第三話:雷モモンガ
肉の焦げる香ばしい匂いと、ニンニクの強い香りが店内に満ちていた。
ヴィアンカが鉄鍋で焼き上げた肉とたっぷりの野菜を器に盛ると、ガラフは魔草を置き、珍しく自分から箸を伸び伸びと動かした。熱々の肉を口に放り込み、ハフハフと吐息を漏らしながら目を細める。
「ん……いい味付けだ。勇者様は料理の腕だけは確かだな」
「『だけは』は余計です。これでも遠征中は、仲間の胃袋を支えていたんですから」
ヴィアンカは少し誇らしげに胸を張りつつ、自分も小さく肉をかじった。真面目に生きてきて報われなかった自分が、こうして自分の作った料理でおいしそうに笑う誰かとテーブルを囲んでいる。それだけで、胸の奥の重荷が少しだけ軽くなる気がした。
勝手口の垂れ幕が揺れ、イクイノクスが頭をぬっと突き出してきた。大きな鼻先をヒクヒクさせ、物欲しそうに喉を鳴らす。
「はいはい、イクイノクスにもありますよ。冷ましたお肉と蒸し芋です」
大きな木桶に料理を分けてやると、巨竜は「フガフガ」と満足げな音を立ててがつき始めた。
平和で温かい夕食の時間が過ぎようとしていたその時、店のドアが力なく開いた。カウベルが哀しげに鳴る。
入ってきたのは、全身泥まみれの格好をした、弱々しい雰囲気の青年だった。背中には大きなリュックサックを背負っているが、その隙間から「ウキュウ」という甲高い鳴き声が漏れている。
「あの……すみません。ここ、『魔物のペットシッター』みたいな呪いって……扱ってますか……?」
青年は涙目になりながら、リュックの中から小さな毛玉のような生き物を取り出した。モモンガに似た愛くるしい姿をしているが、鋭い爪からはパチパチと小さな黄色い電撃が漏れ出ている。
「雷モモンガの子供ですね。可愛いですが、気性が荒くてしつけが大変な種族です」
ヴィアンカが歩み寄ると、青年はか細い声で事情を明かした。
「拾った時はおとなしかったんです。でも、家の中で暴れ回って家具を全部焦がされて……僕、明日から出張で家を空けるのに、預かってくれる場所もなくて……。もう降参です。何でもいいから、おとなしくなる呪いをかけてください……!」
青年のやつれた顔を見つめながら、ガラフはスープの器を置いた。
「青年、呪いで生き物の感情を押し殺しても、あとで跳ね返りがくるだけだよ。それにさ、こいつが暴れてんのは『呪い』が必要なんじゃなくて、ただの運動不足」
ガラフは煙草を指で弄びながら、ヴィアンカを見た。
「な、勇者ちゃん。うちの裏庭、無駄に広いよな。あと、そこに力持て余してるデカいトカゲが一匹いるよな」
ヴィアンカはハッとして裏庭を見た。イクイノクスは食事を終え、大きな欠伸をして小さな雷モモンガを物珍しそうに見つめている。
「まさか……一緒に遊ばせるんですか?」
「遊ばせるっていうか、揉んでやるの。イクイノクス、小さいやつの相手してやれ。ただし踏みつぶすなよ」
イクイノクスが「ゴロロ」と低く鳴いて首を傾げると、雷モモンガは恐れる様子もなく、竜の太い尻尾にピョコンと飛びついた。イクイノクスが面倒くさそうに尻尾を揺らすと、モモンガは必死にしがみつき、パチパチと放電しながら登り始める。
「あ! 焦げないんですか!?」
青年の悲鳴に、ガラフはくすりと笑った。
「竜の鱗は雷なんて通さないよ。あいつにとっちゃ、ちょうどいい孫の手だ」
二十分も経つと、雷モモンガはイクイノクスの頭の上で完全に疲れ果て、丸くなってすやすやと眠り始めていた。イクイノクスもまた、頭の上の心地よい刺激に満足したのか、満足そうに鼻息を吐いて横になっている。
「すごい……あんなに暴れていたのに……」
青年は呆然としながら、感謝の言葉を繰り返した。
「これなら安心して出張に行けます。明日まで預かっていただけますか?」
「いいよ。預かり料は銀貨三枚。あと、帰ってきたら毎日裏庭レベルの広さで思いっきり運動させること。それが一番の『おまじない』だから」
青年は何度も頭を下げてお金を置くと、すっかり軽やかになった足取りで帰っていった。
静けさが戻った店内で、ヴィアンカは裏庭で静かに眠る二匹を見つめた。
「ガラフさんって……本当になんでもお見通しなんですね。呪いを使わずに解決しちゃうなんて」
「使わないで済むなら、それが一番だろ。……さて」
ガラフはぬらりと立ち上がり、部屋の隅から大きなデッキブラシを取り出すと、それをヴィアンカの手へ押し付けた。
「え?」
「朝言ってたろ、イクイノクスの奥歯の歯磨き。俺は今日、もうエネルギー切れ。最後の仕上げは頼んだ、勇者ちゃん」
「ちょっと! ガラフさん! 自分の竜なんですから半分手伝ってください!」
ガラフはヴィアンカの抗議を「おやすみ〜」とひらひら手で流し、二階の自室へ上がっていってしまった。
「もう……本当に調子がいいんだから……!」
ヴィアンカはぷくっと頬を膨らませたが、手にしたブラシを握り直すと、ふっと口元を緩めた。
裏庭からは、秋の夜風が心地よく吹き込んでくる。自分を必要としてくれる場所と、厄介だがどこか温かい仲間たち。
「よし……イクイノクス、覚悟を決めてくださいね。虫歯予防です!」
ヴィアンカが気合を入れると、眠りかけていた赤竜が「キュウ……」と嫌そうに情けない声をあげた。路地裏の夜は、今日も穏やかに更けていく。




