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59 無許可召喚の素王、関所を通る

 出発から二日目、前田と華麟は総漢国と直轄領の境にある関所へ着いた。


 官道は次第に細くなり、左右から迫る山々の間へ入り込んでいた。谷底には細い川が流れ、そのせせらぎへ、木々の葉を揺らす風の音が重なっている。


 道の先には低い柵と門が設けられ、その脇に瓦屋根の建物が一棟だけ建っていた。旗がなければ、山中に設けられた小さな役所か宿場にしか見えなかったかもしれない。


 昨日はほとんど休まずに走っていた華麟も、関所の近くでは速度を落とす。華麟の背中で寝ていた前田も目を覚ました。


 金色の鱗に頬を預けていた前田は、ゆっくりと上体を起こした。寝起きで一瞬、自分がどこにいるのか分からなかったが、眼下を流れていく官道と華麟の鬣を見て、すぐに異世界へ召喚されたことを思い出した。


 一日以上何も食べていないが、不思議と身体は元気だ。元の世界でも前田はファスティングで気分が良くなったという知人の話を聞いたことがあるが、同じ効果なのか、それとも仙人の身体になっているからか、は前田には分らない。


 腹が減っているという感覚はある。しかし、元の世界で食事を抜いた時のように頭がぼんやりすることも、手足へ力が入らなくなることもなかった。


「もうすぐ関所になります。前田さまは一日以上食べていませんから、脱水症状になりやすいです。関所ではのどが渇いていなくても水を必ず飲んでください。」


 華麟は歩調を緩めたまま、首だけを僅かに後ろへ向けた。


 実は華麟は麒麟の姿なので人語ではなく麒麟語で話をしているが、仙人の理解力の高さと性別による絆により、テレパシーを使わなくてもある程度は意思疎通が出来るのだ。


 麒麟の口から漏れる声は、人間の耳には獣の鳴き声に近い。それでも前田には、その抑揚や響きが自然に言葉として理解できた。


 前田自身も自分が妙に賢くなったような感覚を抱いていた。最初は自動翻訳魔法でもこの世界にあるのかと思っていたが、今では脳内にAIがあるような感覚になっている。


 実際には幼児の言語習得能力をさらに強化したような現象なのであるが。


「そうなの?」


 前田は自分の唇へ触れた。言われてみれば少し乾いている気もするが、水を飲みたいというほどではなかった。


 ファスティングをすると食欲が減衰するだけでなく喉も乾きにくくなる。食べないことそのものよりも脱水症状による危険性がファスティングの問題点として指摘されているが、前田はそのことを知らなかった。


 元の世界では三食食べて水分補給をすることは意識しなくても当然に行うことだったのだ。


 前田は華麟の背から関所を眺めた。門の前へ武装した兵士が何列も並んでいる様子はなく、通行を待つ人々の長い列もない。軒先では二人の官人が書類を整理し、門の横では従者を連れた旅人が身分証を見せているだけだった。


「それにしても、関所と言うからにはもうちょっとごちゃごちゃしているかと思ったら、意外に質素だね。」


 前田の視界に入ったのは時代劇に出てきそうな和風の役所のような建物が、山あいの官道にポツンと一棟ある姿だった。


 いや、役所のような、ではない。実際関所は役所なのだ。


「質素、ですか?」


 華麟は不思議そうに耳を動かした。


「うん。もっとものものしい奴だと思っていた。」


 前田の想像していた関所は、高い柵で街道を塞ぎ、槍を持った役人が旅人の荷物を一つずつ調べるような場所だった。


「帝国内の移動は関所で身分証さえ見せれば原則自由です。各大王国はあくまでも連邦構成国であって独立国ではありませんから。」


 華麟は関所の手前で完全に足を止めた。蹄の下にまとっていた雲が薄れ、金色の四肢が官道の土を踏む。


「それって、身分証のない私にはフラグが立っている気が。」


 前田は懐へ手を入れ、何重にも布で包んだ書状があることを確かめた。元の世界の運転免許証も社員証も、召喚された時に持ってきてはいない。仮に持っていたとしても、この世界では身分証として役に立たなかっただろう。


 それはその通りで、この後すんなりと関所を通れるわけでは無かった。もちろん華麟もそれを分かっているからこそ、水を飲むように言ったのだ。


「安心してください。紫色の朝服を着て麒麟に乗っているとなれば、素王であることは疑われません。素王は大王と同格なので、無暗な拘束はできないです。」


 華麟は安心させるように尾を一度揺らした。


 前田は深紫の朝服の袖へ目を落とした。身につけたばかりの頃には借り物の衣装にしか思えなかったが、この服の色だけで関所の官人たちの態度が変わるらしい。


 関所では八位の位階であることを示す深縹の朝服を着た官人が、麒麟の上に乗った深紫の朝服の人物を見て、慌てて上官を呼ぶ準備をしつつ前田を屋内に入れた。


 深紫の朝服は従二位以上の位階を有する公卿か親王、大王、素王しか着ることのできない服である。しかも麒麟に載っているということは、僭称の可能性はまずない。


 官人は前田の顔と朝服、そして傍らに立つ金色の麒麟を順に見た。何かを尋ねようとして口を開きかけたが、自分の判断だけで応対してよい相手ではないと思い直したらしい。


「申し訳ございません!上官を呼んで確認させていただきますので、屋内でしばらくお休みください。」


 官人は深く頭を下げた。声が僅かに裏返っている。


 彼が示した建物の中には、一般の旅人が待つ土間とは別に、身分の高い者を通すための畳敷きの部屋が設けられていた。小さいながらも床の間があり、壁には総漢国と直轄領との境を示す地図が掛けられている。


 すると人形になった華麟が言った。

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