紬の遺族年金
水曜日。
小野寺さんが車を出してくれて、僕と紬はM県まで連れて行ってもらうことになった。
家庭裁判所と市役所、年金事務所を回るためだ。
出発の前、小野寺さんは紬が持ち出していたマイナンバーカードを見て、にやりと親指を立ててみせた。
「良かったわ、身分証があると全然違うから。
お手柄よ、紬ちゃん」
紬はちょっと照れたように俯いた。
車の後部座席で、紬はすぐにうとうとし始めた。
体調は戻ったと言っていたが、まだ本調子ではないのだろう。
家裁の相談窓口では、担当の人が書類の書き方を丁寧に教えてくれた。
小野寺さんが次々と質問する。
審査にかかる期間のこと、必要な添付書類が揃わなかった場合のこと、本人の居所が住民票と異なる場合のこと。
僕では思いつかない質問ばかりだ。
(一緒に来てもらえて本当に良かった)
ひとりだったら書類を貰って帰るだけで終わっていた気がする。
帰りの車の中、後部座席で紬が眠ってしまってから、小野寺さんが話しかけてきた。
「生活はどう? 少し慣れてきた?」
「はい。今は、僕と紬でご飯を作ってます。
理子さんも食べてくれてます」
「あら、それは助かってるわねぇ。
……仲良くやってるなら良かったわ」
その言葉に、はい、と素直には答えられない。
「……理子さんと紬は、仲、良いですけど、僕は……」
マンションに来てから六日。
理子さんは相変わらず、よく分からないタイミングで僕を睨む。
何をしても少し距離がある気がして、どうすればいいのかが分からない。
「……僕は、理子さんと出会った時、鞄を盗もうとしたので。
嫌われてても、仕方ないとは思うんですけど」
「鞄を?」
小野寺さんが、驚いた声を上げた。
(え? 話してないの?)
てっきり聞いているものだと思っていた。
余計なことを喋ってしまった。
「あ、えっと、捕まって、……結局盗んではいないんですけど」
そんなのはただの結果だ。
僕が盗みをしようとした人間だということは変わらない。
心臓がすっと冷たくなる。
僕なら、泥棒と仲良くなんて、絶対にしたくない。
嫌われてしまう。
見捨てられたらどうしよう。
紬は関係ないと、それだけは絶対に言わなければ。
小野寺さんは少し間を置いてから、いつも通りの声で言った。
「……紬ちゃんが、倒れてた時のこと?」
「……はい」
「そっか。未遂だったの、良かったわね。
それはあなたの運の強さよ。
あたしも時々ね、自分が普通に生きているのは、ただ幸運に恵まれただけだな、って思う時があるわ」
その言葉に、息が詰まる。
「何も言ってなかったから、りっちゃんもそれはそんなに気にしてないと思うわよ」
「……でも、」
「りっちゃんはね、元々少し男の人が苦手なの」
小野寺さんはくすりと笑った。
「だから奏汰くんのことを聞いた時はびっくりしたわ。
紬ちゃんのことがあったにしても、同居してもいいと思うなんて、男の子にしては快挙よ、快挙。
奏汰くんのことが嫌いなら、流石に無理よ」
「……そう、でしょうか」
「そうよ。男の子にとってのりっちゃんは、小町と同じよ。
少しずつ距離を縮めていくしかないの」
小野寺さんは明るく笑った。
小町と同じ。
あのシャーと威嚇してくる白猫を思い浮かべる。
気が遠くなる気持ちと、少しほっこりする気持ちに、僕は少し笑った。
「……昔から、弱ってる生き物をほっとけなくて、よく猫とか拾う子なんだけど。
一度繁華街で困った女の子を拾って、痛い目を見たことがあって。
それ以来、知らない人を家に上げるのは慎重にしてって、あたしが言ったの」
「……そうなんですか」
曖昧に相槌をうつ。
少しの沈黙のあと、小野寺さんはまた明るい調子に戻る。
「せっかくご縁があったんだから、奏汰くんと会ったことが、りっちゃんにとっても良いことだと嬉しいわ」
「……頑張ります」
それ以外に、言えることがなかった。
そうこうしているうちに、年金事務所に着いた。
紬を起こして相談ブースに通してもらう。
担当の職員が書類を確認しながら、静かな声で説明した。
紬の受け取れる遺族年金は、年間でおよそ百五十万円。
紬が成人するまで毎年支給されるという。
「百五十万……毎年ですか?」
「はい、毎年です」
百五十万ということは、毎月十三万くらい。大金だ。
(……父さんって、凄かったんだなぁ)
いつも母さんに叱られて言い訳ばかりしていた父さんの姿を思い出しながら、僕は唖然としてしまっていた。
隣で小野寺さんが頬を押さえた。
「あら。あらあら。
児童手当もあるし、じゃあ紬ちゃんの生活費はなんとかなるわねぇ。
……でも、あんまり奏汰くんよりお金持ちになっても困っちゃうわね」
「え、なんでですか?」
「紬ちゃんの財産を当てにしてると思われることがあるかもしれないわ。
後見人の審査でも、気をつけないとね」
確かに無収入のままでは、紬の年金で生活すると思われるに違いない。
理子さんと結婚しているから、かろうじて、紬の年金はあてにしていないと言えるのだ。
理子さんには、本当に感謝しかなかった。




