第九話:塩辛い芋がゆ
雨上がりの朝、路地裏には澄んだ秋の風が吹き抜けていた。
ヴィアンカは早朝から厨房に立ち、木ベラで大鍋をゆっくりとかき混ぜていた。今日の朝食は、昨日ガラフと約束した「芋がゆ」だ。焦がしたサツマイモの反省を活かし、じっくりと出汁で煮込んだ白米に、裏ごしした黄色いサツマイモのペーストを丁寧に混ぜ込んでいる。
(今度こそ、絶対に失敗できない……!)
勇者だった頃、料理は単なる「栄養補給」でしか無かった。硬い乾パンと干し肉をかじり、ただ体力を維持するためだけに喉へ流し込む。だが、この店に来てから、ガラフとテーブルを挟んで温かいものを食べる時間が、ヴィアンカにとってかけがえのないものになっていた。
塩をほんの少し放り込み、小皿にとり味を確かめる。
「……うん、甘みと塩気のバランスも完璧」
ヴィアンカが満足げに頷いたその時、カウベルが激しく打ち鳴らされた。
「ヴィアンカ! お前、こんな場所にいたのか!」
入り口に立っていたのは、ギラギラとした銀色の甲冑を身に纏った三人の男たちだった。中央に立つ男の見覚えのある顔に、ヴィアンカの手から木ベラが滑り落ちそうになる。
第一騎士団の元同僚、副隊長のフェルナンドだった。
「フェルナンド……様。どうしてここが……」
「探したぞ、落ちこぼれ勇者。魔王を倒したあとの処理もろくにできず、騎士団を追い出されたと思えば……こんなドブ臭い路地裏で、怪しげな店の店番か?」
フェルナンドは鼻で笑い、革手袋で覆った手で鼻を覆った。店内を見回し、棚に並ぶ小瓶や怪しげな魔導具を蔑むような目で見つめる。
「相変わらず惨めだな。お前の『真面目さ』は騎士団でも浮いていたが、こんな底辺の店で燻ぶるために剣を振るっていたのか? 哀れだな、ヴィアンカ」
痛烈な言葉が、ヴィアンカの胸に突き刺さる。
正義感を振りかざし、融通が利かず、仲間からも疎まれて追い出された自分。反論しようと口を開くが、声が震えて言葉にならない。フェルナンドの言う通り、自分はどこに行っても馴染めない落ちこぼれなのだという刃が、心を削り取っていく。
「おい、甲冑野郎」
低い声が、店内の冷たい空気を切り裂いた。
カウンターの奥から、頭をボサボサに掻きながらガラフがのっそりと起き上がってきた。魔草をくわえ、だるそうにフェルナンドたちを睨みつける。
「朝っぱらからジャラジャラうるせえんだよ。うちのバイトちゃんに用かい?」
「なんだ貴様は。ただの店の主か? 邪魔をするな、我々は――」
「お前らがどんだけ高貴な騎士様かは知らねえがな」
ガラフは煙を細く吐き出し、フェルナンドの言葉を遮った。その瞳には、かつて王都の空を統べた元竜騎士の、凍りつくような冷圧が宿っていた。
「うちの店番を『惨め』だと? 笑わせるなよ。お前らみたいにピカピカの鎧着て、他人の傷口に塩塗ることしかできねえ奴らより、こいつの作る不器用な飯の方によっぽど価値があるんだよ」
「な……貴様、口の慎みを――!」
「客じゃねえなら立ち去れ。塩撒くぞ」
ガラフが片手を懐に突っ込むと、その圧倒的な威圧感に気圧されたのか、フェルナンドたちは思わず後退りした。
「くっ……狂人め! 行くぞ!」
捨て台詞を残し、フェルナンドたちは逃げるように店を飛び出していった。
静まり返った店内で、ヴィアンカは俯いたまま立ち尽くしていた。ぽろぽろと、大きな涙が床にこぼれ落ちる。
「……すみません、ガラフさん。私……やっぱり、どこに行ってもご迷惑ばかり……」
自分は勇者としても失格で、騎士団を追い出され、ここでもガラフに庇ってもらわなければ何も言えない。情けなくて、悔しくて、涙が止まらなかった。
ガラフはため息をつくと、のしのしと厨房へ歩み寄り、大鍋から小椀に芋がゆを盛り付けた。そして、レンゲをヴィアンカの手に握らせる。
「喰え」
「っ……いまは、そんな気分じゃ……」
「いいから喰えって」
強引に言われ、ヴィアンカはおずおずと熱々の芋がゆを口に運んだ。
出汁の優しい旨味とサツマイモのほんのりとした甘さが広がるはずだったが、自分の涙が混ざって、少しだけ塩辛かった。
「……塩辛いです」
「お前の涙が入ったからだろ」
ガラフは自分の分も盛り付け、カウンターに腰掛けてハフハフと芋がゆを口に運んだ。
「勇者ちゃん。あんな奴らの言う言葉に、お前の価値を決めさせるな」
ガラフは器を置き、真っ直ぐにヴィアンカの目を見た。
「お前が真面目で、泥くさくて、誰よりも傷つきやすいのを、俺は知ってる。世界を救った後で捨てられた傷も、居場所を探して必死にここで雑巾がけしてる姿もな。……お前の『正しさ』は、少なくとも俺と、ここに来る困った奴らを救ってんだよ」
「ガラフさん……」
「胸張っとけ。お前は俺の自慢のバイトちゃんだ」
無愛想で、照れくさそうに吐き出されたその言葉が、ヴィアンカの傷ついた心にじわじわと染み渡っていく。
ヴィアンカは袖でゴシゴシと涙を拭い、大きく頷いた。
「……はい! 私、もっとおいしいご飯作ります! ガラフさんがお腹いっぱいになるまで!」
「お、おう……急に気合入りすぎだろ……」
ガラフが引くほど明るい笑顔を見せたヴィアンカ。裏庭ではイクイノクスが「グオオン」と同意するように鳴いていた。
路地裏の小さな店で、ヴィアンカは少しずつ、本当の自分の居場所と誇りを取り戻し始めていた。




