79 異世界の技術
前田は盆へ顔を近づけた。
元の世界で見慣れていたものとほとんど変わらない。皮には僅かに黒い斑点が生まれ、甘い香りが漂っている。
前田はやや驚いた顔をする。この世界がバナナが出てくるほど温暖だとは思っていなかった。
少なくとも、今日通ってきた山中はバナナが育つような気候には見えない。朝晩には上着が欲しくなるほど冷え込み、遠くの高峰には白い雪まで残っている。
「ここは山の中なのに、傷まずに運べるんですか?」
「ああ、青龍が空を飛んで運んでくることもありますし、ここ百年は持ち運び可能な氷室も出来て便利になりましたから。」
光顗は説明する。「ここ百年」と言ういい方は仙人ならではのものだ。
このバナナは、南方の典羅国から運ばれてきたものであった。今年は特に収穫量が多く、帝都や直轄領へ運ぶ冷蔵術者の求人も増えている。彩比売が東宮で報告を受けていた豊作の一部が、山寺に滞在する前田の盆へ届いていたのである。
「持ち運びのできる氷室なんてあるんですね。」
「箱の内側へ断熱材と霊石を組み込み、冷気を逃がさないようにしたものです。」
「電気がなくても、そこまでできるんですか。」
「電気が何かは存じませんが、職人たちは何百年も工夫を重ねておりますから。」
光顗はそう言いながら、自分の分のバナナの皮をゆっくりと剥いた。
前田も一本を手に取った。食べてみると、元の世界のものよりやや小さいが、甘味は強かった。三日間の旅で疲れた身体へ、その甘さが染み込んでいくように感じられた。
産業革命以前の文明を劣ったものと感じていたのは前田の不明であった。現実には元の世界のクーラーボックスの例もある通り、電気がなくても冷蔵は或る程度可能である。
そもそも元の世界でも産業革命後直ちに西欧が世界を席捲したわけではない。イスラム世界や東アジアの植民地化は産業革命後も何度も戦争と技術革新、政治交渉の末に行われたことで、その間もイスラム世界や東アジアはそれなりに発展していた。
蒸気機関や電気がなくとも、人々が何世代にもわたって知識を蓄え、交易を行い、必要に応じて技術を改良してきたことに変わりはない。
この世界では腕時計のサイズで不定時刻の時計が作られているが、元の世界でも産業革命無しで不定時刻の時計は作られている。産業革命無しの技術革新は別に不思議でも何でもなく、況してや霊力と言うチート能力があれば当たり前のことなのであるが、前田にとっては前近代的に見えるこの世界に高度な技術があるのは驚きであった。
建物の外見や人々の服装が古代や中世のように見えるからと言って、千年以上にわたる技術の蓄積まで存在しないわけではない。
何百年も生きる仙人が、同じ技術を生涯かけて改良することもある。一人の職人が元の世界ならば何世代にも相当する試行錯誤を重ねられることも、この世界の技術を支えていた。
夕食には山菜と豆を煮た料理が出された。
日が落ちると山寺の周囲は急速に暗くなった。
座敷には植物の油を使った灯明が置かれ、その淡い光が三人の影を壁へ映している。卓上には山菜と豆の煮物のほか、麦を混ぜた飯と、茸の入った澄まし汁が並べられていた。
煮物から立つ湯気には、山菜の僅かな苦味と豆の甘い香りが混じっている。
「美味しい!」
前田は一口食べると、思わず顔を綻ばせた。
「山で採れたものばかりですが、お口に合いましたかな?」




