内定
一月が終わり、あっという間に二月も過ぎた。
僕は就職活動と期末試験の勉強と卒論の準備に追われながら、紬の保護者会に出たり勉強をみたりした。
紬のことは、小野寺さんも時々助けてくれる。
就活と卒論はもちろん大変だけど、僕はだいたい理子さんよりも帰宅は早い。
それでも晩ごはんを作れない日もある。
世の中の働くお母さんたちがどうやって生活を回しているのか不思議でしょうがない。
四月になって、僕は大学四年生に、紬は中学三年生になった。
安田はIT系の大手企業に早々に内定を決めた。
長谷川は僕に付き合って行った建設業の企業説明会で興味を持ったらしく、一緒にインターンに行ったりした。
五月の半ばに本命の会社から内定が出た。
この地域の地場ゼネコンだ。
業界に興味を持たなければ名前も知らなかった会社。
主に公共施設や道路を支えている。
インターンで聞いた施工管理の人の話が印象的で、内定はふたつめだったが、僕はそれで就職活動は終わりにすることにした。
一週間後、内定承諾書が届いた。
大学の空き教室で第二志望の会社に内定辞退の電話をする。
「――はい、せっかく選んでいただいたのに、申し訳ありません。
インターンでも、親切にしていただいて、ありがとうございました。
――はい、頑張ります。ありがとうございます」
通話を切る。
申し訳ない気持ちで心臓がばくばくする。
(断るって、大変なんだな……)
就職面接よりも緊張した。
大きく深呼吸しながら、窓からそよぐ風で頬の熱を冷ます。
窓の外では若葉が心地よい音を鳴らしている。
通りかかった長谷川が僕に気づいて教室に入ってきた。
「奏汰。何してんだ」
「……H建設に、辞退の電話してた」
「……そうか」
「うん」
長谷川はまだ就職活動をしている。
僕や安田よりよほど優秀だし真面目なのに、面接が苦手で苦戦しているようだった。
「T建設に受かったんだな。おめでとう」
「ありがとう。お前と安田が色々助けてくれたおかげだよ」
「実力だろ。奥さんも、喜んでくれただろ?」
返事のできない僕に首を傾げて、長谷川は僕の前に座る。
「喜んでくれなかったのか」
「……まだ、話してなくて」
「なんで」
「……安田は、騒ぐから、まだ内緒な?」
僕はところどころ不都合なことを端折りながら理子さんとのことを説明した。
紬を保護するために厚意で籍を入れてくれただけだから、本当ならもう別れているはずだったことを。
「紬とふたりでお願いして、延ばしてもらってたけど……たぶん、僕が自立したら、今度こそ別れることになると思う」
静かに僕の話を聞いていた長谷川は、じっとこちらを見ていた。
「別れたくないのか」
「え? まぁ、そりゃ……」
「じゃあ、このままでいたいって、相談してみればいいんじゃないのか?」
このままで。
ずっと、紬と三人で、あのマンションで。
名前だけの配偶者として、保護された子どもとして。
――なんだか、それも違う気がする。
俯く僕に、長谷川は真面目な声で言う。
「あのな、奏汰。お前、ちょっと自分のことに鈍いとこあると思う。
それで、適当に周りの希望に合わせちゃうだろ。
大事なことなら、流されて譲ったらだめだ」
驚いて顔をあげると、長谷川は気まずそうに頭を掻いた。
「……ひとりだけ就職も決まらない俺に言われたくないかもだけど」
「そんなことない。
お前を落とす会社は、ほんともったいないことしてるよ」
「茶化すなよ。それなりにへこんでんだぞ」
「安田もこないだ、『俺が人事部長だったら名刺持ってマッハ5で駆けつけるのに』ってうるさかった」
長谷川が軽く吹き出す。
「あいつはほんと、黙ってりゃイケメンなのにな」
「な」
僕たちは軽く笑い合ってから、安田を誘って飲みにいく約束をして別れた。
帰宅すると、紬が夕飯の支度をしていた。
エプロンをつけたままこちらを振り返る。
「おかえり」
「ただいま。就職決まったよ」
紬は目を大きく開いてから、満面の笑みを見せた。
可愛く弾みながらやってきて、僕の腕を引っ張る。
「やったね! おめでとう!
お祝いのパーティーしなきゃ!
でっかいケーキ! 作って!」
「僕が作るのかよ」
理子さんがリビングに出てくる。
「おかえりなさい」
「ただいま。就職、決まりました」
その報告に、理子さんも嬉しそうに笑ってくれた。
こんな風に笑ってくれるなら、変な悩み方してないで、内定が出た時に報告すればよかった。
「おめでとう。なんていう会社?」
「T建設です」
理子さんは何度か目を瞬く。
聞いたことのない社名だったのかもしれない。
本当は、辞退したH建設の方が一般的には名前の通りがいい。
(いやいや。T建設だってすごい大きい会社で。
すごい良い感じで。けっこう倍率高かったし。条件も良くて)
ネームバリューより事業内容を重視してT建設を選んだ。
なのに、H建設にしておけば理子さんに「すごいね」って言ってもらえたのかもしれないと思うと、今更惜しい気がしてくる。
(……いやいやいや! 小学生か!)
完全にお母さんに褒めて欲しい子どもだ。
恥ずかしくなって、つい目が泳ぐ。
そんな僕に理子さんは驚いた顔のまま言った。
「すごいわね」
「えっ」
「T建設なんて、大きいとこ……法面保護の国内トップクラスじゃない。
下請けの職人からも評判良いし」
そんなの、知らない。
法面や土止めが得意分野ということは知っていたが、業界内での立ち位置など、俄かの大学生が知る由もない。
理子さんは少し僕を見つめてから、役所の職員のような顔でにこりと笑った。
「すごいわ。将来安泰ね」
期待していたような身内としての賞賛ではなく、縁のない人間に向ける乾いた評価。
背中がすっと冷たくなる。
他人行儀な響きに、僕は今、「助けてあげないといけない可哀想な学生」という特権を失ったのだと悟った。
僕は慌てて言い繕う。
「すごいですよね! なんか、運が良くて!」
半年以上も一緒にいれば、なんとなく分かる。
理子さんは、弱い人や、どこか社会から外れた人でないと、対等に見てくれないようなところがある。
「ほんとは僕なんかが入れるとこじゃないんですけど、インターン行ったのが良かったのかな?
友達なんか、すごい優秀なのに全然就職決まらなくて。
就職なんて単に運なのかも」
焦って、適当な言葉を捲し立ててしまう。
(……ダサい……)
自分を落として、ついでに周りの人まで落として、未熟を装って理子さんの懐に入れてもらおうとしている。
長谷川にも失礼だし、採用を決めてくれた会社にも失礼だし、頑張った僕自身にも失礼だ。
「……えっと、やっぱり、今の、なしで。
運もあったとは思うけど、第一志望だったので、頑張ります」
扉の外に出されてしまうのは悲しいが、こんな風に入れてもらったって仕方がない。
(……もしかして、就職したら、もう……会っても、もらえないんだろうか)
そんな可能性に思い至って胸がぎゅうっと痛んだ。
答えを知るのが怖くて、僕は無理矢理明るく言う。
「あの! お祝いパーティーしないといけないので。ケーキ、何がいいですか」
「ケーキ? 奏汰くんが、自分で用意するの?」
「デコレーションは私がやる!」
紬が横から顔を出して僕の腕にぶら下がる。
理子さんとの繋がりの細さに冷たくなっていた心に、紬の明るい声が沁みた。





