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フィリオスルピアの夢  作者: 栗衣栗広
第三話 黒竜伝説
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第23節 最後の一夜

「少し出かけてくる」そう言い残して、リアンは藍玉亭を後にした。

 ティアも付き合うと言ってくれたが、リアンはそれを断って彼女を宿に残してきた。

 だって、これはエゴだから。最後の悪あがき。勝手な自分のやること。彼女を連れていくことはできない。

 リアンは村長のエルマンのもとを訪れた。

「村長さん」

 扉をノックすると、エルマンが顔を出す。

「きみか。なんの用かな?」

 エルマンは明らかに警戒している様子だった。リアンが尋ねてきた理由に察しがついているのかもしれない。

「……上がりたまえ。まだ時間があるから、じっくりと話をしよう」

「……はい」

 招かれるままに、リアンは村長の家の中へと入った。テーブルに座ると、エルマンはお茶を出してくれた。

 リアンはそれに口をつけずに、本題を伝える。

「村長さん。黒龍封印の儀を……ティアを生贄に捧げるのを、やめてください」

「やはり、その話か……」

 エルマンは肩を落としながら、話を続ける。

「何度も言うが、それはできない」

「どうして! ティアを殺すことになっても、儀式を続けるんですか!?」

「そうだ。封印の儀を行わなければ、この島を――あるいはこの世界を危険にさらすことになる。きみも知っているだろう」

「だけど……!」

 リアンは深呼吸して、まっすぐにエルマンの目を見て言う。

「たとえ皆の安全のためだったとしても、そのために誰かの命を犠牲にするのは間違ってる」

 エルマンはリアンの瞳を見返す。今までの優しげな表情ではなく、皆の命を背負った村長としての鋭い眼光で。

「では……代案はあるのかね?」

「それは……」

 代案。ティアを生贄に捧げないと黒龍が復活するというのなら、代わりになる方法なんてない――。

「いいかね。ティアはもう生贄になる覚悟をしている」

 一呼吸置いて、エルマンは言い放つ。

「彼女の気持ちを考えたことがあるか? もし、自らが生き延びるために世界を危険にさらすことになったとして……本当に、ティアはそれでしあわせなのか」

 ティアの気持ち。考えたことがあるだろうか。リアンは逡巡した。

「きみは、彼女に罪を背負わせるつもりかね」

「それでも……! ティアが犠牲になるのを、ただ見ていることなんてできない!」

 たとえティアが望んでいなくても。罪の意識を背負わせることになっても――本当に? 答えの出ないまま叫んだ言葉が、リアンの中でぐるぐると回る。

「……きみとティアは、どういった関係だ?」

「……え?」

「彼女は、きみの何なんだ。……そう尋ねているのだよ」

 リアンはすぐには答えられなかった。自分にとってティアは、いったいどういう存在なのか。

 しばしの沈黙の後、ぽつりとつぶやいた。

「ティアは……俺の友達、です」

「友達というのなら」

 エルマンが厳しい口調で言う。

「彼女のためになることを選択するべきではないかね?」

「……ティアのために……」

「そうだ。きみは、ティア自身の願いを聞いてみるべきだ。そして……できることなら、彼女の短い生を、少しでもよいものに……」

 最後のほうの声は震えていた。エルマンだって、決してティアを犠牲にすることをよしとしていない。それでも、そうするしかないのだ。だって、ティアの代わりは、誰にもできないのだから。


 何も進展がないまま、リアンは宿に戻ってきた。

 このままでは、ティアは二日後に死んでしまう。でも、もはやリアンには手の打ちようがない。

 あまりにも無力だった。

 その日の夜は、今までよりもいっそう豪勢な食事だった。宴だ。

 雑貨屋のオリヴィエを初め、何人もの村人がティアに挨拶に来た。その皆に彼女は笑顔で対応していた。そのため、リアンはティアとほとんど話す機会がなかった。

 時間はあっという間に過ぎ、夜が更けていく。

 皆が帰って寝静まったころ、リアンは宿の外に出た。地面に座って壁にもたれかかりながら、夜空を見上げる。雨の降っていた昨日とは打って変わって満点の星空だった。

 少ししたら宿の扉が開き、寝巻きを着たティアが出てきた。

「リアン」

 声をかけられたリアンは振り向いて微笑む。するとティアはほのかに頬を赤く染めた。

「あたしを待っててくれたの?」

「ああ」

「うれしい。今日はあんまり話せなかったからね」

 ティアが隣に来て、リアンが立ち上がると、二人はどちらからともなく歩き出した。

「ね、リアン。あの丘に行こうよ。あたしとリアンが出会ったとこに」

「いいよ。行こう」

 それからは、しばらく二人とも無言だった。もうこれで最後なのに、話しておきたいことも思いつかなかった。ただ、虫の音だけが静寂の中に響いた。

 丘に登って、二人は地面に腰掛けた。夜露に濡れ、咲き誇る花々の色が、月と星の灯りでほのかに浮かび上がる。

「ちょうどこの辺にあたしがいて、きみはあっちのほうから歩いてきたんだよね」

「そうだな。ティアは星蓮華の花を探してたんだっけ?」

「うん……けっきょく、今年は星蓮華の咲いているとこ、見られそうにないけど……」

「ティア……」

 そうだ。もうこれが、最後の夜なんだ。この夜が明けたら、ティアとはもう会えなくなってしまう。

「……死なないでくれ」

「え……?」

「せっかく会えたのに……もう、話すこともできなくなってしまうなんて、嫌だ」

「……リアン」

 月と星のわずかな灯りに照らされながら、ティアはわずかに瞳を揺らした。

「……ああ、好きだなぁ……」

 大好き。ティアはそう小さくつぶやいた。

「ティア……俺といっしょに、ここから逃げないか? 船に乗って、どこか遠くへさ……」

「リアンと……二人で?」

「ああ」

 月の光を浴びて。一面の花畑の中。

 ティアは踊るように両手を広げて、思いっきり深呼吸をした。

「あたし、ジークフリートに乗って、七つの海を航海するの」

「そうそう! ときどき海がしけて大変なときもあるけどさ」

「リアンといっしょなら乗り越えられる」

「おう。任せてくれ」

「宝の地図を見つけたら、探しに行こう」

「見つけたら、大金持ちになれるかもな。そうしたら、港町に行って――」

「買い物! いろんなお店に行って、おしゃれなアクセサリーとか、珍しい魔導具なんかを買うの」

「おいしいものも食べよう。新しい店を開拓しよう!」

「うん! それから……リアンの生まれた村にも行きたいな。コルツ村」

「なんか、ちょっと恥ずかしいけど……わかった。行こう。いっしょに」

「うん。きみと、あたしで……」

 ティアの声はうわずっていた。

 隣から、かすかに嗚咽が聞こえてくる。

「行けないよ……あたし……」

 零れ落ちる涙を、夜空の灯りが照らす。

「もし……あたしがお役目を投げ出したせいで、他の、もっと大勢の人が被害に遭ったら…………あたし、これから、どんなふうに生きていけばいいのかわからなくなっちゃう」

「ティア……」リアンも涙をこらえながら謝る。「ごめん。……そうだよな」

「いいよ、謝らなくて。いろんな楽しいこと想像して、楽しかった」

 それでも、彼女は泣きながら笑ってくれた。

「ねぇ。空想の中なら、なんだってできるね。きみといっしょに、世界を旅することもできる」

「……そうだな」

 ティアは、リアンの肩にそっと、小さな頭を乗せた。

「だからね。リアン……そばにいてほしいんだ。最後のときまで……。あたしの願いは、それだけ。……それだけで、いいんだ……」

 もう、それしかないのかもしれない。

 リアンは一言だけ「わかった」と答えた。隣でティアが微笑む気配がした。

 寄り添いながら、静かな夜を二人は過ごす。

 そうしているうちに。

 傷付いて体はボロボロで、ずっと寝ていなかったリアンは、強い睡魔に襲われて、いつしか眠りについていた。


 その寝顔を、ティアはずっと眺めていた。微笑みながら。

 しあわせだった。最後にそう思えて、本当によかったと思う。

「さよなら……リアン……」

 ティアはリアンをそっと花畑の中に寝かせると、静かにその場をあとにした。

 わがままかもしれないけど、最後はこんな素敵な思い出で終わりたいから。

 別れの言葉は、なくていい。

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