第二十一話:早朝の塩むすび
査察の日。朝靄が立ち込める路地裏は、刺すような冷気に包まれていた。
静まり返った店内において、ヴィアンカは早朝から厨房に立っていた。今日は王都の査察団が踏み込んでくる決戦の日だ。こんな時だからこそ、奇をてらわない、最もシンプルで力強い料理で腹を括りたい。
今日作る朝食は、炊きたてのご飯で握る「特製塩むすび」と、根菜たっぷりの「あったか豚汁」だ。
大釜で炊き上げた艶やかな白米。湯気が勢いよく立ち上る中、手水と塩を掌に少し多めに広げ、熱々の米をぎゅっと押し潰さぬよう、優しく、けれど芯を入れて握っていく。パリッとした香ばしい海苔を巻き付ければ、素朴ながらも圧倒的な存在感を放つおむすびの完成だ。
あわせる豚汁には、ごぼう、大根、人参、こんにゃく、そしてバルトの店から届いた味わい深い豚バラ肉がゴロゴロと入っている。胡麻油でじっくり炒めてから出し汁で煮込み、仕上げに合わせ味噌と生姜汁を少々。香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。
「よし……気合、入りました」
ヴィアンカが両手でおむすびを二つ並べたお皿を運ぶと、奥からガラフがいつもの毛布を羽織って出てきた。その目には、いつもの気怠さの裏に研ぎ澄まされた鋭さが宿っている。
「朝から塩むすびとは、腹に力が入るな」
「はい! シンプルですが、一番力が湧いてくるご飯です。さあ、ガラフさん、召し上がってください!」
ガラフは温かいおむすびを手に取り、大きく一口かじりついた。米の一粒一粒が立っており、程よい塩気が米の絶妙な甘みを引き立てている。豚汁をズズッと啜ると、根菜の旨味と生姜の風味が身体の隅々まで温かさを届けていった。
「……美味いな。肚が据わる味だ」
「ふふ、良かったです。どんな相手が来ても、私たちは間違ったことをしていませんから」
二人が最後のおむすびを口に運んだその時、店の表の扉が重々しく押し開けられた。
激しい足音とともに踏み込んできたのは、豪華な文様が施された甲冑を纏う査察団の長と、彼らを護衛する第一騎士団の面々だった。整列した騎士たちの殺気が、狭い店内に満ちていく。
「ここが噂の解呪屋か。不吉な『負の呪具』を流布し、民を惑わす不逞の輩……覚悟してもらうぞ!」
査察官が高らかに宣告し、配下に店内の捜索を命じようとしたその時だった。
「――待ちねぇ!」
突如、店の扉が再び勢いよく開いた。
入ってきたのは、精肉店のバルトを先頭とした、路地裏の住民たちだった。リリィの母親、野菜売りの店主、さらにはこの店で呪い道具を譲り受けた近所の人々が、手に手に自分たちの『道具』を持って詰めかけていた。
「勝手な言い掛かりをつけるんじゃねえ! ガラフさんの呪いは、肉を柔らかくしたり、小鳥の怪我を癒やしたりする温かい工夫ばかりだ!」
「そうだ! 負の呪具なんて、この店のどこにもない! 私たちが証明する!」
住民たちの毅然とした大声に、査察官たちは気圧されて一歩後退った。
ガラフはゆっくりと立ち上がると、魔草をポケットにしまい、堂々とした足取りで査察官の前に進み出た。
「……見た通りだ、査察官殿。俺の扱う『呪い』は、この街の連中の暮らしを少しマシにするためのガラクタばかりさ。陰謀だの危険な呪具だの、王都の妄想をこんな場所に持ち込まれては困るな」
さらにヴィアンカも、ガラフの隣に並んでまっすぐに査察官を見つめた。
「このお店は、街のみんなの笑顔を守る場所です。不当な疑惑で踏みにじることは許しません!」
二人の揺るぎない絆と、街の人々の温かな盾。
王都の冷徹な騎士たちを前に、路地裏の小さな解呪屋は、一歩も引くことなく立ち向かっていた。




