第23節 最後の一夜
「少し出かけてくる」そう言い残して、リアンは藍玉亭を後にした。
ティアも付き合うと言ってくれたが、リアンはそれを断って彼女を宿に残してきた。
だって、これはエゴだから。最後の悪あがき。勝手な自分のやること。彼女を連れていくことはできない。
リアンは村長のエルマンのもとを訪れた。
「村長さん」
扉をノックすると、エルマンが顔を出す。
「きみか。なんの用かな?」
エルマンは明らかに警戒している様子だった。リアンが尋ねてきた理由に察しがついているのかもしれない。
「……上がりたまえ。まだ時間があるから、じっくりと話をしよう」
「……はい」
招かれるままに、リアンは村長の家の中へと入った。テーブルに座ると、エルマンはお茶を出してくれた。
リアンはそれに口をつけずに、本題を伝える。
「村長さん。黒龍封印の儀を……ティアを生贄に捧げるのを、やめてください」
「やはり、その話か……」
エルマンは肩を落としながら、話を続ける。
「何度も言うが、それはできない」
「どうして! ティアを殺すことになっても、儀式を続けるんですか!?」
「そうだ。封印の儀を行わなければ、この島を――あるいはこの世界を危険にさらすことになる。きみも知っているだろう」
「だけど……!」
リアンは深呼吸して、まっすぐにエルマンの目を見て言う。
「たとえ皆の安全のためだったとしても、そのために誰かの命を犠牲にするのは間違ってる」
エルマンはリアンの瞳を見返す。今までの優しげな表情ではなく、皆の命を背負った村長としての鋭い眼光で。
「では……代案はあるのかね?」
「それは……」
代案。ティアを生贄に捧げないと黒龍が復活するというのなら、代わりになる方法なんてない――。
「いいかね。ティアはもう生贄になる覚悟をしている」
一呼吸置いて、エルマンは言い放つ。
「彼女の気持ちを考えたことがあるか? もし、自らが生き延びるために世界を危険にさらすことになったとして……本当に、ティアはそれでしあわせなのか」
ティアの気持ち。考えたことがあるだろうか。リアンは逡巡した。
「きみは、彼女に罪を背負わせるつもりかね」
「それでも……! ティアが犠牲になるのを、ただ見ていることなんてできない!」
たとえティアが望んでいなくても。罪の意識を背負わせることになっても――本当に? 答えの出ないまま叫んだ言葉が、リアンの中でぐるぐると回る。
「……きみとティアは、どういった関係だ?」
「……え?」
「彼女は、きみの何なんだ。……そう尋ねているのだよ」
リアンはすぐには答えられなかった。自分にとってティアは、いったいどういう存在なのか。
しばしの沈黙の後、ぽつりとつぶやいた。
「ティアは……俺の友達、です」
「友達というのなら」
エルマンが厳しい口調で言う。
「彼女のためになることを選択するべきではないかね?」
「……ティアのために……」
「そうだ。きみは、ティア自身の願いを聞いてみるべきだ。そして……できることなら、彼女の短い生を、少しでもよいものに……」
最後のほうの声は震えていた。エルマンだって、決してティアを犠牲にすることをよしとしていない。それでも、そうするしかないのだ。だって、ティアの代わりは、誰にもできないのだから。
何も進展がないまま、リアンは宿に戻ってきた。
このままでは、ティアは二日後に死んでしまう。でも、もはやリアンには手の打ちようがない。
あまりにも無力だった。
その日の夜は、今までよりもいっそう豪勢な食事だった。宴だ。
雑貨屋のオリヴィエを初め、何人もの村人がティアに挨拶に来た。その皆に彼女は笑顔で対応していた。そのため、リアンはティアとほとんど話す機会がなかった。
時間はあっという間に過ぎ、夜が更けていく。
皆が帰って寝静まったころ、リアンは宿の外に出た。地面に座って壁にもたれかかりながら、夜空を見上げる。雨の降っていた昨日とは打って変わって満点の星空だった。
少ししたら宿の扉が開き、寝巻きを着たティアが出てきた。
「リアン」
声をかけられたリアンは振り向いて微笑む。するとティアはほのかに頬を赤く染めた。
「あたしを待っててくれたの?」
「ああ」
「うれしい。今日はあんまり話せなかったからね」
ティアが隣に来て、リアンが立ち上がると、二人はどちらからともなく歩き出した。
「ね、リアン。あの丘に行こうよ。あたしとリアンが出会ったとこに」
「いいよ。行こう」
それからは、しばらく二人とも無言だった。もうこれで最後なのに、話しておきたいことも思いつかなかった。ただ、虫の音だけが静寂の中に響いた。
丘に登って、二人は地面に腰掛けた。夜露に濡れ、咲き誇る花々の色が、月と星の灯りでほのかに浮かび上がる。
「ちょうどこの辺にあたしがいて、きみはあっちのほうから歩いてきたんだよね」
「そうだな。ティアは星蓮華の花を探してたんだっけ?」
「うん……けっきょく、今年は星蓮華の咲いているとこ、見られそうにないけど……」
「ティア……」
そうだ。もうこれが、最後の夜なんだ。この夜が明けたら、ティアとはもう会えなくなってしまう。
「……死なないでくれ」
「え……?」
「せっかく会えたのに……もう、話すこともできなくなってしまうなんて、嫌だ」
「……リアン」
月と星のわずかな灯りに照らされながら、ティアはわずかに瞳を揺らした。
「……ああ、好きだなぁ……」
大好き。ティアはそう小さくつぶやいた。
「ティア……俺といっしょに、ここから逃げないか? 船に乗って、どこか遠くへさ……」
「リアンと……二人で?」
「ああ」
月の光を浴びて。一面の花畑の中。
ティアは踊るように両手を広げて、思いっきり深呼吸をした。
「あたし、ジークフリートに乗って、七つの海を航海するの」
「そうそう! ときどき海がしけて大変なときもあるけどさ」
「リアンといっしょなら乗り越えられる」
「おう。任せてくれ」
「宝の地図を見つけたら、探しに行こう」
「見つけたら、大金持ちになれるかもな。そうしたら、港町に行って――」
「買い物! いろんなお店に行って、おしゃれなアクセサリーとか、珍しい魔導具なんかを買うの」
「おいしいものも食べよう。新しい店を開拓しよう!」
「うん! それから……リアンの生まれた村にも行きたいな。コルツ村」
「なんか、ちょっと恥ずかしいけど……わかった。行こう。いっしょに」
「うん。きみと、あたしで……」
ティアの声はうわずっていた。
隣から、かすかに嗚咽が聞こえてくる。
「行けないよ……あたし……」
零れ落ちる涙を、夜空の灯りが照らす。
「もし……あたしがお役目を投げ出したせいで、他の、もっと大勢の人が被害に遭ったら…………あたし、これから、どんなふうに生きていけばいいのかわからなくなっちゃう」
「ティア……」リアンも涙をこらえながら謝る。「ごめん。……そうだよな」
「いいよ、謝らなくて。いろんな楽しいこと想像して、楽しかった」
それでも、彼女は泣きながら笑ってくれた。
「ねぇ。空想の中なら、なんだってできるね。きみといっしょに、世界を旅することもできる」
「……そうだな」
ティアは、リアンの肩にそっと、小さな頭を乗せた。
「だからね。リアン……そばにいてほしいんだ。最後のときまで……。あたしの願いは、それだけ。……それだけで、いいんだ……」
もう、それしかないのかもしれない。
リアンは一言だけ「わかった」と答えた。隣でティアが微笑む気配がした。
寄り添いながら、静かな夜を二人は過ごす。
そうしているうちに。
傷付いて体はボロボロで、ずっと寝ていなかったリアンは、強い睡魔に襲われて、いつしか眠りについていた。
その寝顔を、ティアはずっと眺めていた。微笑みながら。
しあわせだった。最後にそう思えて、本当によかったと思う。
「さよなら……リアン……」
ティアはリアンをそっと花畑の中に寝かせると、静かにその場をあとにした。
わがままかもしれないけど、最後はこんな素敵な思い出で終わりたいから。
別れの言葉は、なくていい。




