第21節 王都フォーゼリア――伝承の裏側
近くに寄ると、円形の建物は三階建てくらいの大きさだということがわかった。そのほとんどが焼け焦げている。上部が崩れているから、もとは五階建てくらいの大きさだろうか。
見上げながら、リアンはため息をついた。
「大きい……。塔みたいな建物だな。こんなの初めて見た」
「そうだね。フォーゼリアという国は、かつて高度な文明が栄えていたのかもしれない。……じゃあ、さっそく中を見てみようか」
扉が壊れて開きっぱなしになった入り口から、二人は太い塔の中に足を踏み入れた。
どうやら激しい火災に見舞われたようで、中はほとんどが焼け焦げていた。あるいは、ただの火災じゃなくて黒龍の吐き出す炎の息を受けたのだろうか。
広い室内には、木製の棚らしきものの残骸が無数に並んでいた。それを見てキードが言う。
「これは……焼けているけど、本棚だろうか」
本棚。ほとんどは焼けて崩れているが、たしかにそう見えなくもない。
「じゃあ、ここは図書館?」
「そうだね。やはり目星をつけてよかった。調べ物にちょうどいい場所を見つけた」
調べ物といっても……。
リアンはこの階を見回してみるが、かすかに紙や皮の燃えかすのようなものがあるだけで、あとは灰しか残っていない。
「これはひどいな……どんな燃え方すれば、こんなに跡形もなくなるんだ……?」
人の営みの痕跡すら消し去ってしまう。これが黒龍イリュードフレアの災厄の力なのだろうか。
燃え残った本棚に触れながら、キードが悲しげに肩を落とす。
「ここは図書館塔とでも言うべき施設だったのだろうね。……もったいないな……これだけの蔵書が燃えて失われてしまったなんて……」
それから気を取り直して、階段のほうへと歩いて行く。
「一階でこの有様だから希望は薄いけど、二階も調べてみよう。燃え残った書物とかがあれば、魔法で復元できるかもしれない」
「待ってくれ、キード」
焼け崩れた図書館の一角に、奇妙な崩れ方をした瓦礫があった。まるで何かを隠すように、家具や棚の残骸が山盛りになっている。
その瓦礫を、リアンは持ち上げては取り除いていく。
「どうしたんだい、リアンくん」
「ここ、何かある……そんな気がする」
導かれるように、リアンは作業を続けた。キードも瓦礫を取り除くのを手伝う。彼はインドア派に見えて、意外と力が強かった。
瓦礫の撤去が終わって、他の場所より多く積もっている灰を掘り返すと、ついに床が見えた。
「……何もなさそうだけど」
「ちょっと待って」
リアンは荷物袋から小さなピッケルを取り出して、床を掘り始める。
すると、バキンと音を立てて床の一部が砕けて抜け落ちた。
「これは……」キードが驚きの声をあげた。
階段だ。どうやら地下室への入り口が灰と瓦礫で固められてしまっていたらしい。
「すごいよ、リアンくん。ここなら炎を逃れた書物があるかもしれない。……どうしてわかったんだい?」
「うん……自分でも、よくわかんないんだけどさ……」
勘としか言いようがない。たしかに、この下から呼ばれているような感覚があったんだ。
「とにかく……行ってみよう、キード」
「そうだね。何が見つかるか、楽しみだ」
キードが魔法のランタンの灯りをつけて、二人は図書館塔の地下へと向かった。
土と湿気。それに埃の湿気のにおい。
そこは書物を保管しておくには良い場所とは言えないだろう。
図書館塔の地下の階段を降りると、そこは通路になっていた。肌寒く、生物の気配はない。静かだった。
突き当たりには扉があって、開けようとしても鍵が閉まっていて開かない。
するとキードが鍵穴を覗き込み、革製のベルトポーチから先端の曲がった鉤型の針を取り出した。
「アンロックの魔法を使ってもいいのだけど、魔力は温存するに越したことはないからね」
キードは慣れた手つきで鍵をピッキングする。かちん、と音を立ててドアが開錠された。
「キード、そんなこともできるんだな」
「なんでも習得しておくに越したことはないさ。要はその技術の使い道だ」
扉を開けると、中には――。
「……が、骸骨!?」
リアンは声をあげた。扉の中は小部屋になっていて、壁に面した場所にテーブルと椅子が設置されている。そして椅子には古びたローブを着た死体があった。骸骨と言ったが、正確には白骨死体とミイラの中間ぐらいの状態だ。頬は蝋のように変異した肉が残り、額には黒ずんだ革のような皮膚が張り付いている。
部屋の奥には本棚があり、布にくるまれて書物が保管されていた。
「この遺体は……毒を飲んで亡くなったのか」
キードがテーブルの上のガラス瓶を調べながら言った。
どうやら瓶の中に入っているのは毒薬らしい。テーブルに突っ伏して倒れている死体は、どのような最期を迎えたのだろうか。それは、想像することしかできない。
「腐敗臭はなく、死蝋化している。……おそらく、十年以上前の女性の遺体だろう」
となれば、やはり彼女も十七年前に亡くなったと考えるのが自然だろう。そうキードは付け足した。
「でも、どうしてこんな地下室にいたんだろう?」
「さあ……もしかしたら、この地下室は表に出せない禁書を保管していたのかもしれない……。そして彼女はその蔵書の管理者だったか、あるいは何か調べ物をしていたのか」
よく見ると、遺体が突っ伏している机の上には、一冊のノートのようなものが置かれている。
「本棚の書物の状態は……非常に悪いな。いちおう地下室の湿気や埃に負けないように布にくるんで保管しているみたいだけど、劣化していて今にも崩れそうだ。……相当古いもののようだね」
「キード、机の上のこれ見てくれ」
「ん、これは……手記か」
キードは机の上のノートを、埃を払いながら慎重に持ち上げる。
「えっと……『勇者ラスベルの記録』?」
題名を聞いてリアンは驚いた。まさか、その名前をここで聞くとは思わなかったからだ。
「ラスベル!? それって、あのラスベルだよな」
「おそらくね。えっと、内容は……」
机の上には、古びたペンもインク瓶も置かれていた。この遺体の人が書いたものなのだろうか。
読書慣れしているキードは、すごい勢いでページをめくっていく。そして、ぽつりと低い声でつぶやいた。
「……なんてことだ」
「何が書いてあったんだ?」
「ああ……もちろん、この手記に書いてあることが正しいとは限らない……だが……」
キードはリアンに手記を手渡す。
「勇者に憧れるきみにとっては、受け入れがたい内容かもしれない……それでも、きみに読んでみてほしい」
「……わかった」
リアンは手記のページを開いて、内容を読み始めた。
最初のほうのページは、誰もが知っている勇者ラスベルの略歴だった。
辺境の村に生まれて、旅立ち、各地で英雄的な冒険を繰り返し、やがて黒龍イリュードフレアを倒して世界を救う。
続くページには、黒龍イリュードフレアについての情報が記されていた。
異なる世界同士を繋ぐ暗闇から生まれ、数多の世界を喰らい焼き尽くしてきた、厄災の龍。
闇の次元からこの世界に顕現するためには、多くの魔力と、人の命。すなわち生贄が必要だと伝えられている。
イリュードフレアの完全なる顕現を許せば、世界は否応なく破壊されるだろう。たとえ不完全な「影」としての顕現であっても、一国を滅ぼす程度は容易い。
イリュードフレアを闇の次元に返すためには、「霊石の巫女」の命を賭した儀式魔術を成功させる必要があるという。だが、たった一人の巫女の霊力で厄災の黒龍を鎮めることが、本当に可能なのだろうか。
また、勇者ラスベルと霊石の巫女エレナは、何らかの方法を用いて巫女の命を犠牲にすることなくイリュードフレアの封印に成功しているという。一説では霊鳥フィリオスルピアの力によって封印を成し得たと考えられているが、それだけで黒龍封印を成し得たかは疑問が残る。
結局のところ、数々の不可能を可能にした奇跡の力こそが、ラスベルが勇者たり得る所以なのかもしれない。
「そうか……ラスベルは、巫女を犠牲にせずに黒龍を封印したんだ」
忘れていた。あくまで物語の中の話だけど、ラスベルは誰も犠牲にせずに黒龍を封印している。
「なら、できるかもしれない……黒龍を封印する方法が、どこかにあるのかもしれない」
その方法を探す時間はあまりにも少ないが、可能性はゼロではない。それなら――。
「リアンくん。そこまではあくまで既存の伝承の考察なのだけど……私がきみに知ってほしいのは、手記の後半に書かれた内容だ」
「後半……? わかった。読んでみる」
リアンはふたたびノートのページをめくり始めた。
禁書となった記録によると、ラスベルは黒龍を封印したとき、同時に呪いをその身に受けたという。詳細は不明だが、黒龍の呪いはラスベルを生涯苦しめたとも伝えられている。
また、黒龍を封印したことで勇者ラスベルと巫女エレナは英雄として祭り上げられたが、一方で彼らの影響力を邪魔に思う者たちもいたという。
事実としてラスベルの存在は当時の王権を脅かし、エレナの神聖な力は宗教勢力を動揺させた。
「英雄は神話で十分だ。生きた英雄は邪魔だ」
水面下ではそのような意見が飛び交っていたという。
そしてラスベルとエレナが城に宿泊している最中、人々は結託して暗殺者を送った。
暗殺者たちはラスベルの命を奪うまでには至らなかったが、聖女とも呼ばれたエレナの殺害に成功する。
愛する者を奪われた怒りによって黒龍の呪いを発現させたラスベルは、襲いかかる暗殺者もろとも、周辺にいる大勢の人々を虐殺した。
以降、勇者ラスベルは歴史の表舞台から姿を消している。
要約すると、以上が手記に書かれていた内容だった。
「これが……勇者ラスベルの記録……?」
幼い頃から夢想していた、ラスベル冒険記の続きの話。
リアンにとって、あまりにも衝撃的な内容だった。
「そうだね、リアンくん。その手記の内容がどこまで正確かはわからないが、大衆向けに出版された伝承には描かれていない歴史の裏側というものが存在するのかもしれない」
たしかに。ラスベル冒険記でも、勇者ラスベルが黒龍を倒したあとにどんな生涯を送ったかは深く描かれていなかった。
まさか、こんな最期を遂げていたとは。
気づいたら、リアンは唇を強く噛んでいた。
対するキードは、本棚の本を慎重に調べながら言う。
「おそらくその手記は、部屋の中にある書物をまとめたものだろう。ここには、歴史書が――それも王都フォーゼリアから見た真実の歴史が書かれたものが保管されている。あとは魔導書もあるね。……数こそ少ないが、そのどれもが、とても貴重なものだ。これは歴史的な発見かもしれないぞ……!」
うれしそうなキードだったが、リアンは喜ぶような気分ではなかった。
手記に書かれていたラスベルの最期が衝撃的だったのもあるし、それに――リアンは先ほどから、奇妙な胸騒ぎに襲われていた。
「キード、俺……なんだか、嫌な予感がする」
ざわざわとする。この図書館塔の外、廃都のどこかから。何かとてつもない存在に、ずっと呼びかけられているような――そんな気配がする。
「……先に船に戻ってるよ」
「そうかい? わかった。私はもう少し、ここの書物を調べてから行くよ。――帰り道も気をつけて」
「うん。キードも」
図書館塔の外から感じる、異質な気配。それは大通りに近づくと、より強くなった。
このとき、リアンを導いていたのは直感か、あるいは運命のようなものだっただろうか。
リアンは船ではなく、城の前の大通りを進む。
すると――。
沈みゆく太陽を背後に、人影が見えた。
「魔の海を越え……この地を訪れる冒険者がいたとはな」
太陽が沈み、薄暗くなった視界の中、最初に見えたのは真っ赤な瞳だった。
歩み寄ってくる。
リアンもおもむろに、一歩、二歩と足を前へと踏み出した。
前方に見えるのは、青年とも呼べるような年若い男だった。
身にまとうのは冒険向けに加工された革鎧。背中には大きな剣。
鋭い真紅の眼光。歴戦を思わす精悍な顔立ちに反して、年齢は若く見える。
その姿は、なぜかリアンの憧れを想起させた。
「あんたは……誰だ?」
しばしの無言。
青年は真紅の瞳を一度閉じ、わずかな間の後にふたたび開眼する。
「俺の名は……ラスベルだ」
勇者と同じ名前。どうしてだろうか。それが嘘偽りではない真実であることがリアンにはわかった。直感が、そう言っていた。
「勇者……なのか? あんたが、勇者ラスベル?」
発せられる禍々しい気配に、リアンの足が止まる。嘘は言っていない。だが、この威圧感。本当にこれが勇者と呼ばれた男の姿なのか。
「そうだ。……かつて、俺はそう呼ばれていた」
男は肯定した。ラスベルを名乗る男が。
真紅の瞳が、一瞬だけ遠くを見つめた。何か思いを馳せるように。
そして吐き捨てるように言う。
「今は、その成れの果てだ」
直後。
すさまじい殺気が吹き荒れる。
わけがわからないまま、リアンはその殺気に押されて剣を抜いた。




