86 愛莉王
一瞬、盛大な歓声が起きる。そしてゆっくりと愛莉王が楽屋裏から壇上に来て演台まで歩き出すと、やがて集会は静かになって行く。
舞台袖から先に二人の従者が姿を見せ、演台までの道を確かめる。その後ろから愛莉王が現れた。
一歩進むごとに、床へ衣の裾が触れる。
愛莉王は急がなかった。数千人の視線を受け止めながら、背筋をまっすぐに伸ばし、一定の歩調で進んでいく。
先ほどまで声を張り上げていた者たちさえ口を閉ざした。人々が立てる衣擦れの音や咳払いまで聞こえるほど、公会堂は静かになった。
愛莉王は気の強そうな顔をしていた。いわゆる「怖い系の美人」であるが、これは演出である。
眉は普段よりも僅かに鋭く描かれ、目元にも強い陰影が加えられている。口元には鮮やかな色を差していたが、微笑みは浮かべていなかった。
王族として民衆を安心させるために来たのではない。
大王家へ敵対する者に退かぬ意思を示すために来たのだと、言葉を発する前から印象づけようとしていた。
大王の姪御と言っても異母兄の娘である。年齢は26歳。若く見える仙人であるから10代後半のような可憐な容姿をしているのだが、愛莉王は可憐な乙女を演じてもここでは無意味と理解する聡明さがあり、普段はしない化粧を研究してこの場に臨んだのである。
演台へ立った愛莉王は、すぐには話し始めなかった。
会堂の一階から三階までをゆっくり見渡す。まだざわめいていた一角へ視線を向けると、そこにいた者たちも慌てて口を閉ざした。
完全な静寂が訪れる。
「皆の者の忠義、余は心から感謝する!」
静かになるのを待ってから愛莉王が叫ぶと万雷の拍手が響いた。王族が公式に公民連合の活動を認めることは前代未聞の事態だ。
愛莉王は拍手を遮らなかった。
演台の両脇へ軽く手を添え、臣民たちの反応を正面から受け止める。公会堂を揺らすほどの拍手が少しずつ収まると、先ほどよりも落ち着いた声で続けた。
「余は官吏たちに法を守らず、民を虐げている者がいることを憂えておる。しかしながら、法を遵守し公益のために身を捧げんとする忠良なる臣民の活躍には、感動せざるを得ない。これぞ君民共治の國體の精華である。」
人々は歓声を上げた。涙を流して嗚咽する者もいる。
尚英本人がこの場へ来たわけではない。
それでも大王家の一員が、自分たちの活動を「忠良なる臣民の活躍」と呼んだ。その事実だけで、公民連合の者たちには十分だった。
徒刑に処せられた同志の家族は互いに抱き合い、農民たちは何度も愛莉王へ頭を下げる。人形に化けた四神の中にも、目を閉じて深く頷く者がいた。
愛莉王は、人々の興奮が頂点へ達するのを見届けてから片手を上げた。




