戦士の背中を守る者
パブロ一派の公開処刑とインペリアルの試練への対応を貴族・官僚に指示し、謁見は一時解散となった。
がらんと広くなった大理石の空間に、王族とブレイブ、そしてホトたちが残っていた。なお、「なぜアタシたちまで?」という疑問を問いかけることは許されていない。
ビャクヤは小さく息を吐いた。
一歩踏み出しかけた足が、ほんの一瞬だけ止まる。仮面の奥で覚悟を決めるように瞼を閉じると、ゆっくりとレオンハルトの前まで歩み寄った。
仮面越しではあるが、その肩に張り詰めていた緊張がわずかに伝わってくるようだった。
レオンハルトの前まで来たビャクヤが深々と頭を下げる。
「殿下、この度はお力添えをいただき、感謝の念に堪えません」
実弟としてではなく、一人の臣下としての礼であった。それはビャクヤなりのけじめだった。今まで敵を演じていた兄への無礼、そして己が勘違いを顧みたゆえのものだった。
レオンハルトは困ったように野性味のつよい太い眉尻を下げると、弟の肩へそっと手を置く。
「ビャクヤ……」
その名を口にしたあと、レオンハルトは苦く笑う。
「……いやフラン」
その愛称で呼ぶのは、実に十年ぶりのことだった。
「もう芝居はよせ。あぁ、いや……騙していたのは俺もか」
その一言で、ビャクヤの肩がわずかに震えた。
互いに兄弟でありながら、パブロ派を欺くためだけに他人として振る舞い続けた日々。
その重圧は、当人たちにしか分からない。
「パブロ派を処分する機会を伺うためとはいえ……武に傾倒し政を疎かにする凡愚を演じ、王家とそれに連なる英雄を侮辱する振る舞いを許したこと……龍の逆鱗に触れるより罪深い行い」
レオンハルトは拳を強く握る。
パブロ侯爵が行った天帝ゼフィへの侮辱も嘲笑も、当時のレオンハルトが咎めることはなかった。たとえ演技だったとしても、その沈黙は王都を守った英雄たちを傷つけ、己自身の誇りすら踏みにじる行いだった。
「レグルス陛下。必要とあらば、この命をもって償う所存でございます」
玉座の間が静まり返る。
誰も言葉を発せず、その覚悟を受け止めていた。
やがて、
「なーにを言っているのだ息子よ。カッカッカッ」
豪快な笑い声が静寂を吹き飛ばした。
レグルスは腹を抱えて笑った後、玉座に深く腰掛け直す。
「お前のやっとることなど最初から知っておった。知っておったとも。最初から、全部な」
予想だにしなかった返答に、ビャクヤは仮面の奥で目を見開く。
「陛下? ならば私にも一言教えてくださっても良かったのでは?」
思わず漏れたのは、臣下としてではなく息子としての不満だった。兄の思惑を知っていながら、ビャクヤには何も伝えてはいなかったのだから。
レグルスは髭を撫でながら愉快そうに笑う。
「そんなことをしてパブロ派に勘付かれてはイカンからのう。王とは時に我が子すら欺かねばならぬもの。敵をだますには先ず味方からというやつよ。その点、ビャクヤは己のユニーク魔法に頼り過ぎておる。海千山千の老獪と渡り合えぬようでは、まだまだ未熟な青いリンゴよ」
最終的にそう締めくくったレグルスに、ビャクヤは敵わないなと思いつつ、
「まったく、陛下もレオンハルト殿下も人が悪い……」
ビャクヤは肩をすくめ、小さくため息を漏らした。その姿を見て、レオンハルトもまた苦笑する。
長く続いた芝居はようやく終劇を迎え、ようやく一人の父と二人の息子に戻れたのだった。
——なんか、いいなぁ。
ホトは王族三人の和解を見ながら、今ここにいないアスターとウズメに思いを馳せるのだった。
*
謁見を終えたホトは、ぬいぐるみのキマイラを抱きしめながら静かに大理石の回廊を歩いていた。城中が戦支度に追われる中、その足取りだけがどこか重い。
いつもなら隣にはアスターがいて、豪快に笑い飛ばしてくれただろう。不安そうな顔をすれば「俺の弟子がそんな顔してどうする」と笑い飛ばし、それでも最後には背中を押してくれたはずだ。そしてホトと拳を合わせてくれるだろう。
優しくも厳しい姉御肌のウズメなら「これまで教えた通りにできればお前なら大丈夫だ」と頭を撫でてくれただろう。ウズメの温かい手のひらの感触をホトは忘れてなどいない。
そんな二人の姿は、今はない。
「アタシも戦わなきゃなんですよね……」
「……」
誰に聞かせるでもない独り言が、静かな石壁へ消えていく。キマイラはあえて押し黙って、ホトの不安を受け止めている。余計な言葉掛けは逆効果だと思ったからだ。
——怖い。
できることなら、師匠たちと一緒に戦いたい。けれど、いつまでも守られるだけの弟子ではいられない。
気づけば、ホトは用意された客間へと戻ってきていた。
そこで初めてキマイラは言葉を発した。
「……ホトよ」
低く重厚な声に安心する。自分の不安など筒抜けなのだろう。
「キマさん……」
「心細いか?」
図星を突かれ、ホトは苦笑いを浮かべる。
「……ちょっとだけ、っす」
キマイラは黒いくりくりした目でホトを見ながら、安心させるように「だろうな」とゆっくりと頷いた。
「怖いなら怖いと口にしてもよい。恐怖は恥ずべきことではない。恐れを知らぬ者に勇気は生まれぬからだ」
あの超人的な強さを持つアスターやウズメですら、絶対龍皇と闘うことは恐ろしいのだ。だがそれを言葉で伝えられたところで、今のホトには実感がわかなかった。
無言になってしまったホトを元気づけようと、キマイラはふと口を滑らせた。
「そう案ずるでない。先ほど我の念話でアスターと連絡がついた。アスターはすでに王都へ向かっておる」
「師匠が……!」
キマイラの一言で、曇っていた表情が一瞬で明るくなる。が、連絡がついたというのは真っ赤な嘘である。四聖であるキマイラとアスターの間で魔力がリンクしているためにこちらに向かっていることだけ分かっただけだ。
必要な嘘というのもあるのだ。
「あやつは弟子を放っておく男ではない。必ずお主のもとへ戻る」
その言葉に、胸の奥の不安が少しだけ軽くなった。
「でも……師匠たちが来るから安心ってわけじゃないっすもんね」
「ほう?」
「戦場で守られるだけなんて、弟子失格っすから……!」
アスターは来る。ホトは彼が約束を破るなど万に一つもないと信じているから。
であれば、ウズメも溶岩龍などやっつけて今頃こちらへ向かっているはずだ。
ならば、自分も胸を張って前を向かなければならない。
ホトは両の拳を強く握る。
「師匠たちと再会した時に胸張れるように、アタシも気合い入れるっす!」
「うむ。その意気である」
その返事に満足したように、キマイラは大きく頷いた。
ほどなくして、戦支度を終えたホトがキマイラとともに客間で待っていると、扉が軽やかに叩かれた。
返事をする間もなく開いた扉から、近衛メイドのモニカがいつもの凛とした足取りで姿を現す。メイドスカートを揺らすことのない規律正しい歩みに加え、その目と口元は無表情ともいえるくらいジトッとしていた。
ホトはそんなモニカに己の姿を見せつけた。
「準備は完ぺきっす!」
胸を張って答えるホト。いつもの白い半袖の上から胸や肘、脚などに最低限の防具を身につけ、さらに拳を保護する為のナックルを装着している。まんま駆け出しの冒険者といった風体だ。
本人はかなり気に入っているらしく、胸を張る姿だけは一人前だった。
「うむ、中々様になっているではないか。しかし戦において武器の一つもないのは、ちと締まらぬな」
ぬいぐるみの身体を揺らしながら、キマイラがもっともな指摘を口にする。
「何言ってんですキマさん、師匠たちから教えてもらったこの拳がアタシの武器ですよ!」
ホトは拳をぐっと握りしめ、自信満々に突き出した。その表情には迷いはない。
「それはその通りなのだがな」
苦笑混じりに頷いたキマイラの言葉を引き継ぐように、モニカが一歩前へ出る。
「キマイラ様の言いたいことはつまり、護身用のナイフとその使い方くらいは身につけておいて損はない。ということでございますよ、ホト様」
「おお、モニカ殿。そうである。そういうことを言いたかったのであるよ」
「えーっ、でもアタシ武器なんて使ったことないっすよ」
さっきまでの威勢はどこへやら。ホトはあからさまに顔を引きつらせ、助けを求めるようにキマイラへ視線を送る。
「誰でも始めは素人でございますから、そこは稽古と覚悟でなんとかなりましょう。ご心配なさらずとも戦場がアットホームに思えるように優しくご指導いたしますから。さ、ホト様。稽古場へ……」
にこり、と口元だけを歪めた淡泊な笑み。
だがその笑顔から放たれる圧力は、戦場の猛者にも引けを取らない。ホトは知っていた。こういう時の『優しい』は、死ななければオールオッケーというハードさの裏返しであることを。
「えっ、えっ? キマさんお助けっ……」
ホトは必死にキマイラへ手を伸ばす。
しかし当のキマイラは、どこか悟ったような表情で静かに目を閉じた。
「頑張るのだぞ、ホト……吾輩はここから念話で応援しているぞ」
「それ何にも意味ないやつ!? アーッ!? 裏切りも――(バタン!)」
言い終えるより早く、モニカは軽々とホトの襟首をつかみ、そのまま客間の外へ引きずっていく。
勢いよく閉まった扉の向こうで、しばらくしてからホトの「ひょええええ!」という間の抜けた悲鳴とモニカの「短剣の次は槍術と弓術と騎乗を学びましょうね〜」という涼やかな指導の声が響くのだった。
*
——王都シャトーの外壁にて。
レオンハルトは静かに頷き、草原に整列した戦士たちをゆっくりと見渡した。
暖かな風が草を揺らし、無数の緑が波のようにうねる。誰一人として口を開かず、その一言を待っていた。
数千もの視線が、一人の若き王子へと注がれている。 彼はあまりいい噂を聞かぬ第一王子レオンハルト・ブレイ・レグノムその人だった。誰もが不安を抱えながらも、今は彼を待っていた。
「皆のもの、此度の召集に応えたこと王族として深く感謝する」
戦時とは思えぬ穏やかな声だった。だが、レオンハルトの声は拡散の魔道具を介し、草原を渡る風に乗り、最後列に並ぶ兵士の胸にまで届く。
「これより我らが相対すのは、絶対龍皇の試練である。辛く厳しい戦いとなるだろう……十年前の厄災龍から我らを守った英雄もおらぬ」
王都で破壊の限りを尽くした厄災龍。そして命を持って厄災龍を撃退した騎士クリスの話は、王都の民で知らぬものはいない。
だからこそ、当時の恐怖が染みるように蘇る。兵士や冒険者の間に、少なからぬ動揺が走る。
「皆が不安を抱くのも理解している。恐怖もあるだろう。あるいは俺と同じように激情を炎に焚べる者もいるだろう」
母を無残にも殺されたレオンハルトのように、大切な者たちを亡くした者は多い。その言葉は多くの者の心に燃え上がるような怒りを抱かせた。
怒りは人を前へ進ませる原料になる。だが、それだけでは戦場で命を繋ぐことはできない。 レオンハルトは誰よりも、その事実を知っていた。
レオンハルトはあえて落ち着きを払った声で全員に命ずる。
「皆、後ろを向け」
『?』
皆がその真意を図りながら、一斉に王都の外壁へと目を向けた。何の変哲もない、背の高い白い壁。ところどころ魔物の襲撃で、塗装のはげた外壁である。
レオンハルトは問う。
「その壁の向こうに何が見えた? 王国騎士団アーデルよ、発言を許す」
金髪を短く揃えた若き騎士、アーデルが前に出て跪く。
「ハッ、レオンハルト殿下! 妻マリアンと息子ウィルソンの姿であります」
突然の指名であったが、騎士たちはレオンハルトとは練武場で稽古を共にしたことも多い。すぐにその意図に気づき返答した。
「そうであったか。その者たちはお前が戦場に行くと聞いてどうした?」
だがその先を尋ねられるのは想定外だったようで、やや照れた様子で騎士アーデルは首元のアクセサリに手を伸ばした。
「マリアンは自分が、け、結婚記念日に贈ったペンダントを首にかけてくれました。息子は、私の似顔絵を紙に描いてくれました……」
流石に似顔絵は持ってこれなかったが、それでも拙い金髪の騎士が描かれたソレを目にした瞬間、アーデルの目頭が熱くなったことは記憶に新しいことだった。
「それは汝の命よりも大切なものか?」
「はい」
それは嘘偽りのない答えだった。
「うむ…………そうであろうな。皆のもの聞け! 今、お前たちが各々見たものこそ、命を懸けて守るべきものだ! それを失うかもしれぬ恐怖は、今ここに立つ者なれば誰もが抱くであろう!」
兵たちは誰一人として口を開かなかった。
そうである。王都を囲む堅牢な城壁の向こうには家族や友人、恋人、そして何気ない日常がある。
「だが恥じるな。失いたくないという想いと恐れは弱さではない!!」
レオンハルトは拳を強く握る。
「恐怖を知る者は、決して独りよがりな戦いはしない。なぜか!? それは守るべき者たちが諸君らの背中を、この城壁の内から守護しているからに他ならぬ!」
風だけが吹き抜ける草原に、鎧が鳴る乾いた音が響いた。
王国騎士アーデルが剣を胸に構え、レオンハルトへと敬意を示す。
その仕草は隣へ、また隣へと伝わり、やがて数千の戦士が思い思いに武器を構えレオンハルトを見つめていた。
「絶対龍皇は強大だ。皆に『必ず生き残れ』とは命じられぬ」
再び草原に重苦しい沈黙が落ちる。
「だが、一つだけ命じよう!」
獰猛な赤き双眸が、戦士一人ひとりを真っ直ぐ射抜いていく。そのたび、人々に激励のごとく震えが走る。
「生きて帰ることを、最後まで諦めるな!」
その言葉は王族としての命令ではない。
一人の戦士として、戦友たちへ託す切実な願いだった。
王子としてではなく、一人の人間として紡がれたその言葉は、何より強く兵たちの胸を打つ。 そこには命を使い捨てる覚悟ではなく、生き抜く決意が込められていた。
「俺たちは試練のために戦うのではない! 過去の憎しみのためだけに剣を振るうのでもない!」
レオンハルトは静かに己が愛剣である大振りの赤い魔剣を掲げた。その切っ先が示す先には、陽光を浴びて輝く王都がある。
「愛する者と笑って暮らせる明日を、この国に残すために、共に戦おうぞッ!」
『オオオオオッ!!!!』
レオンハルトの号令に続き、最初に奮起した王国騎士団がミスリルの剣を天へ掲げる。凡愚と蔑まれていた第一王子レオンハルト・ブレイ・レグノムは、この日、数千の兵の心を掴み、初めて王の器を示してみせたのだった。
それに応えるように、各所で槍が、斧が、弓が、無数の武器が空へと掲げられた。
柔らかな陽を受けた鋼たちが一斉に煌めき、草原は銀の波に包まれたようだった。誰かに鼓舞されたからではない。 守るべきものを思い出したからこそ、戦士たちは自ら武器を掲げた。
「レグノム王国に勝利を!」
「「「レグノム王国に勝利を!!」」」
鬨の声は大地を震わせ、風に乗って王都まで響き渡る。
恐怖は消えていない。
それでも戦士たちの瞳には、もはや迷いはなかった。




