュードフレアが復活してしまった……!!」「なんてことだ。世界は終わってしまうのか?」

 村長のエルマンは、火口縁に立ち、がくりと膝をつく。

「これは……リアン殿の言う通り、儀式を行うことは過ちだったのか……?」

 ぶつぶつと後悔の言葉を漏らすエルマンの肩をつかんで、リアンが叱咤する。

「どっちでもいい! とにかく今は、村人たちを避難させるんだ!!」

「き、きみはどうするんだ……?」

「俺は……」

 リアンは剣を抜いて宣言する。今度こそ、はっきりと。

「ティアを助けに行く!」

 そして、走り出そうとしたところを、キードが呼び止める。

「リアンくん、あれに挑むのか? 無茶だ」

「無茶でも、やるんだ……! ティアだって、今も必死に戦ってるんだから……!」

「ティアちゃんが?」

 キードは望遠鏡を使って黒龍を観察する。

「そうか……ティアちゃんの巫女の力が、イリュードフレアに飲み込まれることなく抗っているんだ……! だから奴は、不完全な状態なのか!」

 すると、どこからともなくシファが現れてリアンの隣に立ち、冷や汗をかきながら黒龍を見上げる。

「あれとやるんですか……? さすがに無理っぽくないですか? でかすぎですよ」

「そうだな。……でも、諦めちゃダメだ。やれることを全部試すまでは」

「試すって言っても、あれ飛んでますけど。刀も届きませんけど」

 たしかに剣で攻撃するのは無理だ。でも、リアンにもできることがある。

「飛べ、炎――ファイアボルト!」

 リアンの手のひらから黒龍に向けて火球が撃ち出された。キードの教わった、覚えたての魔術だ。

 狙い通りに火球は黒龍に命中して炸裂したが、やはり巨大な黒龍には傷ひとつつけることができない。

「ぜんぜん火力が足りてねぇですよ」

「わかってる……!」

「リアンくん、下がって。私がやってみよう。――迸れ、雷光――ライトニング・ボルト!」

 キードの手から稲妻が走り直撃するが、黒龍は意に介した様子すらなく空を飛び続けている。

「キードの魔術でもダメージなしか……!」

「そのようだ。さて、どうしたものか――」

 次の手を考えようとしたとき、黒龍が大きく頭をそらした。

 息を吸い込み、巨大な咆哮を上げる。

 世界への憎悪を凝縮したような叫び。それだけで心が砕かれそうなほどの衝撃だった。

「ぐっ……!」

 リアンは膝をついた。避難しようとしていた村人たちも、ほとんどがうずくまってしまった。それどころか、辺りの草木が枯れ始めている。大地が腐敗していっているのだ。

 黒龍が発する声には、それだけで生物の精神を壊す魔術のようなものが込められているのか。

 咆哮する勢いのまま、黒龍は天空に向かって炎を吐いた。

 すさまじい熱風が吹き荒れ、リアンは腕で顔をかばった。

 空が焼ける。

 雲が炎に包まれ、赤黒く光っている。

「圧倒的すぎる……」キードが燃える空を見上げながらつぶやく。「これは、人の手で倒すことのできる存在じゃない……」

 リアンは歯噛みする。

「俺は、諦めない」

「リアンくん……」

「あの龍の中で、ティアが待っているんだ。こんなとこで怖気付いてるわけにはいかない!」

 かならずティアを助ける。この世界を、思い通りに壊されてなるものか。

 そのとき、リアンの剣が白い光を帯びた。コルツ村で影の魔物ノクトザールを倒したときに見た光と同様のものだった。

 ひらひらと、鳥の羽根が舞い落ちてくる。

 剣を掲げて、リアンは強く祈った。

「頼む……誰でもいい。どんなものでもいい……! 俺に力を……!」


 光をまとった剣を背中に背負い、リアンは火口の周囲にある崖を登り始めた。

「リアンくん、どこに行くんだい?」

「黒龍イリュードフレアのところへ! 魔法が効かないなら、直接攻撃しかない!」

 その言葉を聞いたシファが、珍しく少し慌てた様子で言う。

「黒龍の体に取り付くつもりですか? 無茶です。振り落とされて死ぬのがオチです!」

 わかってる。そもそも黒龍に接近して体に飛びつくこと自体が困難だ。

 だが、もう思いつく方法がそれしかない。

 リアンはキードとシファの静止を振り切って、崖の上に立った。ここが山の一番高いところだ。

 あとは黒龍が近くに来たときを見計らって飛べばいい。失敗したら、崖下まで真っ逆さまだ。

 直後、黒龍が咆哮を上げた。

 怨嗟の声。それによって精神に強い衝撃が加わって、リアンの体がぐらりと傾く。

「リアン……!」

 悲鳴のようなシファの声が聞こえる。

 こんなところで怯んでいられない。やるんだ。もうすぐ、黒龍が近くに来る。

「ティア……今、そっちに行くから」

 黒龍が空中を旋回し、山に近づいたところで、リアンは崖の上から跳躍した。

 空にはまだチリチリと炎が燃え残っていて、熱い風が吹く。

 それなのに、いつの間にか辺りには雪が降っている。天候がおかしくなっているんだ。

 果たして――。リアンはなんとか黒龍の尻尾の辺りにしがみつくことができた。

 半透明だが実体はあるようだ。鱗は鉄のように硬い。リアンは剣を振り上げて、思い切り鱗に突き刺そうとした。

 がきん、と剣が弾かれる。まったく歯が立たない。

「……やっぱり、普通に攻撃してもダメか」

 もし攻撃が通るとしたら、おそらく首の球体だろう。そこは内側から膨れ上がって他の部位よりはもろくなっているだろうし、ティアを助けるためにもそこを破壊する必要がある。

 リアンは黒龍の体を這い上がっていく。すさまじい強風と揺れで振り落とされそうになりながら、少しずつ、少しずつ前進していく。

 そのとき、体を這い上がる小さい生き物の存在に気づいたかのように、黒龍が咆哮を上げて身じろぎをした。

「ぐあ……っ!」

 精神が砕かれる衝撃と激しさを増した揺れによって、しがみついていることができずに、リアンの体が宙に投げ出された。

 落ちる。このままだと死んでしまう。もがく、もがく。リアンの手足が空中をかいて、でもつかまる場所がなくて落ちていく。

「うわあああッ!」

 がむしゃらに……落ちていく最中、リアンは黒龍の尻尾をつかんだ。硬い鱗で手が傷だらけになるのも(いと)わずに、なんとか黒龍の体にしがみつく。

 尻尾から首元までは遥か遠く。リアンの体力が持たないかもしれない。

(諦めるか……絶対に諦めない!)

 リアンは巨大な蛇のような黒龍の体をよじ登っていく。しかし――。

「……っ!」

 黒龍が尻尾を振り回すと、リアンはふたたび空中に投げ出された。

 しがみつこうと手足を動かすが、その一瞬の間に黒龍の体ははるか遠くに移動してしまっていた。どうやっても届かない。リアンの体が山の麓へと落下していく。

「くそっ……!」

 それでもリアンは手を伸ばした。黒龍に。首元にある少女の影に。決して手が届かなくても、手を伸ばした。

 諦めるか……諦めたくない……!


 刹那。

 虹をまといながら、空を羽ばたく鳥がリアンの視界に映った。白い大きな鳥。

「あれは……フィリオスルピア……?」

 俺の夢、俺の憧れ……。

 ああ。無事だったんだ。

 あれが、もしフィリオスルピアなら……。

「フィリオスルピア、俺の願いを叶えてくれ」

 リアンは強く願った。

 ただひとつでいい。この時だけ……。ティアを助け、皆を守れるだけの力を……!


 白い鳥が、眩く光る。


 その鳥が、リアンのもとへと飛んでくる。

 霊鳥だ。白く輝く霊鳥は近くに来ると、その大きな翼でリアンを包んだ。

 すると力が湧いてくる。擦り切れた精神が癒やされ、熱い希望へと変わる。

 それに……飛んでいる。気づいたら、リアンは空を走るようにして飛んでいた。

 山のほうでは、キードが、シファが、村人たちがリアンの戦いを見守っていた。

「リアンくん……その姿は……」

「奇跡が……起きているのですか……?」

 リアンは黒龍イリュードフレアのもとへ、ティアのもとへと空を駆けた。

 黒龍の首元にある白い球体へ。

 まばゆい光が。光に包まれた人間が迫ってきていることに気づいた黒龍は、喉を反らせ、大きく息を吸い込んで、すべてを滅ぼす炎を吐く。

 リアンはただ信じた。今の自分は、思い通りに空を飛べるのだと。

 迫り来る灼熱の炎を避け、リアンは黒龍へと接近していく。

 そしてついに、白い球体へとたどり着いた。

「ティア。聞こえるか、ティア!」

 うずくまっていた黒い人影の顔が、こちらへと向けられる。

 気づいてくれた。ティアはまだ助かる、助けられる……!

 リアンは思い切り剣を振りかぶり、切っ先を球体へと突き立てる。

 がつん。腕が痺れる。球体には傷ひとつ入らない。

 リアンは剣に思い切り魔力を込めた。刀身にまとった白い光がまばゆいほどに強烈になる。

 輝く剣で、リアンは球体に斬撃を浴びせた。

 壊れない。たしかに手応えはあるのに、いまだ黒龍の体には傷がつかない。

「どうすれば……!」

 そのとき、ティアが球体の壁面に手をかざした。ちょうどリアンのいる方向に。

 球体の一部が、少女の手のひらが触れている部分が、ゆらゆらと不安定な揺らぎを見せる。

「ティア……きみも、抵抗しているのか……?」

 そうだ。片方からの攻撃で壊れないなら、両側からなら。

 リアンはありったけの魔力を込めて、剣を振りかぶる。

「うおおおお――ッ!!」

 がん!

 今までで一番強い手応えが伝わってくる。

 みしり、と卵の殻のような球体の一部に亀裂が走った。

 その中で、ティアが何かを言っている。そんな気がした。

 もちろん声は聞こえない。でも、何を言っているのかは、なぜかはっきりとわかった。

 ――もう一度、あたしとタイミングを合わせて。

 リアンは思い切り剣を振りかぶった。全身全霊を込めて。

 ティアが手をかざす。おそらく彼女も魔力を込めて、祈りの力を使っているのだろう。

 その瞬間を見計らって、リアンは剣を振り下ろした。

 ――!

 亀裂に剣が叩き込まれる。剣がぼきんと根本から折れた。

 同時に白い球体が割れ、覆っていた殻が弾け飛んだ。


 すさまじい魔力の奔流が、爆発するように周囲に荒れ狂う。

 黒龍イリュードフレアが、首元の球体が発した光に飲み込まれて暴れもがく。すかさず飛び込んできて体当たりをした白い霊鳥と、もつれ合うようにしながら。

 そして、最後に咆哮を上げて――。

 黒龍の体は炎となって崩れ、火口の中へと消えていった。

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