高遠奏汰の事情
両親が死んだのは、八月の暑い日だった。
山道での車の転落事故。即死だったと医者に聞いた。
大学三年生だった僕は大学を諦めて仕事を探すことにした。
僕の実家は田舎の方で、就職活動に不便な土地だ。
葬儀の前日から実家に来ていた遠縁の女とその息子が、中学生の妹を預かってくれると言うので、僕は下宿で求人を探すことにした。
「ちょうどね、お義姉さんが出戻ってきちゃって、家が手狭になってたのよ。
しばらく、私たちがここに住んで、紬ちゃんの面倒をみるわ」
他の親戚たちが紬をどうするんだとヒソヒソしている中、なんてありがたいんだろうと、あの時は思った。
僕はこれからの不安で頭がいっぱいで、何度も電話はしていたのに、紬の異変に気づけなかった。
そしてふた月後。
紬は声を失った。
ファミレスのテーブルで、紬は泣きながら震える指でスマホを打った。
『あのひと いつも触ってきたり お風呂のぞこうとしたりするの 気持ち悪い もうあの家に帰りたくない』
あの時の頭を殴られたような衝撃は今も忘れられない。
実家に飛んで行き、怒りに任せてその男の胸ぐらを掴んで怒鳴りつけた。「言いがかりだ」と怒鳴り返され、暴行未遂で警察を呼ばれた。
児童相談所にも役所にも相談した。
だけどそいつの父親が県議会議員だと分かると、役所の人たちは及び腰になった。
「誤解ですよ。思春期の女の子は、少し過敏だから。勘違いしてしまうのも仕方がない。
ご両親を亡くした心痛で、声が出なくなって……お兄さんも、慌ててしまったのでしょう」
鷹揚な顔で聴取に対応する議員に、担当者はそれ以上追及してくれなかった。
誰も紬を守ってくれない。
このままでは、紬はあの男に何をされるか分からない。
僕は実家から紬を連れだした。
議員の妻は捜索依頼を出し、一週間も経たないうちに僕の下宿に警察が来た。
「一緒に住んでれば、お風呂で鉢合わせることもあるだろう。気にしすぎじゃないか?
おじさんたちは、君たちのことを心配して、親切で言ってくれてるんだよ」
色々言っていたが、要するに紬を実家へ戻せということだった。
持てるだけの荷物を抱えて、僕たちは逃げた。
お金は二週間で底をついた。
ネカフェを出て、公園の遊具の中で寝泊まりした。
文句ひとつ言わない紬に、満足に食べるものも渡してやれない。
お金を稼ぎたかったけど、スマホの充電が切れていて、何をどうすればいいのかも分からなかった。
警察には頼れない。紬を連れ戻されてしまう。
三日目の明け方、紬の額が熱いことに気づいた。
ずっと冷たい砂の上で寝かせていたからだ。
財布の中身は硬貨が数枚。
風邪薬と、何か食べさせるものが欲しくて、ドラッグストアに入った。
頼み込んで、分けてもらえないだろうか。
期限切れで捨てるやつとか、あるんじゃないか。
そう考えていたはずなのに、目の前できちんとした身なりの女性が床に鞄を置いて、そこにはきっと薬を買えるお金が入っていると思ったら――手が、動いた。




