鈴木議員
翌々日、僕は理子さんには黙って実家に行くことにした。
何もしないでいると、今度はいつ何をされるかと落ち着かなかった。
とにかく、紬にちょっかいを出さないこと、理子さんに関わらないこと、それだけは約束させなければ。
バスを降りて見慣れた坂道を上る。
子供のころ何度も駆け上がった坂道。
それを越えて角を曲がると、白い外壁の家が見えてくる。
玄関の脇に飾ってあったはずの陶器の表札がなくなっている。
紬が小学校で作った、不格好な文字で「たかとう」と書かれた表札。
その代わりに、少女趣味の置物が置いてあった。
母さんが手入れしていた庭の花壇もなくなっていた。
呼び鈴を押すと、しばらくして扉が開いた。
「やあ、いらっしゃい。あがってくれ」
鈴木議員は以前と同じように穏やかな顔をしていた。
スーツにネクタイ、きっちりと整えた髪。
自分の家みたいな顔で、どうぞと手を広げた。
「結構です。この家は売却します。出ていってください」
「まあまあ、そう急がずに。お茶でも飲もう」
居間に通されると先に彼の妻がにこにことした顔で座っていた。
鈴木議員は僕の向かいにゆったりと腰を下ろす。
「最近、生活はどうだね?」
「そんな話をしにきたわけじゃありません。
この家は売却するので出て行ってくださいと、弁護士から手紙を送ったはずです」
世間話を遮る僕に、彼は困った子どもの相手をするような態度だ。
「君はそう言うが、思い出の詰まった実家を売るなんて、紬ちゃんが可哀想だろう」
「でも、今は理子さんの家に住んでるので。仕方ないです」
「そうだね。
でも君にはまだ将来がある。
若いのに紬ちゃんの面倒を見るのは大変だよ。
妻が紬ちゃんの後見人になってもいいと言っているんだ。
君の奥さんも、新婚なのに、急に紬ちゃんのような大きな子ができたら気の毒だろう」
鈴木議員の妻がうんうんと頷く。
「そうよ。紬ちゃんは、ここで私たちと暮らすのがいいわ。
ゆくゆくは、マー君のお嫁さんに——」
「お前は少し黙っていなさい」
議員が妻を制した。
彼女は口を噤んで、それでもにこにこしていた。
僕は呆れて返す言葉がなかった。
三十路の息子の正俊と中学生の紬をくっつけようなんて、頭がおかしいにも程がある。
議員はゆっくりとお茶を一口飲んだ。
「こんなことは言いたくないがね」
置かれた湯呑みを、指先でくるりと回す。
「藤村さんは、君たちの遺産が目当てかもしれないよ。
今回の売却だって、彼女の入れ知恵なんだろう?」
かっと頭に血が上る。
「理子さんは関係ない! 僕が決めたことだ」
「そもそも、おかしいと思ったんだよ」
議員は続けた。穏やかな声のまま、目だけが笑っていない。
「こんな年上の相手と急に結婚なんて。
少し調べさせてみたんだが、おかしな輩を家に引き入れたりしてるみたいじゃないか」
「調べさせた、って……」
言葉を詰まらせる僕に構わず鈴木議員は続ける。
「弁護士などを雇って一端の気分なのかもしれないが、君も社会に出れば分かる。
大人の言うことを素直に聞いておくべきだったとね」
「そんなの、僕たちの問題でしょう!
とにかくもう、理子さんの家に来るようなことはやめてください!」
「じゃあこれからは電話くらい出てくれるかな」
何を言っても響かない。
僕に何の力もないことを承知で、相手にする気なんかないのが分かる。
僕は立ち上がり、返事もせずに実家をあとにした。
帰宅すると、理子さんはすでに僕が実家に言行ったことを知っていた。
紬が話したらしい。
話を聞き終えて、理子さんは長い溜め息をついた。
僕は肩をすくめながらも弁明した。
「……これ以上、あいつらが理子さんに迷惑かけるのをやめさせないとと、思って……」
「まだ後見人の審査中なのに揉め事は良くないわ。
それに、弁護士に任せたのに直接接触するのも」
理子さんは僕に鈴木との会話を細かく話させながら書き取った。
「弁護士に連絡しなきゃ……」
「……すみません」
理子さんは眉間に皺を寄せてスマホを手に取った。
退去勧告をして、この家には来ないでほしい旨を伝えた。
電話に出ろと言う要求に返事はしなかった。
弁護士に、結果として問題ないと言われ、ほっと胸を撫で下ろす。
家や結婚がばれたのは、お抱えの弁護士が戸籍を見たのではないかと言っていた。
紬の後見を考えているなら、相続調査をしている可能性がある、と。
今後は気をつけるようにと釘をさされて、お説教は終わった。




