第五話:夜更けのスープ
「貸し呪い屋」の裏庭に、夜のしじまが降りていた。
ランタンの仄明るい明かりの下、ヴィアンカは煮込み鍋の前にたたずんでいた。大鍋の中では、挽肉と細かく刻んだ野菜がグツグツと音を立て、ハーブとコンソメの香ばしい湯気が立ち上っている。
「……よし、味付けはこれで完璧」
ヴィアンカは木スプーンですくったスープをそっと口に含んだ。
その瞬間――。
「んがっ!?」
二階の自室で寝転がっていたはずのガラフが、階段を一段飛ばしで駆け下りてきた。胸を押さえ、涙目になりながらカウンターに突っ伏す。
「熱ッ……! なんだいまの!? 舌が、舌が火傷する……ッ!」
「えっ? ガラフさん、どうしたんですか急に?」
ヴィアンカが首をかしげると、ガラフは涙目でこちらを睨みつけた。
「勇者ちゃん、お前いま……熱々のスープ試食したろ!」
「ええ、味見をしましたけど……なぜそれを?」
ガラフは深いため息をつき、頭をぽりぽりと掻いた。
「昼間さ、棚の奥の整理をしてただろ。あの中にあったんだよ……『同感の双子石』って仕入れたての呪い道具が」
「……あ」
ヴィアンカはハッとして、自分のポケットを探ぐった。エプロンのポケットの中に、昼間の掃除のときに見つけて「後で棚に戻そう」としまい込んでいた、手のひらサイズの対になった青い小石が入っている。片方を身につけ、もう片方が一定の距離に入ると互いの感覚を同調させる仕掛けの石だ。
「片方を身につけて、もう片方が近くにあると、五感の一部……特に『味覚』が同調しちゃう呪い。……マジで舌が痺れたぞ、どんだけ具材熱かったんだよ」
「す、すみません! すぐ外します!」
ヴィアンカがあわてて小石を机に置こうとすると、ガラフが「待った」と手をかざした。
「まあ、待てよ。……どうせ解呪の儀式は明日の朝しかできない種類のやつだ。一晩くらい、そのままにしとけばいい」
「えっ、でもガラフさんが困るのでは……」
「困るも何も、美味いもん食えるなら得じゃん。……で、今日の晩飯は何なんだ?」
ガラフは気怠げにカウンターの椅子に腰掛け、ヴィアンカの手元を覗き込んだ。
「……挽肉と野菜のハーブスープです。あと、固めのパンを焼きました」
「いいじゃん。冷めないうちに持ってきてくれ」
木製のお椀にスープを注ぎ、焼きたてのパンを添えて差し出す。ガラフはスプーンを取り、今度は慎重にふーふーと息を吹きかけてからスープを口に含んだ。
(……あっ)
ヴィアンカの口の中に、出汁の旨味と野菜のやさしい甘みが広がる。自分で食べたわけではないのに、ガラフが味わっている感覚がダイレクトに自分の舌に伝わってきた。
「……美味いな。ハーブの効かせ方が上品だ。パンを浸して食うとさらに美味い」
ガラフがパンをスープに浸して噛みしめると、香ばしい小麦の風味がじわじわとヴィアンカの口いっぱいに広がっていく。
「ふふ、そうでしょう。遠征中、寒くて眠れない夜によく作っていたんです」
「へぇ……」
ガラフは静かにスープを味わいながら、ふと呟いた。
「孤独な味がしないな」
「え?」
「勇者様の作る飯はさ。真面目で、優しくて……『誰かと一緒に温まりたい』って味がする」
不意を突かれた言葉に、ヴィアンカの胸がキュッと跳ねた。自分の正義感や真面目さは、騎士団では嫌われ、遠ざけられる原因だった。けれど、このだらしない元竜騎士は、自分の作る料理からその裏側にある不器用な想いを拾い上げてくれる。
「……ガラフさんは、ズルいです」
「何がだよ」
「そうやって、思ってもないような格好いいことをサラッと言うところです」
「思ってなきゃ言わねえよ」
ガラフは魔草を取り出し、不敵に笑うと、火をつけずに口にくわえた。
「……まあ、これで俺が夜中に激辛の酒のつまみ食ったら、勇者ちゃんも道連れだけどな」
「えっ!? ちょっと、それは困ります! 私、辛いものは苦手なんですからね!」
「じゃあ、早く寝な。起きてたら容赦なく激辛サラミ食うぞ」
「ガラフさんの意地悪!」
ヴィアンカが頬を膨らませて自室へ駆け上がっていくと、階段の下からガラフの愉しげな笑い声が聞こえてきた。
自分のベッドに入り、布団をかぶる。口の中には、まだほんのりと温かいスープの余韻が残っていた。誰かと感覚を分け合う不思議な夜。ヴィアンカは、騎士団にいた頃には決して味わえなかった穏やかな安心感に包まれながら、静かに目を閉じた。




