第十八話:寒風のオニオングラタンスープ
王都親衛隊の来訪から数日。路地裏の空気は重く沈んでいたが、解呪屋の日常は変わらず動いていた。
今朝の冷え込みは一段と厳しく、石畳は薄氷で覆われている。早朝から薪ストーブを焚いていたヴィアンカは、凍えた手を温めながら今日の昼食の仕込みに取りかかった。
今日の料理は、寒さを吹き飛ばす「オニオングラタンスープ」だ。
薄切りにした大量のタマネギを、バターとともに大鍋でじっくりと炒めていく。焦がさないよう焦らず丁寧に木べらを動かすこと一時間。やがてタマネギは飴色に変わり、濃厚な甘い香りが厨房を満たした。そこに丁寧に取った濃いめのブイヨンと少量の白ワイン、塩胡椒を加えてじっくりと煮込む。
耐熱の深皿に熱々のスープを注ぎ、カリッと焼いた厚切りのフランスパンを浮かべ、その上から溢れんばかりの削りチーズを乗せる。それを薪ストーブの上のオーブンに入れて焼き上げれば、チーズがぐつぐつと泡立ち、香ばしい焦げ目が広がっていく。
「ふう……綺麗に焼き上がったかも」
ヴィアンカが器を火バサミで取り出していると、勝手口のカウベルがからりと鳴った。
入ってきたのは、顔馴染みの精肉店の店主・バルトだった。だが、いつもなら「よお、勇者ちゃん!」と威勢の良い声を上げるバルトの顔が、どこか曇っている。
「バルトさん、おはようございます! 朝採れの豚肉ですか?」
「……ああ、それもあるんだがな、ヴィアンカちゃん。ちょっと耳に挟んだんだが……」
バルトは声を潜め、不安そうに店内を見回した。
「王都の騎士たちが、街の商人たちに聞き込みをして回ってるらしいんだ。『解呪屋のガラフが、心を狂わせる危険な呪具を売り捌いているのではないか』ってな。うちの親父仲間も、急に解呪屋の呪い道具を使うのを怖がり始めちまって……」
ヴィアンカは手に持っていたミトンをギュッと握りしめた。
「そんなの誤解です! ガラフさんの呪いは、みんなの生活をちょっと便利にする『工夫』みたいなものなんです! バルトさんも知っているでしょう?」
「俺は分かってるさ! ガラフさんの『お肉が柔らかくなる呪い(ミートハンマー)』のおかげで、うちの店も助かってる。だが……王都の親衛隊が直々に触れ回ってるとなると、みんな疑心暗鬼になっちまうんだよ」
バルトは申し訳なさそうに頭を下げると、注文の肉を置いて早々に店を去っていった。
静まり返った店内に、オニオングラタンスープの香ばしい匂いだけが虚しく漂う。
カウンターの奥から、毛布をかぶったガラフがのっそりと起き上がってきた。彼はバルトとの会話を聞いていたはずだが、表情一つ変えずに魔草を口にくわえた。
「……気にすんな、勇者ちゃん。噂なんてのは、時間が経てば勝手に消える」
「気にしないなんて無理です! ガラフさんはこんなに街の人たちのために……!」
「俺は街のためなんて大層なことはしてねえよ。代金をもらって、くだらねえおまじないを渡してるだけだ」
ガラフは静かに言い捨てると、カウンターに置かれた熱々のスープへスプーンを伸ばした。
チーズがとろりと伸び、スープをたっぷり吸い込んだパンが口の中で解けていく。濃厚なタマネギの甘みとブイヨンのコクが、冷え切った身体にじわじわと染み渡っていく。
「……美味いな。スープのコクが、骨の髄まで温まる」
「ガラフさん……」
ヴィアンカは、ガラフが自分を安心させようとして無骨に振る舞っているのだと気づいた。
親衛隊の目的は、単に犯人を探すことだけではない。こうして街の人々に疑心暗鬼を生み出し、解呪屋を孤立させようとしているのだ。
(私が弱気になってどうするの。ガラフさんが作ってくれたこの居場所は、私が守るんだから)
ヴィアンカは胸の前で強く拳を握りしめた。
「ガラフさん。私、街の人たちにちゃんと説明してきます。ガラフさんの呪いがどんなに温かくて優しいものか、私自身が一番よく知っていますから」
スープを飲んでいたガラフはスプーンを止め、一瞬驚いたように目を見開いた。それから、呆れたような、けれどどこか温かな溜め息を吐いた。
「お前は本当に……向こう見ずなバイトちゃんだな」
「バイトじゃありません、解呪屋の共同経営者です!」
胸を張るヴィアンカの言葉に、ガラフはふっと口元を緩めた。
忍び寄る王都の不穏な影。けれど、二人の絆と温かな料理がある限り、この小さな店が揺らぐことはなかった。




