回復力の謎
試練経過から第一波開始から二時間——。
戦線離脱と戦いを繰り返しながらもホトはまだ戦闘を継続していた。といっても気力、体力共にすり減らしながら戦っているような状態だった。
そんな中——全身の体毛から白い冷気を漂わせる、四頭の雪狼がホトを取り囲んでいた。雪狼自体は下級の魔物だが、群れると中級の魔物程度に厄介な連携をしてくるのが特徴だ。傷だらけで小柄なホトを狙い目だと踏んで徒党を組んで襲いに来たのだろう。
「まったくしつこい奴らっすね〜〜……!」
「ガルルルルッ!」
狼たちは白い牙を剥き出しにしながら距離を詰め——二匹が走り出した。
ホトは深く息を吸い——
「疾ッ!」
残像を残して、雪狼二匹の間に踏み込んだ。
「はあっ!」
「ギャン!?」
鋭い右回し蹴りが片方の雪狼の脇腹へ突き刺さる。肋骨越しに臓器を木っ端微塵に粉砕する音が響き、鈍い衝撃音と共に雪狼は宙を舞う。
「ふぅ——破ッ!」
呼気でリズムを取りながら続けざまに身体を反転。二頭目の顎を左回し蹴りで蹴り飛ばす。その威力で狼の首から上が吹っ飛ぶ。
「グルァ!?」
仲間が一瞬で倒されたことに、残る二頭の雪狼がたじろぐ。しかし、それも束の間。
「ガウッ!」
「ガアアアッ!」
前後に分かれてホトに突撃する。前衛は囮で、後衛の雪狼がトドメを刺す役割だろう。
「ホト!」
「キマさんしっかり捕まってて!」
頭上で心配するキマイラをよそに、ホトは狼と同じように低い体勢をとった。まるで四足の獣のように。
正面から迫る噛みつきを避けたところで、後ろの狼の爪に引き裂かれてしまう。
ならば——
「ガウッ!!」
「ざーんねん!」
飛び掛かってきた前衛の雪狼に対して、ホトは身体を低く滑らせてすり抜けた。
腹の下を紙一重で潜り抜けると、後続の雪狼が面食らったように狼狽えた。その隙を逃さず、ホトは慣性の赴くまま、すれ違いざまに掌底を雪狼の鼻っ面に打ち込んだ。
「ギャッ……!」
ホトの掌底打ちをまともに食らい、後続の雪狼は頭蓋から頸椎までぺしゃんこにされる。
「ギャゥッ!」
残る一頭は即座に向きを変え、背後から牙を突き立てようと跳躍する。
が、ホトは振り返らない。魔力感知の気配だけを頼りに、右足で後ろ蹴りをぶっ放す。
「ヤアッ!」
鋭い気合いと蹴撃が一閃。飛び掛かってきた雪狼の胸部を軍靴の踵が撃ち抜く。メゴォ!とおよそ肉体が出してはならない音を立てて雪狼は吹っ飛び、ピクリとも動かなくなった。
こうして四頭いた雪狼は、わずか数十秒で全滅した。
「ふう……」
「今のはかなり良かったぞ、ホト」
「いやぁ、結構ギリだったっすよキマさん。それに、本命がまだ残ってるっす」
ホトの視線がゆっくりと別の方向へ向けられる。
そこには氷精霊と呼ばれる魔法生物が静かに浮かんでいた。紫氷山では氷飛竜に次いで中級でも上位の強さを持つ魔物だ。
透き通る氷晶の上半身に、霧のように揺らめく霜の下半身。そして、氷のつぶてを纏う両腕。
感情の読めない蒼い瞳がホトを見据えている。
「キィィィィ……!」
声にならない叫びで空気が震えた。
次の瞬間、周囲に氷片が集まり、一振りの氷剣を形成——氷精霊は音もなく、氷上を滑るように距離を詰めてきた。
「ッ!?」
ギィンッ!
薄く研ぎ澄まされた氷刃が振り下ろされる。
ホトは紙一重で身体を捻り、その一撃をかわす。続けざまに横薙ぎの蒼閃がホトを襲う。まるで熟練の剣士のように自由自在な剣戟。
「速い……!」
たが、ウズメの手刀ほど鋭い一撃ではない。ホトはバックステップで避け、体勢を立て直す。
ホトはゆっくりと息を吐き、心を静めた。
氷精霊は鋼群茂と同じ魔法生物だ。ならばその倒し方もおよそ見当がつく。
視覚に頼るな——魔力感知を研ぎ澄ませろ。
呼吸を整え、意識を周囲に漂う魔素に集中。
剣戟の音も、風鳴りも、戦場を埋め尽くす怒号と悲鳴も、すべてが遠ざかっていく。残ったのは無数の魔力の流れだけ。
大陸の直下を巡る巨大な龍脈の魔力。
遠くで炸裂する冒険者や魔法師団が放った魔法の奔流。
そして、目の前の氷精霊が放つ寒々しいほどの冷たさを感じさせる魔力。
——やっぱり身体の大部分がただの魔力を帯びただけの氷だ。
氷の身体を構成する魔力
そして氷剣に流れ込む魔力。
それらはすべて一本の川となり、ある一点へと収束していた。
胸の奥。
氷晶の体の中心で一際濃い魔力を放つ結晶体がある。それが脈打つたびに、周囲の氷へ魔力が送り込まれているのを感じた。
——あれが魔力核!
「キィッ!?」
ホトからの殺気を察したグラシエルが瞬時に後退する。自分の魔力核にその拳が届きうると本能で理解したのだ。
パキッ、パキン、と氷剣が割れ、即座に三枚の氷壁となって展開される。その周囲には、新たに無数の氷槍が渦を巻いて生成される。
それはまるで賊の侵入を拒む要塞だった。
「キィ!」
無数の氷槍が一斉に射出される。 空を覆い尽くす白銀の槍の群れは、まるで豪雨のようにホトへ降り注ぐ。
半狂乱となった氷精霊の猛攻に、ホトは一瞬たりとも気を抜けない。半歩遅れれば命を落とす紙一重の回避を幾度となく繰り返す。はたから見ればいつ串刺しにされるとも分からない死の舞踏である。
「数がっ、多すぎっ!?」
直撃コースを描く氷槍だけを拳や手のひらで弾き、それ以外は足捌きで避けていく。
ザクザクと地面に突き刺さっていく氷槍。頬を裂く冷気をものともせず、その足は止まらない。確実に氷精霊に肉薄していく。
逃げ場などなかったはずだった。 だというのにホトは、殺すために放った槍をかいくぐり、一歩また一歩と迫ってくる。
氷精霊の本能が告げる。
――近付かせてはならない。
その恐怖と狂乱は、ついに極限へ達した。
「キィィィィィ!!!!」
三枚の氷壁に槍を生やし、シールドバッシュでホトを押しつぶそうとする氷精霊。まさかご乱心にて向こうから接近してくるとは思わずホトの勢いがわずかに弱まった。
「それならそれで好都合!」
立ち止まりかけた足の踏み込みをさらに深くし、その真っ向勝負を受けて立った。
モニカの無駄なく敵を倒す魔力操作の技術。
ウズメの岩を手刀で切り裂く身体操作の極意。
アスターの相手を打ち砕くまで拳を止めぬ信念。
この三拍子が揃ったことで近接戦闘のレベルは銀級でも上澄みのレベルにまで引き上げられ、鍛え上げられた戦いの勘が今が好機と囁いた。
「ハッ!」
迫る氷槍の盾のド真ん中を目掛け、ホトは拳を突き出した。そしてインパクトする寸前、拳に魔纏装を一極集中する。
「砕……けろ!!」
ホトが拳を押し切った瞬間、パキャンという音がして氷槍は砕き潰され、その下地となっていた氷の盾にも強烈な衝撃が走った。
氷精霊の強固な氷の防御を突き崩した先には魔力核のある胸部が目前にあった。
そこに拳が一直線に吸い込まれていく。
パキン――。
薄氷を踏み割ったように澄み切った音が、喧騒に満ちた戦場に溶けて消えた。拳が貫いた結晶には無数の亀裂が走り、氷精霊の蒼い魔力光が内部から溢れ出す。
「キ……ィ……」
氷精霊の瞳から光が消えていく。
両腕に作り出そうとしていた氷剣が崩れ、盾も槍も維持できなくなり、空中に浮かんでいた無数の氷片が力を失って草地に降り注いだ。
やがて全身へと亀裂が広がる。
胸部の大きなひび割れは頭の先から氷柱のような下半身までまんべんなく入っていく。
そしてパリンッと氷像が砕け散るように、その身体は無数の魔素へ変わり、冷たい風だけを残して静かに消滅した。
「はぁっ、はぁっ」
ホトは肩で荒く息をつきながら、その場に立ち尽くした。ここまでの間、かなり激しい戦闘の連続だったのだ。致し方なし。
乱れた呼吸は熱を帯び、額からは汗が絶え間なく流れ落ちる。服は魔物の爪や牙、または魔法攻撃で裂かれ、腕や脚には幾筋もの切り傷や打撲痕が刻まれていた。乾きかけた血が肌に張り付き、その小柄な身体でどれほど死線を潜り抜けてきたかを物語っている。
「ホト、大丈夫か?」
「だ、大丈夫っす……ちょっと疲れただけですよ」
そう言って笑って答えようとするものの、その笑みに力はなかった。握り締めた拳も震え、全身が悲鳴を上げている。
「それに、もう終わりそうっすから」
「うむ、そのようだ」
頭の上のキマイラが辺りを見渡せば、既に戦闘が沈静化しているところも少なくなかった。戦場のそこかしこで響いていた魔物たちの咆哮や騎士や冒険者たちの剣戟の音もだいぶまばらになってきていた。
そして——
「魔物たちが退いていくぞ!」
そんなどこにいるかも分からない指揮官の声が響くと、各所で兵士や冒険者たちがその場へ座り込んだ。
安堵から大の字になる者。仲間と肩を叩き合う者。静かに亡くなった仲間へ祈りを捧げる者。生き残れたことを噛み締めるには十分な時間だった。
「アタシたちも仮拠点に帰りますか」
「で、あるな」
絶対龍皇の試練は三日間。今日はその初日だ。そのため、戦場後方には戦士たちが休息するための仮拠点が設営されていた。多くの人はそこに戻り、此度の戦闘での傷を癒すことになるだろう。
「ホト、傷の方は……大丈夫そうだな」
頭の上に乗ったキマイラが呆れたように唸る。
というのもホトの傷口からふわりと赤い煙が立ち上ったからだ。血煙のようにも見える、淡い赤色の煙。それが傷口から漂うたび、裂けた皮膚がゆっくりと閉じていく。まるでときが巻き戻っているようだ。
見る間に傷は塞がり、血の跡だけを残して元の肌へと戻っていった。
「不思議な光景よ」
「やっぱりキマさんから見てもそうっすか?」
「ああ、何度見ても慣れん。種族的には間違いなく人間なのか?」
「そのはず……なんですけどねぇ? まあ不便なものでもないんで考えても無駄っすよ」
そう言って、ホトは何事もなかったかのように歩き出した。
目指すのは、戦場から離れた仮拠点だ。試練を終えた兵士や冒険者たちも続々とそこへ戻っていく。
その途中、仮設された野戦病院の前を通りかかったホトは思わず足を止めた。
「……」
天幕の中へ、次々と負傷者が運び込まれている。天幕の中から聞こえるのは負の感情ばかりがこもった声だった。
怪我や欠損の痛みに耐える呻き声。
治療される側と治療する側、双方の怒鳴り声。
意識のない仲間の名を呼ぶ冒険者の悲痛な声。
そんな阿鼻叫喚の天幕内を軍の回復魔法師たちが慌ただしく駆け回り、軍医や衛生兵、召集された町医者たちが必死に治療を続けていた。
(……一日目だけで、こんなに)
ホトは黙って野戦病院を見つめていた。
自分は傷を負っても、少し待てば勝手に治ってしまう。けれど、ここにいる人たちはそうではない。
回復魔法師の回復魔法を受けても、助からない者がいる。軍医の治療を受けても、元通りにはならない身体欠損者もいる。
そう考えると、胸の奥が重くなった。
(自分が生き残れたのは……)
ふと、師匠たちの顔が脳裏に浮かぶ。
疲れて倒れても魔力切れを起こしても、回復薬をぶち込まれ修行。泣いても叫んでも修行。修行。修行。修行。修行。修行。修行。修行。修行。修行。
何度も何度も限界まで追い込まれ、それでも「まだ動ける」と鍛錬を続けさせられた。
当時は、本当に地獄だと思っていた。
――師匠、ウズメ姐さんありがとうございます。
あの厳しく、つらい修行がなければ今の自分は、この戦場で生き残れていなかったかもしれない。
「何を感傷に浸っているのだ?」
「感傷じゃないっすよ。師匠たちへの感謝です」
「それを本人たちに言ってやれ、飛ぶぞ」
キマイラはだらしなく緩んだ顔をしたアスターとウズメを想像して笑った。そして一人と一匹は、再び仮拠点へ向かって歩き出す。
――その直後だった。
「ちょっとそこのあなた、待ちなさい!」
「へ?」
背後から若い女性の声が飛んできた。振り返ると、回復魔法師らしき神官チックな風体の女性がこちらへ駆けてくる。
「あなた! その格好でどこへ行くつもりなの!」
「え? 仮拠点っすけど……」
「その血みどろの格好で、放っておけるわけないでしょう!」
「いや、でも傷はもう――」
「いいから来なさい!」
「わっ、ちょっ――!」
ホトはあっという間に腕を掴まれ、そのまま野戦病院の天幕へと連行されていく。
ホトは空いた椅子の上に適当に座らされ、女神官がホトの腕を取った。
「さて、まず傷の状態を――あれ?」
女神官の手が止まった。
「傷がない?」
通りかかった男性軍医も異常を感じてか近づいてくる。
「どうした?」
「いえ……この子、さっきまで全身傷だらけだったはずなんですが……」
女神官がホトの腕をまじまじと見つめる。そこには、傷跡すら残っていなかった。
「……治ってる?」
ホトはきょとんと首を傾げる。
「ええと、治ってるならもう行ってもいいっすか?」
「「いやいやいや、そういう問題じゃないでしょ!」」
女神官と男性軍医が思わず声を上げた。
「あなた、回復魔法が使えるの?」
「え、いえ……使えませんけど。ただ怪我の治りは早いっす!」
「いや早いって、そういう次元の話じゃ……」
言い淀む二人を前に、ホトは困ったように頭を掻いた。傷の異常回復力に関して、安易に人に言っていいものか分からないし、多分伏せておいたほうが良いだろう。
ホトはぴょんと椅子から降りて走り出す。
「そういうことなんで、アタシは帰りますねー!」
「ちょ、ちょっとー!?」
慌てて止めようとする女神官を放置し、ホトはそそくさと野戦病院を抜け出していくのだった。
次回更新は8/19(水)20:00の予定です。




