なずな -9
それは、修行中のことだった。
「…………?」
「どうした、スサノオ?」
「いや……何か違和感が……」
オグナが周囲を見渡す。
修行場は名もなき山の頂上にあるため、見晴らしがよい。
屋敷からずいぶん離れているが、これは五行がうっかり屋敷の方へ飛んでいっても大丈夫なようにという配慮だ。
「…………静かすぎる」
耳をすますと、普段なら聴こえてくる鳥のさえずりや風で揺れる木の葉の音が、今はまったくしない。
そのとき、遠くの山で木々が次々と倒れていった。
まるで何かが邪魔な木を押し倒して進んでいるかのように。
「オロチじゃ!」
ツクヨミの叫びに、緊張が走る。
「まだスサノオ様の修行が途中だというのに……一旦退きましょう。向こうがただ通りすがっただけなら、気付かれなければやり過ごせます」
「…………いや、行くぞ」
「スサノオ様っ!?」
「スサノオ、無理じゃ!」
「あんな化け物、放っておくわけにはいかねぇ」
オグナが走り出す。
「まったく……!わしらも行くぞ!」
「はい……!」
追うように二人も走り出した。
オグナの足は速く、二人が着いたときにはすでに戦いが始まっていた。
「くそっ!蛇ごときが……!」
今まで対人戦が主だったオグナは、だいぶ戦いづらそうだ。
オロチ。
その正体は、一匹の蛇。
しかし、ただの蛇ではない。
長い年月を生き、成長し続け、今では小屋すら余裕で一呑みにできるほどに巨大化した蛇だ。
「チカラ……チカラ…………」
「なぬっ!?オロチのやつ、言葉を話すようにまでなったのか!?」
「ツクヨミはあまり覚えてないかもしれませんが、先代のスサノオ様は博識な方でした。おそらく、スサノオ様を喰らい、知識を吸収したのでしょう」
「やっかいじゃのぅ」
「いいから早く援護してくれ!」
オグナの声にはっとする二人。
「すまぬスサノオ!これを使え!」
ツクヨミが五つの勾玉を投げ渡す。
「何だ?」
「五行の力をこめた勾玉じゃ!今のおぬしなら使いこなせるはずじゃ!」
「何だよ……こんなのがあるならさっさと渡してくれよ!」
オグナが不敵に笑う。
五つの勾玉が光り輝いた。
五行の力を得たオグナは圧倒的だった。
オロチに反撃の隙を与えず、斬りつけ、殴り飛ばし、蹴り上げる。
「まさかこれほどまでとはのぅ……」
ツクヨミも驚いた様子で戦いを見ている。
倒れたオロチが、弱々しく頭をもたげる。
「これでとどめだっ!」
オグナが剣を構え、走る。
「……っ!スサノオ様っ!待ってくだーー」
アマテラスの叫びは、金属音に阻まれた。
オグナの剣が折れたのだ。
長く生きるうちに、強度な鱗を手に入れたオロチ。
対して、オグナの剣は神器でも何でもなく、使い慣れただけの普通の剣。
五行の力のおかげなのか、今まで折れなかったことが奇跡に近い。
その隙を見逃さず、オロチがオグナを突き飛ばす。
「ぐあっ!!」
「スサノオッ!」
「スサノオ様っ!」
宙高く上がるオグナの身体。その懐から、五つの勾玉がこぼれ落ち、
「チカラ……!!」
それを狙っていたかのように、オロチは勾玉を呑み込んだ。
「なっ!?勾玉がっ!」
「ツクヨミ、まずはスサノオ様の援護です!」
「うむ!」
二人の五行により、オグナが落ちるであろう辺りの木々が形を変える。
「これで木々が衝撃をやわらげて……アマテラス!オロチがっ!」
オロチに目をやると、そこにはさらに巨大化した蛇がいた。しかも、
「首が……増えとる…………」
巨大とはいえ普通の蛇だったはずが、勾玉を取り込んだためか頭が六つになっていた。
「完全に化け物じゃな」
その六つの頭のうち、五つがオグナの方を振り向く。
「……っ!まずい、防壁をーー」
アマテラスとツクヨミが術を使う前に、オロチの攻撃が放たれた。
一つ目の首が炎を吹き、
二つ目の首が水球を飛ばし、
三つ目の首が暴風を巻き起こし、
四つ目の首が雷を落とし、
五つ目の首が岩石を吐き出し、
すべてがオグナに命中した。
「スサノオっ!」
「そんな……っ!」
オロチの起こした暴風で、オグナがさらに遠くへと飛ばされる。
「…………ツクヨミ、スサノオ様を頼みます」
アマテラスがオロチに対峙する。
「何を言っとるのじゃ!ここはまず撤退せねば!」
「逃げられると思いますか?」
「…………」
「私が時間を稼ぎます。その間にスサノオ様を安全なところに」
ツクヨミの脳裏に、ひとつの記憶がよみがえる。
雷雨の夜ーー
一人の老人が自分達を逃がすためにオロチと戦いーー
もう二度と会うことはできなかったーー
「駄目じゃ……駄目じゃ駄目じゃ!やはり一緒にーー」
「ツクヨミ」
「わしは知っておる!そう言ってアマテラスも戻ってこないつもりじゃ!そしたらわしはーー」
「ツクヨミ」
「凄んでも無駄じゃ!わしにだって譲れんことはある!無理なこととはわかっているが、おぬしをおいていくなどーー」
「……泣砂」
「……っ!」
不意に優しい口調で真名を呼ぶアマテラスに、ツクヨミは言葉をつまらせる。
「スサ……いいえ、オグナ様なら、オロチを倒せる……私はそう信じています。だからこそ、ここであの人を守りきらねばならない。私とあなたの命を捨ててでも」
「…………」
「ですが…………姉として、私はあなたにも生きてほしいのです、泣砂」
「…………」
ツクヨミの頬を涙が濡らす。
「血の繋がりもないのに姉だなんて、おこがましいですけどね」
ツクヨミが子供のように頭をぶんぶんと横に振る。
「姉上……姉上!姉上っ!」
泣きながら叫ぶツクヨミに、アマテラスは優しく微笑んだ。
「さあ、これを持って行きなさい。あの人をよろしくお願いしますよ」
アマテラスはツクヨミに神器「八咫」を渡した。
ツクヨミは、袖で涙を拭く。
「迎えに来るから!だから……死ぬでないぞ!」
ツクヨミが走っていくのを、アマテラスは静かに見送った。
「さて……お待たせしました。時間を頂き、ありがとうございます」
アマテラスがオロチと向き合う。オロチはすでに戦闘体勢に入っている。
「私の命が尽きぬ限り、ここは通しませんよ」




