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61 僧綱政治

 大倭帝国法祇官(ほうぎかん)――


 帝都の宮城に置かれた法祇官は、太政官や三皇の宮とは異なる空気をまとっていた。


 正門をくぐると、左右には僧侶たちが政務を行う官衙が並び、その奥には仏殿の屋根が見える。どこかの堂から聞こえてくる読経の声と、官人が文書を読み上げる声とが、不思議なほど自然に混じり合っていた。


 廊下には香の匂いが漂い、壁際には経典だけでなく、大王国や寺院から提出された上申書が積まれている。ここでは仏法についての議論も、帝国を統治するための行政も、同じ机の上で処理されていた。


 法参議である比丘の道宣法印の元へ沙耶親王がやってきた。


 沙耶親王は供を廊下へ残し、一人で道宣の執務室へ入った。


 室内は高官の執務室としては質素だった。壁際の棚には経巻と行政文書が同じように並べられ、文机の端には使い込まれた念珠が置かれている。開け放たれた窓の向こうには小さな中庭があり、青々と茂った菩提樹の葉が風に揺れていた。


 道宣は剃り上げた頭に年齢を感じさせる皺を刻みながらも、背筋を真っ直ぐに伸ばして座っていた。二百年以上を生きているが、その眼差しには衰えがない。


「これはこれは親王殿下、どういったご用件で。」


 道宣は筆を置き、沙耶親王へ座を勧めた。


「法参議殿、既に手配はしてあるけど念の為のお願いがあります。」


 沙耶親王は道宣の向かいへ腰を下ろした。いつもの気ままな訪問とは違い、今日は正式な用件を持ってきたため、表情も幾分引き締まっている。


「念のため?」


 道宣は片方の眉を僅かに上げた。


 大倭帝国は法皇を国家元首としてその下に天皇・地皇・人皇の三皇と太政官があるが、もう一つ、法王・伯王・斎王とその下に置かれる法祇官と言う機構もある。但し、伯王の座は魔王が継承しているため、欠員となっている。


 かつて神学や魔法、秘術を統帥していた伯王の官署も、形式の上では法祇官の中に残されている。しかし、その主たる伯王の位は千年前から帝国の支配を離れ、魔王家によって世襲されていた。


 大倭帝国は仏教による統治を目指している国であるため、その中でも法王の影響が強い。法王は法皇とは異なり、親王や大王の中で実際に出家し比丘となっているものが就任する。


 国家元首である法皇は在家のまま菩薩戒を受ける。一方、法王は具足戒を受けた出家者であり、僧伽と国家との間を取り持つ役割も担っていた。


 太政官でいう大臣に当たるのは法祇官の法臣であり、太政官でいう大納言に当たるのは法祇官の法参議だ。いずれも比丘である。


 道宣は法参議として、寺院行政や僧侶の統制だけでなく、国家的な祈祷や神異に関わる案件にも目を通していた。


 斎王は神宮にこもっており、神祇は仏教に従ずる扱いのため、主導権は僧侶は握っているのだった。


 そのため、前田と華麟が直轄領の大寺院へ宿泊するとなれば、寺院側が受け入れるつもりであっても、法祇官への通知は避けられない。


「ああ、総漢国の鳳凰総領府が素王と麒麟が直轄領の寺院に泊まることを求めていた奴か。心配するな、そんなことは邪魔せんよ。」


 道宣はすでに届いていた文書を思い出し、机の端に積まれた書類へ目を向けた。


「ありがとうございます、法参議殿。」


 沙耶親王は頭を下げた。


「しかし、それにしても親王殿下自ら根回しに来られるとはな。」


 道宣は面白そうに沙耶親王を見た。


 親王家の官人や東宮の使者を寄越すだけでも、用件は十分に通じる。それでも沙耶親王が自ら足を運んだということは、単なる宿泊の手配以上の意味がある。


「東宮殿下の大切な賓客ですから。」


 沙耶親王は淀みなく答えた。


 前田がまだ正式に彩比売の夫と決まったわけではない。それでも東宮の大切な賓客と呼べば、法祇官の者たちも粗略には扱えなくなる。


「賓客、か。」


 道宣はその二文字を確かめるように繰り返した。

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