第四話:鏡のなかの溜め息
「呪いのレンタルショップ」の朝は、急かすような雨の音で始まった。
軒先を叩く水滴が、古い木組みの店内に湿った冷気を呼び込んでいる。カウンターの奥では、ガラフが羽織を頭まで引っかぶり、丸くなって寝息を立てていた。
ヴィアンカは拭き掃除の手を止め、そっと手鏡を覗き込む。
鏡の中に映るのは、少し伸びかけたショートヘアと、お世辞にも愛嬌があるとは言えない真面目くさった自分の顔だ。着古した革鎧の上に、店にあったシンプルなエプロンを重ねているものの、どこからどう見ても「路地裏の店番」に馴染みきれていない気がした。
(私、ちゃんと役に立っているのかな……)
魔王討伐の旅の最中も、自分はいつも「正しさ」を振りかざして仲間を困らせていた。騎士団を追い出されたのも、融通が利かないからだ。ガラフは「ここでは誰も世界を救えなんて言わない」と言ってくれたが、だからこそ自分に何ができるのかが分からなくなる。
その時、雨音を切り裂くようにカウベルが乱暴に鳴った。
「ガラフ!! いるんでしょう、ガラフ・リード!!」
甲高い声とともに飛び込んできたのは、濡れたシルクのドレスを纏った若く美しい女性だった。王都の貴族街で見かけるような優雅な装いだが、その表情は怒りと焦燥で引きつっている。
ガラフは羽織からぬっと顔を出し、心底面倒そうに片目を開けた。
「……なんだよ、シエラ。朝から大声出さないでくれよ、頭に響く」
「大声も出したくなるわよ! あなたが先週貸してくれた『相手を夢中にさせる惚れ薬』、全然効かないじゃないの!」
シエラと呼ばれた女性は、濡れた扇子でカウンターをバシバシと叩いた。ヴィアンカは「ほ、惚れ薬……!?」と目を丸くする。
「ちょっとガラフさん! このお店、そんな不健全で危険な呪いまで扱っているんですか! 人の心を意のままに操るなんて、道徳的に絶対に許されません!」
ヴィアンカが思わず前に出て抗議すると、ガラフはあくびをしながら耳をほじった。
「勇者ちゃん、早合点すな。うちがそんな物騒なもん扱うわけないだろ。第一、シエラが持っていったのは『ただのローズヒップティーの濃縮液』だ」
「なっ……!?」
シエラが絶句する。ガラフは肘をつき、煙草に火をつけながら言った。
「シエラ、あんたね。意中の騎士様に振り向いてほしいからって『呪いで惚れさせたい』なんて言ってきたけどさ。あのクソ真面目な第一騎士団長が、呪いの力でへらへら惚れてくるような女を好きになると思うか?」
ガラフの言葉に、シエラはハッと息を飲んだ。
「あんたが欲しかったのは呪いじゃないだろ。あの男の前に立つための『ほんの少しの自信』だ。だから、飲むと肌ツヤが良くなって、ほんのりバラの香りがするお茶を渡したんだよ。効かないってのは、あんたが自分で話しかけに行ってないからだ」
「そ……それは……」
シエラは扇子をぎゅっと握りしめ、恥ずかしそうに下を向いた。
「だって……私、あの方の前に行くと、素直になれなくて……意地ばかり張っちゃって……。綺麗にして行っても、どうせ私なんてお高くとまった嫌な女だと思われてるんじゃないかって……」
強気だったドレスの女性が、ぽろぽろと小さな涙をこぼし始める。その姿は、自分の不器用さに傷ついている普通の女の子だった。
ヴィアンカは胸の奥が締め付けられるのを感じた。
正論で殴るのではなく、相手が踏み出せない理由にそっと寄り添う。ガラフの「適当さ」の裏にある、深い洞察力。
ヴィアンカは固く結んでいたエプロンを少し緩め、カウンターの奥から温かいお湯を入れたカップを持ってきた。
「シエラさん。あの……私、恋愛のことはよく分かりません。でも」
ヴィアンカは自分の短く切り揃えた髪に触れながら、ぎこちなく微笑んだ。
「シエラさんは、すごくお綺麗です。髪も、ドレスも、意中の人を想って涙を流せる素直さも。自信を持って大丈夫だと思います。……私なんて、正解ばかり探していつも周りを困らせてばかりですが、ここに来て、完璧じゃなくてもいいんだって少しずつ教えてもらっていますから」
シエラは涙を拭い、ヴィアンカの温かいカップを受け取った。一口飲んで、ふっと息をつく。
「……あなた、可愛いわね。勇者様なのに、なんだか泥くさくて」
「えっ、可愛……!?」
ヴィアンカが真っ赤になって動揺すると、ガラフが煙の向こうでくすくすとおかしく笑った。
「そうだよ、シエラ。うちのバイトちゃんは不器用だけど、飯もうまいし、根だけは最高に良いんだ。……ほら、シエラ。そのお茶飲み干したら、雨も上がってきたぞ。ちゃんと自分の足で行ってきな」
窓の外を見ると、いつの間にか雨が上がり、雲の隙間から柔らかく差し込む光が路地裏を照らしていた。
シエラは立ち上がり、背筋をピンと伸ばした。
「ガラフ、お茶の代金は置いていくわ。それと……ありがと、勇者ちゃん」
シエラが凛とした足取りで店を出ていくと、カウベルが軽やかに鳴った。
静かになった店内で、ヴィアンカは照れくささを誤魔化すように、再び雑巾を手にした。
「……ガラフさん」
「ん?」
「私、やっぱりこの仕事、好きかもしれません」
ガラフはカウンターに突っ伏したまま、面倒そうに片手をひらひらと振った。
「好きでも嫌いでもいいけどさ。とりあえず、濡れた床拭いてくれ。あと……さっきの『可愛い』って言われて動揺してんの、面白かったぞ」
「~ッ! からかわないでください!」
ヴィアンカが頬を真っ赤にして怒ると、裏庭からイクイノクスが「グフフ」と笑うような低い声をあげた。路地裏の小さな店に、陽だまりのような温かさが広がっていった。




