第十一話:琥珀色のハチミツ
秋が一段と深まり、朝夕の冷え込みが厳しくなってきた頃。路地裏の「解呪屋」の勝手口に、小さな異変が起きていた。
「ガラフさん、裏庭に小さな女の子がいます」
ヴィアンカが戸惑った声を上げると、カウンターで古新聞を枕に寝転がっていたガラフが「あ?」と重い体を起こした。
勝手口の隙間から覗くと、そこには大きめのつぎはぎポンチョに身を包んだ、六才ほどの小さな少女が縮こまっていた。手には泥のついた小さな木箱をギュッと抱え、寒さで真っ赤になった鼻をすすっている。
「お嬢ちゃん、裏口から不法侵入かい? 表のドアから入ってきな」
ガラフが勝手口を開けて声をかけると、少女はびくっと肩を揺らし、助けを求めるようにヴィアンカを見上げた。
「あ、あの……ここ、お呪いのお店ですか……? お金、これしかないけど……助けてほしいの」
少女が小さなお手製の手ぬぐいを開くと、中から出てきたのは銀貨でも銅貨でもなく、瓶に詰まった琥珀色のハチミツだった。野山の花から集めたばかりのような、芳醇で甘い香りが微かに漂う。
ヴィアンカは目線を合わせるように屈み込み、優しく微笑みかけた。
「ハチミツ、とっても美味しそう。私はヴィアンカ。あなたはなぁに?」
「……リリィ。あのお店の、おじさんにお願いがあって」
リリィと名乗った少女は、抱えていた木箱の蓋をそっと開けた。中に入っていたのは、羽を痛めて飛べなくなった小さな青い小鳥だった。
「森で拾ったの。でも、飛べなくなっちゃって……。お父さんが『呪い屋に行けば何でも直せる』って言ってたから……小鳥さんが飛べるようになるお呪い、貸してください」
言葉を詰まらせながら一生懸命に頼むリリィの姿に、ヴィアンカの胸がキュッと締め付けられる。
だが、ガラフはのしのしと歩み寄ると、木箱の中の小鳥をじっと見つめ、無情にも首を横に振った。
「ダメだな」
「ガラフさん!?」
ヴィアンカが驚いて声を上げるが、ガラフは淡々とした声で続けた。
「お嬢ちゃん、これは呪いじゃねえよ。ただの怪我だ。羽の骨が折れかかってやがる。うちで扱ってるのは『気の持ちようを変える呪い』だ。怪我を治すのは魔法薬師か医者の仕事だな」
「そんな……っ!」
リリィの大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちた。ハチミツの瓶を抱え、小さな体を震わせる。
「お父さん、忙しくてお医者さんに行ってくれないの……。小鳥さん、死んじゃう……っ!」
泣きじゃくるリリィを見て、ヴィアンカはハッと自分を省みた。かつての自分なら「呪い屋の専門外だから」と断られて途方に暮れていただろう。だが、いまのヴィアンカには、この店で学んだ「寄り添う方法」があった。
「ガラフさん。私に任せてください」
ヴィアンカはリリィの頭をそっと撫で、木箱を優しく受け取った。
「リリィちゃん、小鳥さんは死なないよ。怪我を治すお呪いはかけられないけれど……小鳥さんが元気になるまで、ここで一緒に看護する『お呪いのおまじない』ならできるの」
「ほんと……?」
「うん。まずは、寒くないように温かいものを食べようね」
ヴィアンカはリリィの手を引き、温かい店内へと招き入れた。
厨房で手早くお湯を沸かし、リリィが持ってきてくれた琥珀色のハチミツをたっぷりと垂らす。そこに絞りたてのレモン果汁を加え、湯気の立つ特製の「ハチミツレモンシロップ」を作り上げた。小鳥には清潔な布と固定用の添え木を用意し、てきぱきと応急手当を施していく。
「ほら、リリィちゃん。ふーふーして飲んでね」
木彫りのカップを渡すと、リリィはおずおずと口をつけた。
「……甘い。あったかい……」
甘酸っぱい温もりがお腹に広がっていくと、リリィの強張っていた表情がふっと和らいだ。
その様子をカウンター越しに見ていたガラフは、やれやれと頭を掻きながら、棚の奥から小さな小瓶を取り出してテーブルにコトンと置いた。
「ガラフさん、それは……?」
「獣医に渡す怪我用の軟膏だよ。昔、イクイノクスがチビだった頃に使ってたやつの残りだ。……小鳥の羽にも効くだろ」
「ガラフさん……!」
「勘違いするなよ。ハチミツ代の代金だ。こんな上等なハチミツ、タダで受け取るわけにいかねえからな」
ガラフはそっぽを向きながらポケットから魔草を取り出してくわえたが、その横顔には隠しきれない優しさが滲み出ていた。
リリィは目を輝かせ、「ありがとう、おじさん! お姉ちゃん!」と元気に声を上げた。
小鳥はヴィアンカの丁寧な手当てとガラフの軟膏のおかげで、温かい布の中で安らかな息を立て始めている。
「リリィちゃん、明日も小鳥さんの手当てに来てくれる?」
「うん! 絶対来る!」
小さな訪問者がもたらしたハチミツの甘い香りと温かなスープが、秋深まる解呪屋の店内をどこまでも優しく包み込んでいた。




