オムライス
次の日曜日はマンションの模様替えに明け暮れた。
僕と紬のスペースを作るためだ。
理子さんのマンションは2LDKだ。
僕と紬は、可動扉で仕切られたリビングと続きの四畳半の和室をもらった。
僕が家具を動かしている間、紬は洗面所と理子さんの寝室に鍵をつけていた。
小野寺さんがそうしろと強く言ったからだ。
「ずっと一人暮らししてた人間にはそういうスペースが必要だし、対策をしないとラッキースケベの責任を奏汰君だけが負うことになるでしょ。それはよくない。
本当の夫婦になるつもりじゃないなら、つけといて。心配だから」
理子さんは小野寺さんの言葉に素直に頷いていた。
僕もその方が安心だったので良かった。
(ラッキースケベとか、現実で使う人っていたんだな)
おっとりした印象だった母に比べて、ふたりは本当にしっかりしている。
公務員だからなのかと聞くと、小野寺さんは「一人暮らしの女は自分で自分を守らないといけないからよ」と言った。
朝起きて、三食食べて、風呂に入って、布団で寝る。
そんなまともな生活が三日目になってくると、自分が理子さんにした要求がどんなに無茶苦茶なことだったか気づく。
理子さんにメリットがなさすぎる。
(……よく、受け入れてくれたな)
紬を見捨てられないと言ってくれた親切な人。
僕は、そんな人から奪ったものを紬に与えたのだ。
自分は何も持っていないから。
――それでも、紬を守れるなら、今でもきっとそうする。
だから、気づいてしまったことは胸に仕舞う。
少しでも早く独り立ちして恩を返せるように頑張るしかない。
理子さんが寝室から出てきて、キャビネットを運ぶ僕の手元を見て眉を顰めた。
「……それ、ひとりで動かしたの?」
なんとなく、キャビネットを床に戻して手を離す。
予定通りの場所に運んだつもりだ。
もしかして大事なものとか入っていて、傾けてはいけなかったのだろうか。
理子さんは言うべきことはズバズバ言うが、あまり思っていることを話してくれない。
怒っていることは分かるが、何を怒っているのかが分からない。
「……すみません」
「なにが」
自分でも何を謝っているのか分かっていないので、答えられなかった。
月曜日、理子さんは普通に出勤した。
僕は理子さんのメモを見ながら、スマホでググったり役所に電話をしたりする。
色んな書類の取り寄せ方を調べる。
あちこちに電話してメモをとる。
分からないことが多くて、自分の世間知らずさに涙が出そうになる。
「かけ放題に変更してて、良かった……」
そう呟いてから、もうすぐ今月の引き落とし日だったことを思い出す。
――また、理子さんにお金を貰わないといけない……。
少ない荷物から通帳を引っ張り出す。
残高は三桁だ。
毎月七万の仕送りの履歴が、三ヶ月前まで毎月記録されている。
(父さんって、凄かったんだなぁ……いや、世の中の働いてる大人たち、みんな凄い)
昼になり、なぁ、と小町が餌を要求する。
「おまえ、僕らがくる前は昼にごはんなんか貰ってなかっただろ」
小町の不当要求を突っぱねてキッチンに水を飲みにいく。
可愛い態度に騙されてはだめだ。
余計な餌を与えて、怒られるのは僕なのだ。
紬はさっきからリビングのソファでメールをしている。
「紬。そういえばお前のスマホの支払い、どうなってるんだ?」
紬はきょとんと目を見開く。
それから首を横に振った。
(そういうの、どうやって調べたらいいんだ?)
理子さんに相談することリストは、長くなる一方だ。
紬にもたれかかるようにスマホを覗き込むと、ヴヴッと震えてアプリの通知が現れる。
『りこちゃん:お昼は適当にレトルト漁って』
紬は、お腹すいた、というようにお腹を摩ってみせた。
「え? 今の、理子さん?」
紬が頷く。
いつの間にLINEの交換してたんだ。
僕には電話番号しか教えてくれなかったのに。
いや、いいんだけど。
ショートメッセージでも、ことは足りるんだけど。
紬が少し口を尖らせて、躊躇いがちに僕を見上げた。
『りこちゃんには言わないでね』
『レトルト 飽きた』
「あー……」
このマンションに転がり込んでから今日で四日目。
ずっとシリアルとレトルトしか食べていない。
理子さんの食生活が元々そんな感じなのだ。
僕は下宿でインスタントラーメンばかりのときもあったから平気だが、紬はそういうことに慣れていない。
「……今日は、晩ごはん、ふたりで作ってみようか」
紬がぱっと嬉しそうに笑う。
理子さんの許可は、紬にとってもらった。
(僕はLINE交換してもらえなかったからね!)
少しいじけてキッチンを漁る。
なんとケチャップもなければ醤油もなく、サラダ油は賞味期限が一年以上前に切れていた。
スーパーに買い出しに行って、夕方からふたりでオムライスを作る。
理子さんの分は、紬が一番上手に卵が巻けたものを選んで、ふたりでトッピングの人参を飾り切りして置いておいた。
夜に帰ってきた理子さんは、テーブルに置かれたオムライスを見て一瞬足を止める。
気に入ってくれるだろうかと固唾を飲む僕たちに視線も向けず、そのまま疲れた顔でオムライスを素通りして、レトルトカレーの並ぶ棚を開けた。
ショックを受けた顔の紬が、ぎゅっとトレーナーの胸元を握る。
僕は慌てて駆け寄った。
「あの、オムライス、嫌いでした?
明日は何か、リクエストありますか?」
理子さんはきょとんと僕とオムライスを見比べる。
「……これ、私の分?」
視線を向けられた紬がこくこくと激しく頭を縦に振る。
何度か目を瞬いた理子さんは黙ってオムライスを温め直し、ダイニングテーブルでスプーンを手に取った。
最初のひと口を食べて、少しだけ目を見開いて、それから柔らかく細めた。
「……美味しい」
それだけ言って、あとは黙々と平らげていく。
僕は紬と目を合わせて、ふたりでハイタッチした。




