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58 「七面龍女様に会うのが怖いんです!!」

 美凰と広海のやり取りが耳に入り、泰鳳は書類から顔を上げ、広海をじっと見た。


「正直に答えろ。湯谷国に行きたくない理由があるのか?」


 総領室が静かになった。


 美凰は書状を持ったまま待ち、綺凰も羽毛を整える手を止める。


 広海は視線を泳がせた。だが、泰鳳と美凰の双方から見つめられては、適当な理由で逃げ切れないと悟ったらしい。


 広海は観念して白状した。


「七面龍女様に会うのが怖いんです!!」


 総領室に広海の叫びが響いた。


「は?」


 美凰の手から、差し出していた書状が僅かに下がる。


 鳳凰たちは七面龍女が蒼龍真君の跡取り娘であることは知っているが、それ以上の詳しいことは知らない。


 一燈族の跡取りであり、湯谷国の海難救助や治安にも大きな役割を果たす高位の青龍。総漢国まで伝わっているのは、その程度の情報である。


 古式を重んじる厳格な人物だという噂はあっても、遠縁の親族が名を聞いただけで怯える理由までは知らなかった。


「「親戚だろ?」」


 美凰と泰鳳の声が重なる。いつの間にか泰鳳もツッコみたくなったようだ。


 声の大きさも、呆れた調子も、ほとんど同じだった。


 二羽は一瞬だけ顔を見合わせると、互いに不本意そうに目を逸らした。


「親戚と言っても三従姉ですし、とにかく怖いんです!!」


 広海は長い身体を縮めた。


 三従姉とは、曽祖父母を共通の祖先とする親族である。長命な青龍の大部族では、親族と呼べる者の範囲も人間よりはるかに広い。


 血統を誇る時には蒼龍真君とのつながりを強調するが、その跡取り娘から叱られた話になると、急に遠い親戚になるらしい。


「お前、何やらかした。」


 泰鳳が言う。


 問いというよりも、何かをしたに決まっていると確信した言い方だった。


「台風の日に家で休んでいたら、近所で遭難している漁師さんがいたみたいで、なんで助けなかったと死ぬほど怒られたんですよ!」


 広海は自分も被害者であるかのように訴えた。


「遭難者がいるのに、家で休んでいたのか?」


 美凰の声が低くなる。


「台風だったんですよ! 青龍でも危険だったんです!」


 広海は慌てて弁明した。


「お前が危険なら、人間の漁師はもっと危険だろう。」


 泰鳳が冷静に言った。


 綺凰も思わず頷いた。


 青龍は水脈と天候を操り、翼がなくとも風と水気を掴んで空を飛ぶことができる。海上の嵐は青龍にとっても無害ではないが、遭難した人間を救える可能性は、陸上で家に籠もっている誰よりも高い。


 しかも一燈族は、湯谷国の人々から航海と海難救助を担う存在として敬われている。跡取り娘である七面龍女が怒ったのも無理はなかった。


 要するに広海は七面龍女の厳しさから逃れるために総漢国でほろほろしていたらしい。


 総漢国の山中で荼枳尼に捕まり、別の青龍との決闘で泣かされ、魔瘴雲を祓う戦いへ呼び出されてもなお、一燈族の本拠へ帰るよりは良かったのだろう。


 しかし今回は、蒼龍真君へ二人の素王の聖別を願うという正式な書状がある。


 広海個人の都合で止めてよい話ではなかった。


「まぁ良い。命令だ、行け。」


 泰鳳が言う。


 広海は信じられないという顔で泰鳳を見た。


「鳳凰界の総領に四神への命令権はないでしょ!」


 それは制度上、正しい。


 泰鳳は総漢国の鳳凰たちを束ねる総領であって、青龍を含む四神へ官職上の命令を下す権限はない。


「物理的に従えた方が良いか?」


 泰鳳は静かに翼を広げた。


 翼の間から漏れた霊気で、部屋の温度が一段上がる。美凰も逃がすつもりはないらしく、召喚陣と窓の間へ立っていた。


 法的な命令権はなくとも、実力で仕事を引き受けさせることはできる。


「勘弁してください!」


 広海は泣きながら了承した。


 長い龍体を床へ伏せ、前脚を差し出す。美凰はそこへ書状を載せた。


「じゃあこれをしっかりと運んでこい。」


 美凰は書状を渡す。


 書状は筒へ収められ、水や潮風で濡れないよう術を施した布で包まれていた。封には総漢国鳳凰総領の印と、美凰個人の印が並んでいる。


 政治的には対立する二羽が共同で聖別を求めていることを、蒼龍真君へ示すためだった。


「はい・・・。」


 広海は仕方なく飛んで行った。


 総領室上方の扉が開く。


 広海は書状を前脚でしっかりと抱え、青白い身体をくねらせながら空中へ浮かんだ。窓から外へ出る直前、一度だけ恨めしそうに泰鳳と美凰を振り返る。


 二羽が動じる様子はない。


 広海は諦めて外へ飛び出した。青い風が総領府の周囲を一周し、そのまま東の空へ伸びていった。


 湯谷国へ着けば、蒼龍真君だけでなく七面龍女とも顔を合わせる可能性が高い。


 それでも、広海が書状を捨てたり、別の青龍へ押しつけたりすることはないだろう。普段は頼りなく見えても、魔瘴雲を前にすれば村を守るため戦い、素王の指示にも従った青龍である。


 泰鳳と美凰も、それを知っているからこそ使者に選んだのであった。


「理不尽過ぎる・・・。」


 床へ座り込んだ綺凰が、広海の消えた窓を見上げながら呟いた。


 強制的に出張を命じられた自分と、強制的に故郷への使者にされた広海。


 どちらがより理不尽な目に遭っているのか、綺凰には判断できなかった。


 こう呟いた綺凰の声は、完全に無視された。


 泰鳳と美凰は、すでに次の人選へ移っている。


 蒼龍真君への使者は決まった。だが、紅蓮鷹女、白蓮康成、鉄蔵との交渉も残っている。前田と華麟が皇都へ着くまでに返事を得るためには、休んでいる暇はなかった。


 二羽はまた無言で書類へ向き直った。


 泰鳳が次の書状を広げると、美凰は何も言われないまま必要な地図を差し出す。


 総領室には再び筆の音だけが響き始めた。


 仲が良いのか悪いのかは、やはり誰にも分からなかった。

8/6 改題

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