ワタクシは(姑視点)
天井の白い模様を、ただ眺める日々が続いている。
ここは、名前すら知らない安っぽい介護施設だ。私が本来居るべき高級シニアレジデンスなどではなく、最低限の設備と、どこか生臭い空気が充満する場所。
あの日、背中の痛みに意識が朦朧としていた私を、親戚どもは逃げるようにこの施設へと押し込んだ。
息子——真一は、それから一度たりとも面会に来ない。
「 最近全然お金くれなくてさぁーほんとナンなのこれって感じ。完っ全に騙されたわ」
真一に命じられたのか、最初のうちはあの派手な女、ミサが時折やってきた。けれど、私を気遣う言葉などひとつもない。
汚いものに触れるように椅子に浅く腰かけ、派手な爪を弄りながら、真一への愚痴と不満をぶちまけ早々に去っていくだけ。私の存在など、愚痴のゴミ箱くらいにしか思っていないのだ。
食事の時間になるたび、激しい屈辱が込み上げる。
目の前に置かれるのは、すべてミキサーでドロドロに潰された、原形の欠片もないペースト。
かつて高遠家の当主夫人として、最高の割烹やフレンチに舌鼓を打っていたこの私に、こんな家畜の餌のような真似が許せるはずがない。味気ない泥のような塊を喉へ流し込まれるたび、涙がこぼれそうになる。
面会室の向こうでは、他の入所者たちが家族に囲まれ、孫の笑い声が響いている。
そのたび、胸の奥からどろどろとした嫉妬と、真っ黒な怨念が湧き上がった。なぜ私がこんな目に遭う? 高貴な血を引くこの私が、なぜこんな?
やがて、あの不快な女すらも来なくなった。
ある日の午後、カーテン越しに職員たちの話し声が聞こえてきた。
「ねえ、302室の高遠さんのところ、また連絡つかないんだよね」
「えっ、新しいタオルと替えのパジャマ、下着も持ってきてって何度も電話してるのに?」
「うん……着替えもいよいよ薄汚れてきたし。息子さん、完全にネグレクト気味だよね」
カサカサに乾いた喉が、ヒッと鳴った。
息子の真一が、私を完全に無視している。タオル一枚すら届けてくれない。
しばらくして、決定打となる会話が私の耳に飛び込んできた。
「……高遠さんとこ。息子さんとついに音信不通になっちゃったみたい。費用も二カ月、滞納しちゃってて」
「うわぁ……どうするんだろ? このままだと生活保護の申請して、もっと安い公的な施設に移動だよね」
セイカツホゴ。
そのおぞましい単語が脳内で弾けた瞬間、私の頭の中で『何かが』パチンと音を立てて弾け飛んだ。
嘘だ。
あり得ない。
私は高遠ハツ江。名門・高遠家の由緒正しき女主人。
こんな安施設に押し込められ、息子に見捨てられ、生活保護を受けるなどという惨めな運命が、私に訪れるはずがないのだから。
(ああ……これは夢だわ)
私はゆっくりと目を閉じた。
これは悪い夢。性悪で気の利かない、あの貧乏育ちの嫁が見せている、質の悪い悪夢に違いない。
目を覚ませば、私はまたあの重厚で豪華な屋敷のサロンにいる。
あの生意気な嫁が、私の好みの完璧な温度で淹れた紅茶を捧げ持ち、震えながら私のご機嫌を伺っているはずなのだ。
(早く起きなくちゃ……あいつを、またたっぷり叱り飛ばしてやらないと……)
口から漏れる「あ、あ……」という壊れた音すら、私には高貴な笑い声のように聞こえ始めていた。まばゆい黄金の思い出の中に閉じこもりながら、私は二度と覚めることのない、心地よい闇へと落ちていった。
あと三話ほど続きます




