第十三話:湯気立つシチュー
季節は秋から冬へと静かに歩を進め、朝晩の冷え込みは一層厳しくなっていた。
解呪屋の厨房では、大きな鍋から白い湯気が立ち上り、芳醇なバターとクリームの香りが満ちている。今日の昼食は、ヴィアンカがじっくりと煮込んだ「根菜と鶏肉のホワイトシチュー」だ。ゴロゴロと大きめに切ったカブやニンジン、柔らかく解れる鶏肉に、隠し味として少量の白ワインとチーズを加えている。
「ふう……我ながら、すごく美味しくできたかも」
ヴィアンカが小鉢にスープをすくい、ふーふーと息を吹きかけて味を確かめていると、カウベルがからりと乾いた音を立てた。
入ってきたのは、見慣れない制服を着た郵便配達員の青年だった。吐く息を白くさせながら、一枚の厚手の手紙をカウンターに置く。
「『解呪屋』のガラフさんですね。王都の騎士団本部から、指名特急便です」
「……あ?」
カウンターの奥で転がっていたガラフが、めんどくさそうに片目を上げた。差出人の欄に刻まれた封ろうの紋章を見た瞬間、ガラフの目元からいつもの気怠さが消え、冷ややかな光が宿る。
郵便配達員が立ち去った後、ヴィアンカはおずおずと尋ねた。
「ガラフさん……それ、王都からの手紙ですか?」
「……ああ。定期的に届く、ゴミみたいな督促状だ」
ガラフは封も開けずに、手紙をカウンターの隅へ放り投げた。そのまま魔草をくわえ、天井を仰ぐ。
ヴィアンカは胸の奥がキュッと締め付けられるのを感じた。
ガラフがかつて「王都の空を統べた元竜騎士団長」であったことは知っている。探るような真似はしたくないが、彼がなぜその地位を捨て、こんな路地裏で『呪い屋』を営んでいるのか――その深い傷について、自分はまだ何も知らない。
(ガラフさんは、いつも私の傷を受け止めてくれた。……でも、私はガラフさんの何を知っているんだろう)
自分ばかりが救われ、守られていることへのもどかしさが、胸の底でじわりと渦巻く。
「……ガラフさん、シチューができました。温かいうちに食べてください」
ヴィアンカは深く追及することを踏みとどまり、濃厚で温かなクリーム色のシチューを大きなお椀に盛り付け、カウンターへ運んだ。添えられた香ばしい焼きたてのパンからは、小麦の甘い香りが漂っている。
ガラフは黙ってスプーンを取り、熱々のシチューを口に運んだ。
「……ん」
「どう……でしょうか?」
「カブが柔らかくて、味が染みてる。……温まるな」
いつも通りの短く無骨な感想。けれど、その声はどこか遠くを思っているように静かだった。スプーンを動かすガラフの手元を、ヴィアンカは見つめた。
「ガラフさん。私……もしガラフさんが辛いときや、困ったときは、いつでも言ってくださいね。私、力になりますから」
ガラフはスプーンを止め、少し驚いたようにヴィアンカを見た。それから、呆れたような、けれどどこか愛おしむような溜め息をひとつ吐いた。
「勇者ちゃん。お前は本当に真面目だな」
「真面目じゃありません。本当のことです。私はこの店と、ガラフさんに命を拾われたようなものですから」
「大げさだっつーの」
ガラフはくしゃくしゃと自分の髪を掻き回すと、カウンターの隅に転がる手紙にちらりと視線を落とした。
「……王都の奴らはな、まだ俺に『龍』を駆る兵士に戻ってほしいらしい。昔の栄光だの、責任だのを押し付けてきやがる。……だがな、俺が守りたかったものは、あんな豪華な城の中には無かったんだよ」
ガラフはシチューのスープを一口飲み、ふっと目元を緩めた。
「……俺はここで、お前の作った温かい飯食って、くだらねえ悩みを抱えた客に小さじ一杯の呪いを貸してる今が、一番性に合ってんだ」
ガラフの言葉に、ヴィアンカの胸の閊えがスーッと溶けていく。
過去の栄光を捨ててここにいるガラフと、過去の傷を抱えてここに辿り着いた自分。二人は互いに「過去」から逃げてきたのかもしれなかったが、いま、この小さなカウンターで向かい合っている時間は、紛れもない「本物」だった。
「……ふふ、そうですね。なら、王都になんて絶対に帰らせません」
「おう。だから明日も美味い飯作れよ、バイトちゃん」
「はい! おまかせください!」
外では冷たい冬の風が路地裏を吹き抜けていたが、湯気立つシチューと二人の会話が、小さな店をどこまでも温かく満たしていた。




