表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
僕の奥さん、のようなひと  作者: 花鶏
§ 藤村奏汰になりました §
5/7

そんなのどこで勉強するの?


 市役所の婚姻届受付窓口は静かだった。


 知らなかったけど、婚姻届だけは平日じゃなくても出せるのだそうだ。


「……ほらぁ!

 結婚って、そういう、特別なものじゃないですか!」

「それをこんな簡単に結んだり解消したりできるようにしてるから、他の目的で利用する人間が後を絶たないのよね」


 理子さんは他人事のように言った。


(そういう話じゃない)


 記入台の上で、婚姻届に自分の名前を記入する手が震えてしまいそうだった。

 用紙とペンを渡すと、隣で理子さんがさらさらと署名する。

 一切の迷いを感じさせない流れるような動作に途方に暮れる。


 僕の視線に気づいた理子さんがもう一枚の紙を渡してきた。


「これもついでに書いておいて」


 手にとって、その『離婚届』という表題を現実味もなく眺める。


 市役所に来る途中、理子さんは知人の家に寄った。

 その時に受け取った婚姻届と離婚届には、証人欄がもう記入済みだった。


(段取りがすごい)


 記入を終えた婚姻届を窓口に出す。担当の女性が確認して、判を押す。


「おめでとうございます」

「ありがとうございます」


 祝ってくれた担当者に、理子さんは愛想良く返していた。


 手続きはたったそれだけだった。


 少し待って、発行された受理証明書を見つめる。


 『藤村奏汰』。


 自分の新しい名前を、頭の中で読みあげる。


(……ふじむら、そうた)


 藤村奏汰に、なってしまった。



 車の中で紬に簡単に事情を説明する。

 紬はしばらく僕と理子さんを交互に見てから、困った顔でスマホの画面を向けてきた。


『意味わかんない』


 難しくて理解できないのか、理解はできるが意味不明だということなのか。


 裁判所の面接が終わるまで、紬には隠しておこうかとも話したが、それはやめた。

 紬はしっかりしていて、勘が良くて、何より僕のことをよく見ている。

 隠し通せる気がしなかった。

 理子さんも特に反対はしなかった。


「今は声が出ないんだから、うっかり喋っちゃう心配もないでしょ」


 言い方が身も蓋もない。


「とりあえず必要な出費は立て替えとく。

 出世払いでいいからちゃんと返して」


 僕は慌てて運転席を覗き込む。


「落ち着いたらバイトを探します。

 なるべく早く返します」

「とりあえずはいいわ。誰か動ける人がいないと大変だから。

 手続き関係が全部終わってからにしましょう」


「手続き関係?

 後見人の申立て以外に、まだ何かあるんですか」

「分かってるだけ、書き出してみたわ」


 理子さんからメモを受け取る。


 後見人選任の申立て。遺産の把握。後見人が決まったら住民票の異動。遺産分割協議。相続関係図。不動産登記。遺族年金。両親の携帯、公共料金、クレジットカードの確認と解約。保険の確認……。


「……えっ? え?」


 半分くらい、何が書いてあるのかも分からない。


「もう済ませてるものある?」

「……僕が、済ませたものは、ないです」

「そう。一個ずつやるしかないわね。

 私も聞き齧りだから、まだ何かあるかもしれない」


 理子さんはお茶を一口飲んで、静かに付け足した。


「人間が死ぬと、面倒なものなの」


 僕はしばらく、そのメモを眺めた。


 両親が死んだ日から、ずっと追われるように動いてきた。

 なのに、こんなにあるやらないといけないことを、何ひとつやっていない。

 僕は大学生なのに、何も分からない。

 皆、こういうの、どこで勉強するんだろう?


「えっと、じゃあ、それが全部終わったら」

「全部終わったら、あなたは就職先を探して、住むところを探して、出ていくの」

「……はい」


(……僕にできるんだろうか、これ)


 メモを見つめて途方に暮れる。

 無理かも、と弱音を吐きそうな自分を押し込める。


 僕がやるしかないのだ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ