第十六話:粉雪の焼きりんご
降雪が三日三晩続き、路地裏の解呪屋の周囲はすっかり白い静寂に包まれていた。
軒下に吊るされた干し肉やハーブの束も白く凍りつき、朝の静まり返った空気の中で、ヴィアンカは息を白く弾ませながら薪ストーブへ薪をくべていた。パチパチと薪が爆ぜる心地よい音が響き、店内は少しずつ柔らかな温もりに満たされていく。
「ふう……今日も冷え込みそうですね」
ヴィアンカは両手をストーブの上にかざして温めると、さっそく今日の朝食兼おやつの準備に取りかかった。
棚から取り出したのは、先日市場の店主から「表面に少し傷があるから」と安く譲ってもらった真っ赤な大粒のリンゴだ。芯を丁寧にくり抜き、空いた穴にバター、ハチミツ、砕いたクルミ、少量のシナモンをぎっしりと詰め込む。それを耐熱の土鍋に並べ、薪ストーブの上のじんわりとした熱でじっくりと時間をかけて焼き上げていく。
やがて、果汁とハチミツが煮詰まる甘酸っぱい香りと、焦がしバターの濃厚な匂いが部屋中に広がっていった。
「ん……いい匂いで目が覚めたぞ」
カウンターの奥から、毛布を肩にかけたガラフがのっそりと起きてきた。昨夜ヴィアンカが丹念にマッサージを施したおかげか、右膝をかばうような重い歩調はかなり和らいでいる。
「おはようございます、ガラフさん。ちょうど『焼きりんごとろり特製仕立て』が出来上がるところですよ」
「朝から甘いもんか? まったく、お前は俺を肥えさせる気か」
口では小言を言いながらも、ガラフは嬉しそうにカウンターへ腰掛けた。
土鍋の蓋を開けると、とろとろに柔らかくなったリンゴから黄金色の湯気が立ち上る。皮の隙間からあふれ出た果汁とバターがフツフツと泡を立て、見るからに食欲をそそった。
ヴィアンカがスプーンを添えて深皿を差し出すと、ガラフは熱々のリンゴを削り取り、ハフハフと息を吹きかけて口へ運んだ。
「……うめえ。甘みと酸味が絶妙だな。皮の周りのシャキッとした歯ごたえも残ってやがる」
「ふふ、じっくり火を通すのがコツなんです。中まで味が染み込んで……」
二人が温かな甘さを噛みしめていたその時、突風とともにガラガラと強引に扉が開け放たれた。
店内になだれ込んできたのは、冷たい粉雪と、銀色の重厚な甲冑に身を包んだ男たちだった。以前店を訪れた第一騎士団の副隊長・フェルナンドではない。さらに質の高い、王都直属の親衛隊の紋章を胸に刻んだ三人組だった。
「……失礼する。『解呪屋』の店主、ガラフ・リード殿とお見受けする」
先頭に立つ凛とした佇まいの騎士が、整った顔立ちを硬く引き締めて一歩踏み出した。
ガラフはスプーンを置くと、目元からいつもの気怠さを消し、冷ややかな瞳で騎士を見据えた。魔草を口にくわえたまま、低く短い声を発する。
「……王都の親衛隊が、こんなドブ臭い路地裏に何の用だ」
「近頃、王都周辺で正体不明の『精神を苛む負の呪具』が出回っておりましてな。多くの貴族や騎士が正気を失いかけております。……元竜騎士団長であり、いまは怪しげな呪いを商う貴殿に、その出所についての疑いがかかっているのです」
「……なっ!?」
ヴィアンカは思わず声を張り上げた。
「そんなの言いがかりです! ガラフさんの扱う呪いは、困っている人の背中を少しだけ押すような、温かい『生活の工夫』みたいなものばかりです! 誰かを傷つけるような呪いなんて、この店には一つもありません!」
ヴィアンカが身を乗り出して抗議すると、親衛隊の騎士は冷ややかな視線を彼女へ向けた。
「……ほう。君は『落ちこぼれ勇者』のヴィアンカ君だな。元英雄が二人も揃って、このような陰気な店で何を企んでいるのやら。……ガラフ殿、近いうちに王都の査察団が正式にこの店を取り調べに参る。身の潔白を証明したくば、おとなしく取り調べに応じられることだ」
騎士たちはそれだけ言い捨てると、翻る漆黒の外套とともに粉雪の舞う外へと去っていった。
静まり返った店内。焼きりんごの甘い香りが、どこか切なく漂っている。
ヴィアンカは悔しさと恐怖で震える拳を強く握りしめた。だが、ガラフは静かに冷めた焼きりんごを口へ運ぶと、ぽつりと呟いた。




