33 民部省動く
その頃、総漢国大王宮では、尚英が報告を受けていた。
謁見の間ではない。
私的な政務室だった。
だが空気は謁見の間より重い。
壁には歴代大王の肖像が掛けられ、中央には大きな卓がある。その上には地図、木簡、封書が乱雑に広がっていた。
尚英は椅子に座っていた。
顔色は悪い。
だが目だけはぎらぎらと光っている。
その前で、小室民部卿滋野朝臣通衡が平伏していた。
五十を過ぎた痩身の男である。額には脂汗が浮かび、声は震えていた。
「つまり――」
尚英は低く言った。
「素王二人が、瘴雲祓いと称して同時に次帥轟雷法を使用し、地形を変えたというのか?」
「は・・・はい。」
通衡は額を床に擦りつけるようにして答えた。
「物見の報告によりますれば、北の峡谷の一部が崩れ、平地のようになった箇所があるとのこと。瘴雲は完全に消滅しておりますが、術式の威力は通常の瘴気払いを遥かに超えております。」
伝書鳩の報告で済ませずにきちんと現地調査を終えていた。
尚英の拳が肘掛けを叩いた。
乾いた音が室内に響く。
「次帥法だと?」
その声には怒りだけではなく、恐れもあった。
次帥法――大王や親王、素王が扱える術式の中では最上級に位置する。上にあるのは、大元帥法と元帥法のみ。大元帥法は法皇・天皇・地皇・人皇だけの術。元帥法もまた、その許可なしには使えない。
つまり次帥法は、総漢国大王の立場から見ても、十分に脅威となる術だった。
しかも今回は素王二人。
さらに四神八体が関与している。
尚英は歯を食いしばり確認するように言った。
「前田弘貴と佐藤綾子。二人とも麒麟と鳳凰から聖別を受けておるのだな?」
滋野は恐る恐る頷いた。
「そのようです。華麟・美凰の組、杏麟・泰鳳の組が、それぞれ既に聖別を行ったものと見られます。」
尚英の目が細くなる。
「誰が許した?」
滋野は言葉を失った。
麒麟と鳳凰が主君と見做した純仙へ聖別を与えること自体は、彼らの権能である。
だが素王召喚と聖別が政治問題である以上、通常は大王や朝廷の承認、少なくとも事後の調整が必要だった。
今回はそれがない。
いや、綾子については泰鳳の圧力もあり、尚英も認めていた。
だが前田弘貴については違う。
さらに、二人が接触し、共同で次帥法を使ったとなれば話は別だった。
「華麟と美凰は、彩比売の側につく者ども。」
尚英は呟いた。美凰が大王派という認識が消えてしまっているようだ。
「泰鳳と杏麟は、儂を退かせようとする者ども。」
その二組が同時に動いた。
しかも麟徳府へ入った。
尚英は立ち上がった。
椅子が後ろへ倒れ、派手な音を立てる。
「麟徳府に素王二名がおるのだな?」
「は。さらに泰鳳、美凰も同行している模様でございます。」
尚英の口元が歪んだ。
笑みとも怒りともつかない表情。
「鳳凰どもめ――」
声が低く沈む。
「儂の国で、儂を差し置いて、素王を二人も動かすか。」
小室は震えた。
「大王陛下、いかがなさいますか?麟徳府は麒麟の自治権が強く、兵を入れるには慎重な手続きが必要です。無理に踏み込めば、麒麟と鳳凰の双方を敵に回す恐れが。」
「分かっておる。」
尚英は吐き捨てた。
だが、その手は震えていた。
怒りか、恐れか、疲労か――おそらく全てだった。
体調は悪い。宮廷内の支持も揺らいでいる。
そこへ、素王二人。
魔王討伐の希望であるはずの存在が、今や自分の王位を脅かす駒にも見えていた。
「使者を出せ。」
尚英の声が鋭くなる。
「泰鳳、美凰、華麟、杏麟。そして素王二名。全員に問う。誰の許しで次帥法を使ったのか。誰の許しで麟徳府に集まったのか。」
小室は頭を下げた。
「はっ!」
尚英は地図へ視線を落とす。
総漢国――自分の国だ。
しかし、そこにいるのは重税に苦しむ民に離れていく鳳凰たち。
あらゆるものが、彼の周囲で絡み合い始めていた。
尚英は低く呟いた。
「素王は魔王を討つために召喚されるものだ。」
その声は、誰に向けたものでもなかった。
「大王を討つためではない。」
だが、その言葉には自分自身を説得する響きがあった。
夜の大王宮に、倒れた椅子だけがそのまま残っていた。




